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第35話「運命、止まらず」


 幸いだったのは、六影衆対策の為に、地下シェルターにこもったり、他の都市へ疎開したりしていた人間が、多かったことだ。
 彼らは、光建周辺の安全を兵隊が確認するまで、戻らないことになっていた。
 だから、偵察の兵が『それ』を果てしない荒野の中に見つけた時、大部分の人々は、避難したままの状態だった。
 問題は、光建のライフラインを守る為に地上にいた兵隊たちの避難であった。




「避難急げっ!」




「怪我人を最優先で乗せろ!」




 無傷の人間など、居ない。避難誘導にあたるものも、重傷者を担架で運ぶものも、立っているだけでやっとなのだ。一撃も受けたわけではない。その『存在』が、近くに存在するだけで、彼らは切り刻まれたのだ。
 片腕を失った若い兵士は、天を仰ぐようにして叫んだ。




「なんなんだ、あのバケモノは?!」




 バケモノである。六影衆を前にしても、恐れることなく自らの主君を信じて行動してきた兵士たちが、うろたえている。
 並のことではない。
 並大抵のことではないのである。
















 四神公は、王の間の崩れた壁から、そのバケモノを見ていた。




 漆黒の鎧を身に纏った、屈強なる老人は、顔をしかめていた。
「朱雀殿、拙者たちは、まだここを離れるわけにはいき申さぬ」
 玄武公、アインス=ウォルフ。彼の言う通り、四神公の手を離れた結界は、独立した生物のように蠢動し、安定しない。なまじ強力な結界であるがゆえ、暴走すれば現実空間までをも崩壊させかねない。
「感じるでぇ。やっこさんの狙いは、王の間の封印や」
 女性の如き、艶やかな銀の長髪をたなびかせ、眼を細めてバケモノを睨むは、銀の装飾品が鮮やかなローブを纏う白虎公、ミトラ=ロス。顔は笑っているが、目は笑っていない。
「ほう、あほうのオツムでもその程度は分かるか」
 消えたときと同じく、いつのまにかにセイが現れていた。激戦を経てもなお、その白衣に汚れはない。セイとミトラ、東西の大うつけが睨み合う。
「誰があほうやて!」
「セイ、ミトラ、時と場合をわきまえろ。それより、先生いかがします?」
 竜帝ジエイを医務室に運んでいたシンも帰ってきていた。目の醒めるような青磁の意匠、藍色の鎧を着込んでいる。彼が師と呼ぶのは世界に一人、『朱仙』北条凰斉。真紅の魔導着、バカに大きな眼鏡の好々爺にも、いつもの余裕はない。
「六竜子に、時間を稼いでもらうしかあるまい」
 事務的に、答えた。今の凰斉には、他に言いようがない。
「時間を稼いで、一体何を待ち申すか?」
 シンの当然の質問に、ため息をついた。あまりにむしが良すぎる考えであったからである。
「竜崎勇気と言う男じゃ」









 バケモノは、ゆっくりと進んでいく。芋虫のような足が蠢き、地響きが鳴り響く。




ぐぐぐぐうぐぐぐぐっぐぐぐぐ



ぐぐううぐうっぐぐうぐぐうっぐう



ぐぐうぐぐうぐ




 うめきのような、くぐもった笑いのような、低い轟音。巨大な芋虫のような胴体。そこから、上空へとそびえるように生えた人身。のっぺりとした表面をして、ぬらぬらとした光沢を放つ。見る人が見れば、火気の六影衆、焔斬に似通った部分があることに気づいたかもしれない。




ぐうぐっぐぐぐううぅっぐ




 立ち止まる『それ』。
 同じほどに大きな、大地の精霊が立っていた。咒鬼である。
「死に損ないが! さっさと地獄へ還れ!」
 その肩に、小さな男の子がいた。悪鬼の如き眼差し、北方の少年戦士ガイである。
「大地を汚す者は、何人であろうと許さん!」
 岩の巨人が、両の拳を振り上げ、雄たけびをあげる。




ぐぐっぐっぐううぐ




 咒鬼のごつごつした大きな力強い手が、バケモノを押し止めようと組み付いた。




ぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふ




「何が可笑しい!」
 紛れも無い嘲笑である。一旦はその動きを止めていたバケモノが再び動き出す。圧倒的な力の差に為す術無く、押し返される巨人、咒鬼。それでも、必死に食い下がる。




ぐおうっ!




 ハエでも追い払うかのようであった。バケモノの周囲で、無数の竜巻が起こったのだ。一つ一つが、風気の六影衆、流盤を超える破壊力を持っていた。咒鬼は、真空の刃に切り刻まれ、ガイは吹き飛ばされた。




ぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふぐふ




 バケモノは、満足したように、竜巻を従えたまま、再び進む。
















 忍は、気配がぷっつりと消えてしまったその人物を探し続けていた。
「勇気様は、どこ?」
 医務室。残念ながらここにも、勇気はいない。その変わりに別の人間が横たわっていた。二度ほど、蒼竜公シンに連れられ謁見したことがある。
「竜帝様?」
 答えは無い。なぜなら、
「死んでる・・・」
 答えられないから。
 歴史的な死は、異国の少女によって発見されたのである。後世のある偏屈な歴史家が、たった一行書き残した、一つの場面である。
 忍は、当初の目的を忘れ、立ちすくんだ。忍はただ、賓客として来たのではない。情報を集め、売る為だ。情報戦が、平和な世でのシノビの仕事である。ことの重大性が、恐ろしいほど分かった。
「久遠は、どうなってしまうの?」
 小国の王とは、話しが違う。竜帝は世界統一の象徴である。それが、正式な譲位も無く、後継者の指定もせずに死んでしまったのである。混乱、最悪の場合、戦乱は免れない。
「あっ、そうだ、勇気様探さなくっちゃ!」
 ・・・・・・一つの歴史的場面である。
















 真っ赤にはれた目、ぎらぎらと光る瞳に、激情の炎を宿し、麗子は力の限り叫ぶ。
「お父様の仇!」
 それは、血のように赤黒い炎である。赤い炎は、青い炎や白い炎よりも温度が低い。精神に言いかえるなら、純粋さにかけるのである。麗子は混乱したままであったのだ。なぜ自分がここにいるのかすら、分かっていない。たった今、父の死を看取った。気がつくと、憎むべき炎が、目の前にゆらいでいた。
 ゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆら
 麗子の放ったものは、今にも燃え尽きそうな、蝋燭の炎。仇に辿りつく前に、拡散して消えた。
「効いてないの?」
 現実すら、見えていない。混乱が、更なる混乱を招く。
「なぜ? どうして?」
 彼女は、こういう場合の対処法を、聞いたことも読んだことも、考えたこともなかった。教えてくれる人も、今そばにはいない。
「何がいけないの? 私が何をしたというの?」
 その場にへたり込む。敵の前での武装解除である。それは死を意味する。彼女が冷静であったなら恐らく、効かないまでも攻撃を続け、続けながら撤退の隙をうかがったであろう。
 今、望むべくも無いが。
「なぜ?」
 急速に瞳の輝きが失われていく。彼女が見ているのは、敵の姿ではない。不条理な世界をぼんやりと見ているのである。実体の無いものを見るときに、瞳の焦点は決して合わない。
「なぜ私なの?」
 噛み締めた唇から、血が一滴流れ落ちた。痛みも感じないのであろう。その脇を、バケモノはゆっくりと通り過ぎる。
「なぜ!?」
 麗子の力が、存在が、小さすぎて気づいていないのだ。
 あまりに、小さいのだ。
 あまりに、儚いのだ。
















 バケモノは、歩を緩めない。
 ふと、動きが止まる。人型の、頭の部分がうねうねと変化し、はっきりした顔が現れた。『焔斬』の顔が、首をかしげた。目の前に、見えない壁があるのだ。




 ぐぐ?




 眼前の中空に、気を失い倒れていたはずのエリス、『美弥』の姿があった。
「沢山の犠牲の上に、ようやく完成した封印です。破らせるわけにはいきません」
 きっと結んだ唇は、土気色である。エリスの身体は、限界を迎えていた。精神が物質に優位である久遠では、精神の消耗は、直接肉体を蝕む。
「すみません。あと少しだけ我慢して下さい。エリスさん」
 『美弥』は、両の手を前に突き出し、印を結んだ。その手が青白い。額に玉のような汗が浮かぶ。結んだ両手が、小刻みに震える。額に下がっている宝珠が、弱々しい銀の光を放っている。あと一撃、耐えられようか?
「ほんとうに、ごめんなさい・・・」
 涙である。頬を伝い、流れ落ちた。無駄なあがきである。このまま逃げ出せば、エリスだけは助けられる。少なくとも、この世界が崩壊するまでは、生きていられるだろう。だが、『美弥』にはできないのだ。決して、逃げるわけにはいかない。
「時と空を束ねし竜よ、吾が敵を吾が身より、断絶し給へ、願わくば・・・」
 印を結び直し、言霊の詠唱に入る。唱え終えた時に、命がある保証はない。
 『美弥』のかすむ視線に、人影が映った。長身長髪で、ぼろぼろのマントをたなびかせている。
「・・・あの人は?」
 エリスとバケモノの間に立ちはだかるように、フレッド=ホワイトがいた。暗い決意を秘めた瞳が、バケモノを見据えていた。
「俺がしてやれることは、ひたすらに守ること。ただ、それだけだ」
 愚直なまでの、フレッドの答えである。
「妹に害を及ぼすものは、何者であろうと許さない。エリスの中にいるお前であってもだ。エリスを勝手に死なせるな」
 一陣の冷たい風が吹きぬけた。フレッドの長い銀髪がなびく。神具は無い。手にあるのは、使いなれた槍である。数え切れない人を殺めた、ずしりと重い槍である。




「守る為に使うのは、初めてだ」




 そして、押し止めた。
 大地に足を踏ん張り、槍の先端に全てを集中する。鬼神の気迫である。槍から放たれた『力』は、バケモノを押し返しさえしていた。バケモノは、少し驚いた風であったが、それも短い間のことであった。バケモノの全身が、光りだしたのである。青、赤、黄、白、黒、緑、混じり合い吐き気を催すような、混沌の色となった。




ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ




 バケモノは天に向かって吠える。地は揺れ、天からは氷の矢と稲妻が降り注ぎ、竜巻に乗って青白い炎が燃え上がる。なにより、発する純然たる『力』。兵士たちを一瞬で無力化した、『存在感』という名の見えざる刃。フレッドも耐えるだけで、精一杯であった。しっかりと持った槍の先が震えて、定まらなくなる。
 バケモノの『力』が、弱まった。
「うおぉっ!」
 咒鬼とガイである。バケモノの横腹に猛烈なタックルを見舞ったのだ。
 無数の竜巻に襲われた時、咒鬼は崩れる体で、ガイをかばった。砂と化した咒鬼の中で、ガイは九死に一生を得たのである。再び組み付き、渾身の力で押し止める。ガイの左半身は、咒鬼の側頭部と半ばまで融合していた。生死を賭ける中で、ガイは、精霊召喚を超えた呪法に辿りつきつつあった。
「咒鬼が抑えているうちに! やれ!」
 こんな時でも、否、こんな時だからこそ、ガイはいつもの偉そうな命令口調であった。
 ガイのバンダナが、はずれており、抑えていた前髪が、眼にかかっている。成長期の少年なのだ。旅に出てから伸ばしたままにしていた。邪魔にはならない。咒鬼の眼は、ガイの眼。精霊使いの少年は、確実に成長していた。
 フレッドから冷静さが、消えていた。むしろ冷静な理性などは邪魔だったろう。純粋な想いこそが『力』となる。憤怒、明王の形相なのだろうか。守るべき者のため、彼はまったき修羅の化身となった。
「うおぉぉぉぉっ!」
 全身から霊気をしぼり出す。フレッドは、自然から力を受けることをしない。自然から力ずくで熱(エネルギー)を奪うことで、フレッドの冷気は発生する。常人なら、とうに発狂していても不思議のない無茶である。命の水の力を借りることなく、己が心を凍てつかせることで、フレッドは戦ってきたのだ。
 今、フレッドは、絶対零度、死の世界の住人となった。
 槍を、遥か上方のバケモノの頭部に定め、フレッドは大地を力強く蹴った。








「食らえ!」








 刹那、フレッドの中の、何かが変化した。心ではない。彼の心は凍りついたままである。変化したのは彼の属性。水気の竜子であるはずの彼には、シンが指摘したように金気の『力』もあった。二つの『力』が、フレッドを媒介にして、昇華しつつあった。
 手にした槍が、白銀光を放つ。
 『金』の力が弾け、銀の翼が開いた。




 そこに、天使がいた。美しくも恐ろしき、白銀の死天使である。
















「我らが神が、復活なさる!」
 興奮で、声が上ずっていた。己が身長の二倍はあろうかという杖を持った、老人である。バケモノとフレッド、ガイの闘いをはるか後方の上空から眺めている。
「貴様、光か」
 すぐ背後で声がした。老師ガリュウである。
「再び、久遠に戦乱がやってくる。貴様はその意味が分かっているのか?」
 詰問ではない。激情の表現としての声である。突然背後に現れた気配にも驚くことなく、老人はゆるゆると振りかえった。
「ふむ、ぬしら闇の者から、そのような台詞を聞こうとはな」
 老人の声から、歓喜の色は隠しようもない。ガリュウは、それが我慢ならなかった。
「答えろ。貴様らの目的は何だ?」
 更に声を荒げる。
「知れたこと」
 そう言って、杖の老人は唐突に消えた。杖の老人の不敵な笑みが残る虚空を、黙って睨み続ける老師。
 入れ違いに、ロバートが唐突に現れた。
「六竜を宿した勇気君と、同程度の『力』ですね。フレッド君も、あのジャンボ焔斬も。大いなる二つの力の衝突は、禁門(ゲート)を開く鍵となる。負け、ですね。老師」
 ロバートの口調は、事此に到ってもなお、ひたすらに清々しい。
「せめて、一矢報いよう。我ら自身の手で封印を解き、リュート=ブレイブハートと竜崎勇気を召喚する」
 奥歯を噛み合わせる、ギリギリという音が聞こえて来そうである。
「なるほど、今後に備えるわけですね。このままでは、フレッド君もガイ君も失ってしまう。そうなるよりは、自分の手で・・・ですか。さすが、二百華巡生きた方は物事の見方が大きい」
「茶化すな、ロバート」
「あはは。すみません、性分なので。じゃ、行きますか」
 そう言って、ロバートは空に消える。
「あと少しであったものを」
 老人が消えた方を再度睨み、老師ガリュウも消えた。
















「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
















 六色の光と、一筋の白銀光が、激しく衝突した。
 衝突により、あたりは閃光に包まれた。
















 そして、
 衝突の地点から、少し離れた場所には。







「あれ?」
 あれ、じゃないって。
「ここ、どこ?」
 いや、だからね。
「あのまぶしいのは、僕の身体から、離れて行ってしまったみたいだね」
 みたい、ってあんた。
「みたい、ってお前」
 あ、かぶった。って、轟刃がしゃべっとる!




 ・・・とりあえず、我らが主人公、復活である。
















 そして、



「そうか、そういうことか」




 焔斬の声が、バケモノの消え去った虚空に響いた。




 物語は、続く。







<1章 完>








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