手に入れた情報を整理する。
一つ、まわりは無人の森林公園で、公園の内部では警備は無いに等しい。
一つ、明日の深夜、蒼竜公公邸は襲撃される。首謀者は聖民党党首、東間秀辰(あずま・ひでたつ)
一つ、今までも何度か、襲撃に遭っているらしい。しかし、その全てが、原因不明の失敗をしている。
一つ、全ての刺客が、記憶を無くして発見されている。(ご丁寧に依頼人宅前に届けているらしい。)
一つ、蒼竜公本人には『力』が無いということが、確認されている。
考えられるのは、蒼竜公シンのそばにいつもいる、セイという科学者が、とんでもない実力者である、と言う可能性。または、シン自身がその『力』を隠している可能性。そして、セイの近くに、完璧に気配を消した護衛がいる、と言う可能性。
『力』の有無に関しては、多くの実力者たちの証言があり、それらの全てが、虚偽または騙されているとは考えづらい。セイが『力』を持っているのも確かだが、凄腕の暗殺者を圧倒するだけの実力は、もはや四神公クラスと言える。また、気配を消すのも気配を探るのも、暗殺者にとって十八番であり、完全に気配を隠しきれるとも思えない。どれもありそうで、その実、なさそうでもある。
注意すべきは、全ての刺客が記憶を失っている、と言う点。そこには必ず何らかの『力』の存在があるハズ。
「……面白い」
記憶を操る『力』など、聞いたことも無いが、もし存在するなら、相手にとって不足は無い。彼はもっと強くなることを望んでいる。弥陀で逢った蒼竜の青年であれ、件のヴァイオリン弾きであれ、どんな相手であろうと殺せるだけの強さを。ただ、ひたすらに強く。今度こそ、守りきれるだけの―――
「……」
守るべきものなど、とうの昔に無くしてしまったというのに。
「兄さん」
懐かしい声に呼ばれた気がして、少女は膝にうずめた顔を上げた。薄暗い、まるで石牢のような無機質な部屋。最低限の家具とベッド、そして鉄格子のはまった窓。そのベッドの上で、少女は膝を抱えて泣いていたらしかった。泣きはらした目から、再び大粒の涙を流す。泣いてもどうしようも無いのは、分かっている。しかし、涙は止まらない。
「……兄さん。……うち……、もう……死んで……しまいたいわ。もう、なんも……かんも……ようなってしもた……」
首飾りに語りかける言葉は、とぎれとぎれになり、最後には嗚咽に変わっていた。
「なんだ、ただの護衛の兄ちゃんなのか」
セイの口から、その言葉が出たとき、麗子は心の中でガッツポーズを決めていた。昔の思い出話のネタが尽き始めた次の日の夜、セイが、勇気と麗子の間柄を茶化し始め、それに対し、麗子が猛然と抗議してからはや三時間。
居間の四角いコタツを囲んで、時計回りに、シン、セイ、麗子、勇気。それぞれあぐらや正座など、思い思いの座り方をしている。コタツの上には、刺身などを中心とした日本食(?)が、既にたいらげられている。しかし、仮にも四神公の一人の家が、こんなに小さく庶民的でいいものなのか。平成ニッポンの一軒家の方が、まだ立派に見える。
「本気で信じていたんですか? セイ。相手はあの凰斉先生ですよ?」
こちらは、呆れ顔のシン。恩師の性格は、生徒時代に痛いほど分かっていた。内心、勇気の境遇に同情すらしていたのだ。セイも同じと思っていたのだが、彼の腐れ縁の男は、どうやら忘れていたらしい。
「そういや、そうだ」
言われれば思い出すのだ。こういうのを『抜けている』と言う。
「君は相変わらず、抜けていますね」
そのまんま、言ってしまうシンも考えものである。彼も別な意味で『抜けている』のであろう。
「貴様! 何を言うか! ちょっと忘れていただけじゃないか!」
「あの強烈な性格を忘れるのは、『抜けている』以外の何者でもないと思いませんか?」
「なっ、言わせておけば!」
言葉は激しいが、決して掴み合いの喧嘩にはならない。彼らにとっては口喧嘩は、単なるコミュニケーションの手段である。
「いいのか? ほっといて?」
「いいの。お兄ちゃんたちはいつもああなんだから」
「そうなのか」
「そう」
なんとは無しに、居心地が悪い勇気だが、麗子は慣れたもので、紅茶を飲みながら事態を静観している。
「そんなもんかな」
よくよく見ると、当の二人の目は楽しそうに笑っているのだった。
「そんなもんなんだな」
納得する勇気であった。
薄暗い倉庫のような場所。
「いいか、これが最後のチャンスだ。次は無い。また失敗して俺の家の前に寝転がってたら、命は無いものと思え」
紺のスーツに身を包み、中央に立った一見やくざ風の男が、だだっ広い空間全体に向かって、どすの利いた声で言う。いかつい体つきで肩幅が広く、スーツでは窮屈そうである。四角い身体の上に、四角い顔が乗っている、とでも言おうか。後ろの護衛らしき男達は、この暗闇の中でも、サングラスをはずさない。バカなのではなく、サングラスを通すことで、暗視カメラのような『力』を発揮するのだ。
「分かっている。我々とて、このままではプライドが許さない」
全身黒づくめの男達が、そこここの闇の中に潜んでいるらしかった。姿を見せようとはしない。闇の中から、声だけが響いてくる。
「プライド? 笑わせるな。紐でぐるぐる巻きになって転がっていたのは誰だ?」
「弁解はしない。我々はミスを犯した。それは事実だ。これ以上のミスは許されない。もし再び失敗するようなことになれば、貴方が我々を殺すまでもなく、我々は自害するだろう」
「頼もしいことを言ってくれる。決行は明日の深夜一時、一応、期待して待っていよう」
「ああ、必ず殺す」
その、倉庫の上。
「さてと」
暗闇の中、異様に爽やかな御仁が、いらっしゃっていたようで。
運命の夜。
森林公園の壁沿いに、足音も無く移動していく一団。
一人が、さっ、と壁を乗り越える。辺りをすばやくうかがい、安全を確かめると、仲間を手招く。次々に壁を乗り越える、黒づくめの男達。
道のついていない森林のなかを、影が滑るように移動していく。
「……なかなかの連中じゃないか」
彼らが侵入した壁から、少し離れたところにある木の上。フレッドは、予想以上の腕を持っているらしい同業者に、困惑していた。
「……あれだけの腕と人数でも、適わないというのか?」
フワリ、と音も無く飛び降りる。手には愛用の槍。
「……」
黒づくめの男達と同じく、滑るように、しかし、倍以上のスピードで彼も移動を開始した。
しかして。
「どうなるのかな?」
そのすぐそばの暗闇から、明るい爽やかな声が聞こえたとか、聞こえなかったとか。
「セイ?」
蒼竜公シンは、隣に座っていた男が、何も言わずに急に立ちあがったのを見て、思わず声をかけた。
「お客さんだ」
「客ですか?」
勇気と麗子は、この男、セイの悪戯によって、酒をしこたま飲んでしまい、隣の部屋で寝ている。(よーするに、激辛料理の脇に、日本酒(?)を置いといただけだが。)
「お前に用があるらしい」
「そうですか」
シンは、それだけで全てを了解した。深くため息をつくと、セイの次の台詞に備える。
次の台詞はいつも同じ。
「こんなこともあろうかと!!」
耐えようとしたが、やはり、たまらずため息が出てしまった。セイは、片方の手を腰にし、もう片方の握りこぶしを天に突き出して、感無量らしい。
この台詞を言うために、前回の相手にわざと再チャンスを与えたのだ。セイによると、科学者たるものの生きがいは、この台詞を人生の中で何回言えるか、らしい。
それは違うと思うのだが、シンは放っておいている。他人の趣味に口出しするのは、民主主義のポリシーに反すると思っているのだ。友人としての忠告、と言う考えは無いのだろうか。
「ふっふっふっ。取り出したるは、このスイッチボックス!」
げんなりした様子のシンを無視し、セイはどこからか五つのボタンと、五つのランプがついた金属の箱を取りだし、コタツの上に置いた。
「―――、これはなんです?」
聞いてやらないと、後が怖い。学生時代から、もはや数百回は言ったであろう台詞を、ため息とともに吐き出す。
「よくぞ聞いてくれました!!!」
この台詞も、生きがいの一つらしい。子どものように目を輝かせて、セイは、振り上げていた右手で、シンを指差す。
「このランプは、お客が今、どのゾーンにいるかを示し、そのすぐ下のボタンは、それぞれのゾーンにしかけた、僕のかわいいトラップたちを発動させるのだ!」
以前と全く変わらない台詞と動作を、寸分の違いも無くやってのける。科学者より、科学者役の役者の方が向いていると、シンは密かに思っている。
「さあ、お客はグリーンゾーンを通過中だ。やるんだシン!」
ずいっと、箱をシンの方に押しやるセイ。
「なぜ、僕が押さなきゃならないんです?」
理由はわかっていたが、一応聞いてみる。
「ふふふ、その中に、一つだけ『ハズレ』があるのだ!」
またも、答えは薄々分かっていたが、聞いてみる。
「―――、ハズレを押すとどうなります?」
「この家が、吹っ飛ぶ」
無言で行動に移す。首の急所を確実に締め上げる。
「ぐっ、く、ぐるじい。シン……やめろ」
「ここは、私の家だと、何度言ったら分かるんです?」
目がイってしまっている。哀れ新谷清明の命は、風前の灯火である。
「シン……、俺を殺すと、俺の心臓に……ついている発信機……が、世界……中の和菓……子屋を爆破……するぞ」
その言葉に、ハッと我に帰るシン。友人の命より、和菓子が大事か!?
「ゲホッ、ゲホッ。ひどい目に遭った」
ようやく自由の身になったセイ。しきりに深呼吸をする。
「セイ、ハズレはどれです?」
「そんなモン、教えたらおもしろ……、分かったよ」
刺すような、凄まじい殺気に当てられ、さしものセイも観念したらしい。
「一番端の、赤い奴。ちなみにレッドゾーンは、この屋敷の内部に当たる」
「つまり、屋敷まで侵入されたら、この屋敷ごと爆破するつもりだったと?」
「おう。基地の自爆も、科学者のロマンだ」
「……ここは私の家です」
一瞬、シンの目が再び、この世のもので無くなる。かろうじて残った理性で何とか持ちなおすとスイッチボックスに向き直った。
「それ以外は、ハズレではないんですね?」
「俺がお前に嘘をついたことあるか?」
「……」
「な、なんだよ? その間は?」
「まあ、信じましょう。もし、嘘だったらそれなりの罰を受けてもらいますから。―――ええと、まだ、グリーンゾーンにいますね。すぐ下の同じ色のボタンで良いんですか?」
「そうだ」
「では、ぽちっと」
ブヨンブヨン
どこか、少し離れたところで、正体不明の音が響くのが分かった。
「―――、一体何を?」
「後で見に行けばわかるさ。それより、生き残りがブルーゾーンに侵入したぞ」
「ハイハイ、では、再びぽちっと」
ヒュルルルルルルルル
今度は、何かが風を切るような音が、響く。
「―――こ、今度は、一体何が起こってるんです?」
「画面つけると、反応が遅くなるからな。どうせ後で見に行くんだ。構わんだろ」
―――気になる。
毎度のことでありながら、非常に気になってしまう自分が悲しいシンなのであった。
一方、実際に目にすることになった、フレッド君は、
「……」
沈黙ではなく絶句であった。