そこには、麗子と鴻介しか居なかった。
「お父様!」
もう何度叫んだのだろう。信じられない程の涙が、涸れることなく流れ出た。まるで、身体中の水分をしぼり出さんとするかのように泣いた。自分が無くなりそうで、そうせずには居られなかった。
腕の中の父は、微笑んでいた。
「麗子、だな。大きくなった」
「お父様、あまり喋らないで」
「お母さんに似て、美人だ」
「今、お助けしますからっ!」
「男は、選べよ」
「お願いだから、」
「じゃないと、母さんみたいに、苦労するぞ」
「お願いだから、もう喋らないで!」
「年頃の娘を持つと、心配なんだ」
「お父様……」
「幸せに……、な」
「お父様っ!」
声を上げて泣くこともままならず。ただ、低く嗚咽するばかりであった。
あたりは、また無機質な世界に戻っていた。
どこまでも続く、白い地面、黒い空。
勇気は、一人憮然と突っ立っていた。
その視線の先には、ロバートがいる。
他には、誰もいない。
「分かってるよね」
だらりと下げた勇気の剣が、まばゆい光を放っている。あまりの光量に、剣とそれを持つ手の輪郭が見えない。白い闇である。
「君には、申し訳ないと思う」
勇気は微動だにしない。
「だが、結局、どの方法を取ろうとも、君には犠牲になってもらうことになってるんだ」
「左様」
何処からか、老人が現れた。老師ガリュウである。
「あなた様には、『光竜』と共に眠って頂く」
勇気は、微動だにしない。
「お前が右手に持っている剣は、大規模な陰陽の衝突により、禁門(ゲート)を開く鍵に変化した。現に、圧倒的な光が漏れ始めている」
ローブ姿のサングラスの僧侶。『参謀』と呼ばれた人物である。
「我々は、この瞬間を待っていた。『光竜』を完全に封印することができる。この一瞬を」
「真実を、教えよう。今更かもしれぬが、何も知らぬより、幾分はましであろう」
『司令』と呼ばれた存在。
「我らは、闇の者。『闇竜』の加護を受け、世界を守る為に闘ってきた」
―――この世界の支配者は、光、すなわち『光竜』と言われている。
だが、違うのだ。
太古に、『光』と『闇』の戦があった。
そう、それは間違いのないことだ。
しかし、
勝利したのは、『闇』なのだ。
首都光建の地下深く、鎮座する神竜は『闇竜』。
我々が見ている光は、『火』によって間接的にもたらされたもの。
真なる『光』は、あまねく全てを照らし、全てを律す。
久遠に真なる『光』『秩序』は存在しないのだ。
亜空間に閉じ込めた『光』から、『秩序』を司る部分のみを解放し、手を加えた不完全なもの。
久遠を支配する『秩序』は、『闇』が無理矢理に作りだしたマガイモノなのだ。
故に、久遠の人間は、『秩序』を離れた『力』を行使することができる。
『闇』は、部分的解放の必要性から、『光』を完全に封印することができなかった。
不完全な封印は一万二千年後、破られる。
『闇』は、その時に備え、『闇の者』に命じ、完全な封印の術を研究、完成させた。
そして今、長きに渡る『光』と『闇』の闘いが、終わろうとしているのだ。
「その方法は、実に簡単に見つかった」
「一万二千年前に執り行われた封印は、三代蒼竜公リュート=ブレイブハートの『存在』を媒介にし、『光』を具現化させ、我々と同等の『存在』として固定し、その上で亜空間に封印するというものだ」
「媒介が不完全だったのじゃ。ゆえに封印を完全に制御下に置くことができなんだ。その状態での『光』の完全封印は即ち、世界秩序の崩壊を意味する。我々は不完全な封印によって、無理矢理に辻褄を合わせるより他なかった」
「精神世界『久遠』と物質世界『刹那』、二つの世界は微小な生物に到るまで、完全に対応している。媒介となったリュートにも、勿論、対応存在がいる。それが君だ」
『司令』の眼が、漆黒に輝く。勇気は魅入られたように、動けない。
「つまり、リュート=ブレイブハートと竜崎勇気が二人揃って寄り代になれば、世界の秩序を司る部分だけを意図的に制御しつつ、光竜を完全に封印できるって寸法なのさ」
熱を持った剣の輝きが増すに連れて、意識が遠のいていくのが分かる。
「僕は、死ぬのか?」
「死ぬわけではない。が、限りなく死に近い状態になる」
「そう、永遠に眠っているような状態だからね。何者かが封印を破らない限り、目覚めることができないんだ」
「我々を恨んでもらって構わぬ。我々は自分の勝手な都合で、お主を巻き込もうと言うのだから」
「長話が過ぎたようだ。『光臨』するぞっ!」
『参謀』の怒声に消し飛ばされるように、勇気の意識は消えた。
『研究所』である。『主任』ジョージ=ハーバーが、数十人のオペレーターの間をせわしなく行ったり来たりしている。
「観測データの解析は?」
「焔斬消滅の確率、八割四分。亜空間の事象では、これが限界です」
「ほぼ確定か。では、最終ステージ『封印』が始まっているはずだな」
「! それらしき反応を補足しました」
「メインに回せ」
「測定不能の要素が多すぎます」
「構わない。全てのデータを表示しろ。判断は私がする」
「りょ、了解」
いつも冷静な、『主任』はそこにはいない。気迫に押されるようにして、オペレーターは震える手で操作した。ジョージは流れ去る幾億の文字列を、じっと見つめる。
「陰陽が、中和している? いや、異常な大きさの二つの『力』が存在していると言うことか?」
瞬間、オペレーターの十数人が悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。ジョージも額を抑えてよろめく。
「『光臨』かっ! 『秩序』の力がこれほどまでとは。相手はまだ別次元だぞ」
「『主任』っ、何も見えませんっ!」
この場合、『見えない』とは、眼が見えないのではない。
「慌てるな。『秩序』の影響だ。能力はほとんど使えなくなったと思え。システムUの使用を許可する。できるだけ情報をかき集めるんだ」
「何が起こっている?」
玄武公、アインス=ウォルフである。
「蒼竜の小僧は消えてしまった。にも関わらず、四神相応図は崩れぬ。それにこの頭痛は?」
「そや、あのボケがどこぞにトンズラしたかは構わんが、相応図は四人が揃わなアカンのやろ?」
白虎公、ミトラ=ロス。顔が青白く見える。
「恐らく、内部の空間に何かが起こっているのじゃろう」
朱雀公、北条凰斉。その顔も厳しい。
「何か、やて?」
「北条殿、して、その何かとは?」
「確かなことは言えぬ。じゃが、恐らくは『光臨』……」
その単語に、一瞬にして顔を強張らせるアインス。
「なんや? 光竜の神さんが小僧の手助けでもしとんのか?」
ミトラは、知らないのだ。
「ミトラ、それは……」
「そうじゃな。そんなところじゃろう」
アインスの言葉を遮る凰斉。
凰斉の眼を見、アインスは何かを悟ったようだ。
「さよか、ほんなら、神さんが結界を引き継いでくれとるちゅうこっちゃな」
一人、合点するミトラ。
「神さんが出て来たら、決着もすぐつくんとちゃうか?」
「ああ、そうじゃの。もうすぐ結果がでるじゃろ」
望むべき結果は、しかし、凰斉の心に暗くのしかかるのであった。
「我を、
「我を、封ぜしめた、
「我を、封ぜしめた、闇の者よ。
「我を、封ぜしめた、闇の者よ。我が、
「我を、封ぜしめた、闇の者よ。我が、裁きを、
「我を、封ぜしめた、闇の者よ。我が、裁きを、受けよ!」
勇気の口から吐かれたのは、彼にもっとも相応しくない声だった。他を圧倒する迫力。膝から崩れ落ちそうになる厳かな響き。神にはあるはずの無い、『怒り』が、溢れているようだった。
「そうは参りませぬ。『光竜』様」
凛とした老人の一言から始まった、真の最終決戦は、四神公の手を離れた亜空間結界の中で、熾烈を極めた。
神の操る剣は、光の如くに乱舞し、その度に発せられる光は、太陽に数倍する熱量で空間を薙いだ。許容限界を超えるエネルギーの奔流に、時空は歪み、白い大地と黒い空だけの世界が、廻り廻る混沌の渦と化していた。
闇の者は、堅実であった。空間を固定するもの、攻撃を防ぐもの、攻撃して相手をけん制するもの、そして、封印の呪を唱えるもの。四者がそれぞれの役割を忠実にこなした。一万二千年かけて仕上げた呪法と陣形である。いかな神とて、なまなか破れるものではない。
四人の人間に包囲された『神』は、手負いの獣のように荒れ狂った。彼は、もともと『秩序』である。実体を持たず、全てに超越した存在。それが、たった四人の小さな人間に、追い詰められていた。彼は恐らく、四人の背後にいる『闇』を見ていた。かつて、袂を別った兄弟の深く沈んだ瞳を見ていた。
数年か数秒か、『闇』の呪法は完成し、竜崎勇気の形をした『光』は、永遠に閉ざされた世界へと封ぜじられた。
これが、この物語の一つの結末である。
※あとがき
彼らを非難する向きもあるでしょう。
彼らは、一万年余りの間『久遠』の人間達を騙し続けた。
あまつさえ、自分の支配を確実とする為に、罪の無い青年を犠牲にした。
だが、しかしです。
『光竜』に勝利したときから、『闇竜』は『久遠』の支配者になったのです。
『久遠』に住む人々は、もはや『闇竜』の存在無しでは、生きられない。
『闇』の支配の下、一万年以上の平和が続いたことを忘れてはならないのです。
高尚な理想を追うのも、結構でしょう。
ですが、現に生きている人々の生活の方が、重要ではないでしょうか?
声高に『秩序』を叫んでも、人々が変わるわけではありません。
考えれば、誰にでも分かることです。
人々は、少なからず『影』や『闇』を持った存在なのですから。
崩壊し、かつての威厳の面影もない大都市、光建。
ですが、この闘いで死者は一名しか出ていません。
生き残った人々の手で、いずれ力強く復興を成し遂げることでしょう。
見上げれば、空は青く澄んで、とてもきれいです。
多少、まぶしいですが……
ん?
何かが浮かんでいます。
あれは、人?
それは、数メートルはあろうかという巨大な杖を持った、老術師であった。
長く伸ばしたあごひげと、黄金色で染め上げた法衣が、上空の激しい風になびいている。
「そうはさせぬぞ。『闇』よ」
その手にあるのは、妖刀『焔斬』のカケラ。
そう、物語はまだ、私にあとがきの執筆を許さないのですね。
それでは、
第1章最終話へ参りましょうか。