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第12話「春(ひがし)を治める紳士、漫才をする」

「朱雀、玄武、白虎とまわって来たんじゃから、蒼竜もまわらねばいかん」
 訳のわからない凰斉の言い分により、勇気と麗子は新たな竹刀(?)を持って、蒼竜公領の都『導真』を訪れていた。




 民による自治を行う『衆』の都、導真。




 古には、朱雀の『智』、玄武の『武』、白虎の『呪』を統べ、光竜の真理を実現する『行』の都であったと言う、格式高い都市である。蒼竜公領は、緑豊かな大地ゆえに、農業が盛んであり、久遠の穀倉地帯の役目を果たしており、東と南に海を臨み、水産業も大いに栄えている。その中でも導真は、東の海に浮かぶ大小さまざまな島国との交易から、西の弥陀、東の導真と呼ばれるほどの、商業の街である。








「まだ買うのかよ」
 我らが主人公、両手いっぱいの荷物に不満を絵に描いたような顔をしている。
「あったりまえでしょ!」
 なんだかんだで、弥陀で出来なかったショッピングを、ここ導真でやっている麗子。品揃えに多少の見劣りはするものの、やはり、異国の品々が集まる商業都市、麗子の目線は先ほどから、一点に定まることが無い。自由になるお金があまりに大きいために、その衝動買いの規模はとてつも無い。
 実際、勇気が左右の手でそれぞれ持っている品物のタワーは、とうの昔にビルの二階よりさらに高くなっている。
 今回の導真訪問には、なんの目的も無い。ただ、訪れるだけである。『影』は、未だ活発に活動しており、それどころでは無いハズなのに、またも凰斉の強硬な意見が通った形になった。勇気と麗子だけで無く、凰斉の近臣達もなんとか凰斉を説得しようと試みたが、詮無きことであった。凰斉は一度決めたら、頑として譲らないのだ。
「次は、あのブティックよ!」
と、言う訳で、麗子はすばやく考えを切り替えて、『気晴らし』をすることにしたのだった。
「はいはい」
 無論、勇気の気晴らしになってはいないのだが。
















 純和風の邸宅が、広大な森林公園の中に堂々とその居を構えていた。その縁側に当たる部分で、小春日和の日差しを浴びて一人の男が座布団に正座でお茶をすすっていた。
「平和ですねぇ」
 歳はどう見ても三十代前半、下手をするの二十代に見えなくも無い。紺の着流しの上に藍色のちゃんちゃんこをはおり、まるでジジくさい。
 左手で茶碗を横から持ち、右手を茶碗のそこに当て、ズズーと実に美味そうに飲む。茶碗をそっと置くと、傍らに置いてあった羊羹を一切れ、爪楊枝で刺して口に運ぶ。
「蒼竜の人間が言うのもなんですが、羊羹はやはり白虎のものが一番ですねぇ。この上品な甘さがなんとも……」
 そう言いながら、もう一切れ口にほうり込み、目を閉じてしっかり味わう。その後、お茶を再び手に取り、ズズーとやる。お茶は玉露の最高級品である。
「はぁ、幸せとは、かくも身近な所にあるものなのに、皆さん気づかないんですねぇ」
 切れ長の目をさらに細め、空を緩やかに流れている雲に目をやる。彼の周りだけ、時間が非常にゆっくり流れているかに見える。
 トポトポと急須からお茶を注ぐ。
 茶碗から立ち上る蒸気までも、心なしかゆるゆるとしている。
 実に静かだ。








「シン! いるか?」

 どたどたと言う足音と共に現れた人物により、静寂は破られてしまった。
「セイですか。どうしました?」
 半ばうんざりとした様子で、現蒼竜公、星雨真羅(せいう・しんら)は来訪者を迎えた。
「おっ、やっぱりいつもの所にいた! 聞いてくれ、とうとう…」
「発明した、ですか?」
 薄汚れた白衣に身を包み、牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけた中肉中背の男である。お約束の様にその頭髪は大爆発をしている。彼こそは、蒼竜公シンに唯一ため口をたたける男、新谷清明(しんたに・せいめい)なのである。セイは、味もそっけも無い応答に多少出鼻をくじかれながらも、続けた。
「その通り! いやあ、親友の君はよく分かってくれている」
「腐れ縁、の間違いじゃ無いですか?」
 ズズーとやりながら、答えるシン。それを強引に黙殺し、セイは続ける。
「今度のは今までのとは訳が違う! 何しろ構想十数年…」
「そのまえは二十数年でしたね」
「昔のことは忘れた! とにかく凄いんだこの『シャンプー君五百二十一号』は」
 いつの間にか、縁側の面している庭に、妖しげな機械が運び込まれている。
「五百二十回失敗したんですね」
「失敗は成功の母。朱雀大で習ったろ」
「ものには限度と言うものがあります」
 出来損ないのお化けエンジンを、横目に見ながら、きっぱりと言って捨てるシン。そのあまりに突き放した態度には、理由があった。
「いいから試してみてくれよ!」
 学生時代から、シンは実験台にされつづけてきたのだ。しかも、ろくなことになった試しが無い。なのに、どうしてセイは今でもシンに頼むのかと言うと、
「白虎の羊羹十本でどうだ!」
「そ、それは……」
 弱点を知っているからである。
「で、でも、今回はどうしても嫌です」
「イチゴ大福も用意している」
「うっ」
「よし、水羊羹もつけようじゃ無いか!」
「……やります」
 和菓子には、特にお茶に合う和菓子には目が無いシンなのであった。








 しばらくして、蒼竜公公邸で爆発テロ騒ぎがあったのは、言うまでも無い。








「さて、そろそろ今日の宿へ行きましょうか」
 人間は、果たしてどれくらいの荷物まで持てるものなのか? と言う勇気の挑戦が限界に達しようとしていた時、麗子から救いの言葉が出た。
「は、早く行こうぜ」
 前は勿論、視界のほとんどが塞がれ、荷物の間のわずかな隙間から目を覗かせている勇気が、せかすように言う。
「まあ、そんなに急ぐことも無いわ。すぐ近くだもの。ほらあそこ」
 わずかな視界から、勇気が見たそれは、こんもりとした森林公園らしきものであった。
















「……」
 人が集まる街には、当然のように裏の顔がある。そんな昼も薄暗い地下酒場の一つのカウンターに彼はいた。ジプシー風のヴァイオリンが、不健康な活気に満ちた酒場に洒落た雰囲気を加えている。
「……」
「お、お客さん」
 普段は豪快な人柄で知られる親父も、この妙な沈黙を守る青年は苦手らしい。
「何か、ご注文は?」
 もう、十回は繰り返した台詞をまた繰り返す。反応は無い。普通なら、冷やかしはお断りだ。とっとと失せろ!と怒鳴って追い出すところだが、親父は長年の感から、この寡黙な青年が只者ではないことを感じ取っていた。
「はあ」
 この小説、やたらとため息をつく人間が多いのは気のせいだろうか?
「やんのかてめぇ!」
 やがて、別の客同士が喧嘩騒ぎを起したおかげで、親父は青年から解放された。
「ちくしょう! やりやがったな!」
 ところが、今度はその喧嘩のほうの収まりがつかなくなってしまった。親父受難の一日である。止めに入った親父まで数発殴られてしまう。途方にくれる親父を救ったのは、意外な人物だった。
「止めときな」
 目を丸くして、その人物を見たのは、フレッドと店の親父も含めた店の客全員であった。喧嘩をする双方の振り上げた拳を各々片手で抑え、軽々と捻り上げる。
「音楽家が、しゃしゃり出てくんじゃねぇよ!」
 いつの間にか、演奏を止めたヴァイオリン弾きであった。既に出来あがってしまっている喧嘩の当事者達は、そのあまり逞しいとは言えない容姿を甘く見て、ヴァイオリン弾きに殴りかかった。しかし、完全に手首を決めてしまっているヴァイオリン弾きに、難なく組み伏せられてしまう。実に鮮やかな手つきだった。
「下手に動くと、手首砕けるよ」
「……」
 フレッドは、内心、世界は広いものだ、と一人感心していた。
 先日の白虎公公邸での一件で手合わせた蒼竜の青年もそうだったが、あのヴァイオリン弾きも、自分と同等の実力者である。ほんのわずかな動きを見ただけだが、闇を生き抜いてきたフレッドには、それで十分だった。
「今度来るときは、大人しく僕の曲聴くように」
 爽やかに笑いながら、ヴァイオリン弾きは二人を外に放り出してしまった。
「すまんな、ロブ」
 親父から、ロブ、と呼ばれた男は肩をすくめるようにすると、
「折角、僕のヴァイオリンを聴きに来てるお客に、嫌な思いをさせたくないからね」
と、またも爽やかに笑った。
 きれいなブロンドの髪がさらさらとなびき、少し眼のところにかかる。それをなんとも優雅な動きで払うと、黒褐色の澄んだ瞳が現れた。年頃の女性でなくても、見とれてしまう端正な顔立ちだ。
「おい、あのヴァイオリン弾き……」
「ああ、噂のロバート卿にちげえねぇ」
 ぴくり、とフレッドの耳が動く。どうやら、くだんのヴァイオリン弾きのことを言っているらしい。
「通りで、ヤケにいい曲だと思ったぜ」
「滅多なことは言わねえ方が身のためだ。あの人に逆らったら、この街の裏世界じゃ生きていけないって言うぜ」
「いや、あの人は物の道理ってモンを分かってなさるからな。よほど人の道に外れたことをしねぇ限り大丈夫だ。礼を重んじる貴族みてぇだから、卿って呼ばれてるんだ」
「それも噂だろ」
「そういや、この前人身売買グループを三つ壊滅させたらしいぜ」
「一人でか!」
「さっきの動き見たろうが。半端な強さじゃねぇのさ」
「裏の顔役たちも、一目置いているらしいな」
 フレッドは、麗子や勇気とは違い、ただの暇つぶしに来ているわけではない。目的は蒼竜公の暗殺。しかし、ただ乗り込んで行くのではプロとは言えない。しっかりした情報収集が肝要なのだ。相手の『力』、警備の配置、戦力、最も安全な侵入、脱出経路の確保。弥陀の時は、依頼人が現地の最高権力者であったので、そのような手間をかけずに済んだが、今回は何の応援も無しで、全てを一人でこなさねばならない。もっとも、それがいつものことなのだが。
「……裏に顔が効く、と言うことは、裏の事情にも詳しいと言うことだ」
 ポツリと呟くと、ロバートの方を見やる。再びヴァイオリンを構え、演奏を始めるところだ。
「……終わるまで待つか」
 演奏を中断させるのが得策ではないのは、先ほどよく分かった。時は夜である。あと数時間もすれば、終わると踏んだのだが、
「……」
 翌日の明け方、ようやくロバートがヴァイオリンをしまった時、フレッドの手は、背中の槍にかかって震えていた。








「……少し聞きたいことがある」
「何かな?」
 徹夜でヴァイオリンを弾き続けたにしては、ヤケに爽やかな笑顔で、通称『ロバート卿』は問い返した。
「あんたは、この街の裏に詳しいらしいな」
 対するフレッドは、普段の鍛え方か、少しも疲れた様子は無いものの、殊更不機嫌な仏頂面である。
「まあね」
 歌うように、とはまさにこのことを言うのであろう。
「蒼竜公公邸について、聞きたい」
「何か、盗む気?」
「……質問に答えてもらえないのなら、他を当たる」
「まあまあ、人の仕事に口を出すほど野暮じゃないさ」
「……」
「いいよ、君は最後までちゃんと聴いてくれてたから、教えてあげよう」
「……」
「君、ホント無口だね。小さい頃、友達いなかったでしょ」
「……」
「まあ、いいや。蒼竜公公邸なら、取っときの情報があるよ。蒼竜公の政党『平民党』のライバル『聖民党』がね、蒼竜公シン暗殺計画を近々実行に移すらしい。決行は明後日の深夜。君の同業者が、十数名雇われてるよ。だから、っと、後は言わなくても分かってるよね?」
 暗殺計画の実行部隊となれば、それはやはり暗殺者であろう。フレッドのことを同業と言ったと言うことは、ロバート卿はフレッドの職業を看破していることになる。なかなかどうして、食えぬ男だ。
「……感謝する」
 素直な言葉ではあるが、その中に、力ずくで喋らせる手間を省いてくれて、と言う意味合いが含まれているのは、冷たいその眼を見れば明かである。
「健闘を祈るよ。『死の白天使』君」
 自分の異名を言い当てられて、フレッドがたじろいだ数秒の間に、ロバート卿は踊るような足取りで、路地の闇の中へと消えていった。
「……」
 フレッドの手には、愛用の槍があった。情報を聞き出したら、始末するつもりだったが、最後まで食えない男だ。この街の裏世界に名を轟かしているのもうなずける。
「……明後日の夜か」
 ニヤリ、と笑うと、彼もまた闇の中へ消えていった。
















「今日と明日と明後日の宿を、提供すればいいんですね?」
「ええ、お願いできるでしょうか?」
「ははは、他ならぬ麗子お嬢さんの頼みだ、断るハズ無いでしょう」
「セイ、ここは私の家だよ。君は黙っていてくれませんか?」
「なんだ、恩師の孫娘とそのフィアンセに宿を貸せないとでもいうのか?」
(ここでもか。)←勇気
「そんなこと言ってないでしょう? お嬢さん喜んで引き受けましょう」
「ありがとうございます。星雨様、新谷様」
「そんな他人行儀な。昔のようにシンお兄ちゃんと呼んでくださいよ。それと、こいつは呼び捨てでも構いませんから」
「なにおおおぉっ! シン、貴様という奴は……」
「シンお兄ちゃんも、セイお兄ちゃんも、変わらないわね」
 クスリ、と麗子が笑うと、勇気を除く全員の笑い声が響いた。

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