いつも素敵なイラストを描いて下さる利亜さんに感謝を込めて。
瑠璃は、いわゆる未帰還者である。
記憶はさだかではないが、見た事もないモンスターに襲われて、それ以降、瑠璃はリアルに帰れなくなった。
瑠璃の実感に沿って言うならば、リアルという概念が無くなってしまった。
だから、実のところ、瑠璃が未帰還者なのか、それとも特殊な放浪AIであるのか、まわりも本人もよく分かっていない。
リアルの知識が豊富であること、行動が一貫していて矛盾が無いことを考えれば、未帰還者なのだろう。
だが、たまに突拍子も無い行動をするところを見ると、放浪AIなのではないかとの疑いは消えない。
まあ、そんな瑠璃である。
ログアウトできない以上、24時間をザ・ワールドで過ごさなくてはならない。
で、当然のように眠くなる。
そんな時、瑠璃は、マク・アヌの橋げたの下で寝ていた。
また、ゲームの体は汚れたりしないが、それでもなんとなくお風呂に入りたくなったりもする。
そんな時は、マク・アヌの水路でこっそり水浴びをしたりした。
つまりは、マク・アヌの公共施設を利用して、ホームレス生活を送っていた。
ホームを手に入れるほどにレベルが高くない以上、仕方ないことである。
「ふぁ?」
なにか夢の中で疑問があったのか、尻上がりのイントネーションであくびをすると、瑠璃は目覚めた。
橋げたの下である。
素晴らしく再現された朝の日差しが、瑠璃の顔に当たっていた。
「まぶひい」
まだ、多少寝ぼけているようだ。
ごしごしと顔をこする。
目ヤニなどありはしないが、まあ、それも気分だ。
次に、近くの水路の水面をのぞく。
PCの髪型に乱れがあるはずもなく、顔に寝あとがついているわけでもない。
それでも、乙女としては身だしなみを気にせずにはいられない。
「ん、顔洗おっと」
パシャパシャと、水をすくって顔を洗う。
これもデータ的に意味の無い行動だ。
しかし、そうやっている瑠璃は、ほんとうに自然で人間らしく見えた。
「ぷはっ!」
さっぱりした所で、散歩である。
早朝、ログインしているのは、暇人か、夜の仕事から帰ってきた人々である。
当然のように、瑠璃の仲間たちはいない。
なので、瑠璃は暇である。
ネリネも、いつも一緒にいるわけではなく、今日もいない。
つまり、瑠璃は暇なのである。
「う〜ん、変わりばえしないなぁ」
客のいない店々を冷やかしながら、瑠璃の散歩は続いた。
武器屋、道具屋、魔法屋、妖精屋、記録屋、カオスゲート、広場、路地裏。
当たり前だが、何も変わりは無い。データが同じなのだから、当然である。
「お〜い、オヤジさん、景気はどうよ?」
たまに、店の店主に会話を試みるが、答えがあるはずもない。
まったくもって、しょーもないことをしている。
それでも、結構ご機嫌で、ふんふん鼻歌を歌いながら、元気良くマク・アヌを闊歩する。
何も変わらない街。普通なら気が滅入りそうなものだ。
だが、どんな時もくよくよしないのが、瑠璃である。
間違っても、ただ単に何も考えてないだけだ、とか言わないように。
「ん?」
決まりきったコースを一巡して、橋のところに戻る途中のこと。
瑠璃は、見慣れないものを発見した。
釣りをしている老人である。
川べりに腰かけ、釣り竿を川に向けている。
「おじいさ〜ん、釣れますか〜?」
瑠璃は老人に、定番の言葉で声をかけてみることにした。
見慣れないのではなく、見慣れ過ぎて気がつかなかったことに、瑠璃は気付いていない。
「おや? お嬢さん、おはよう」
瑠璃に向き直った老人は、にこりと笑ってみせた。
「おはよ〜ございます!」
「ふぉっふぉ、元気がいいのう?」
もう一度、笑って見せると、老人はまた川に向かった。
「あの〜」
老人のそばに歩み寄りかがみ込んで、瑠璃は言いづらそうに、さっきから言いたかったことを切り出した。
「ん? なんじゃね?」
再び、瑠璃に向き直った老人は、釣り竿らしきものをしまった。
瑠璃と話す気になったようである。
「この川、魚いませんよ?」
「ほう? なぜそう言いきれるね? やってみなければ分からんだろうに」
老人の声は、心底楽しそうである。
「だって、私ここで毎日水浴びしてますから、分かりますよぅw」
あっけらかんと、とんでもないことを言う瑠璃。
「ほう、そうだったかね? だが、釣れるのは魚だとは限らぬよ?」
普通だったら面食らうところを、老人はにこやかに受けとめて見せた。
「へ? なにが釣れるの?」
きょとんとする瑠璃に、老人は先ほどの釣り竿を取り出して見せた。
それは、釣り針どころか、釣り糸すらついていない、タダの棒だった。
つまりは、低レベルな木製の杖だったのである。
「こんなんじゃ、なんにも釣れないよ〜?」
目を丸くして釣り竿ならぬ杖を見つめる瑠璃。
「いやいや、太公望は真っ直ぐな針で大魚を釣ったものじゃよ」
老人は、なおも優しく笑った。
「たいこーぼー? 真っ直ぐな針で何を釣ったの?」
「ふむ、新しい世界じゃな」
「あっ、知ってる! それって地面に針が引っかかるって意味だよね?」
なんとなく、おしゃべりモードになったので、瑠璃は老人の隣に腰をおろした。
「おお、『地球を釣る』か。よく知っておるのう。釣りをやったことがあるのかの?」
そう言われて、瑠璃はなぜ自分がその知識を知っていたのか、考えてみた。
そして、なぜ知っていたのか、知っていないことに気付いた。
「なんで知ってるのかなぁ? 分かんないやw」
それでも、あまり気にしない。それが瑠璃である。
「ほうかほうかw まあ、ワシは普通では釣れないものを釣ろうとしておるのじゃよ」
「ふ〜ん? よく分かんないけど、すごそうだね?」
「いやいや、暇な老人の暇つぶしじゃよ。なんも凄いことなぞないわいw」
かっかっかと、どこぞの水戸のご隠居のような笑い声を上げて、老人は非常に愉快そうであった。
「それにしても、今日は予想外の大物が釣れたわい」
「へ? なになに? 見せて?」
「気付かんか?」
「気付くってなに? それより見せてよ、その大物!」
「ふむ、見せてやりたいが、それもできん」
「え〜、ケチだなぁ?」
「できんものはできんよ」
ぷうと頬を膨らませる瑠璃と、苦笑する老人。
それからしばし、瑠璃と老人は他愛も無い話を続けた。
相変わらず、老人は釣れた大物とは何か、教えてはくれなかったが。
「話し相手になってくれた礼に、一つ良い事を教えてあげよう」
話に一段落ついたところで、老人は言った。
「良い事?」
「ふむ、お前さんに近々、屋根のある住処が見つかるはずじゃ」
「う〜ん、それはうれしいなぁ! でも、なんでそんなことをおじいさんは分かるの?」
「さて、なぜかのう?」
老人は愉快そうに笑った。
答えをはぐらかす老人に、またも頬をぷうと膨らませる瑠璃であったが、いつしか一緒に笑っていた。
「んじゃね、おじいさん」
「おお、さようならお嬢さん」
パンパンと、お尻のチリを払う仕草をして立ちあがると、瑠璃は元気良く手を振りながら、自分の住処に戻っていった。
そして、老人はまた釣り竿に見たてた杖を水路に向けた。
これは、まあ、それだけの話なのである。