小説ホームへ

第16話「伝説の魔、復活す」





シャリン




日の光すら届かぬ山深い森の中、金属同士が擦れあう、不吉な音が響く。




シャリン




動物達は、己のねぐらに駆け込み、ただただ怯え震え、
木々は、ざわざわと葉を震わせ精一杯の拒絶を表現しているかのようだ。




シャリン




地中の穴に隠れていた、鼠のような小動物が恐怖のあまりに、己の喉を引き裂く。
空へと逃げ去ろうとしたつがいの鳥が、天と地を違え大地に激突し、砕ける。
『影』さえも、その音から逃げるように立ち消えた。




シャリン




なおも、音は止まぬ。
森の奥へ奥へと、ゆっくりゆっくり移動していく。
母猿が、己が仔の首に手をかけた。
狂気に塗りたてられた瞳から、血の涙がこぼれる。
やがて仔猿は息絶えたが、母猿はいつまでも首を絞め続ける。




シャリン




森の王たる牡鹿が音の前に立ちふさがる。
恐怖を抑え、狂気を封じ、王としての誇りを支えに彼は立っていた。
彼は、深き森の闇の中、音の正体を見極めんとする。
そして、見た。
暗闇に立つ、真の闇を。
瞬間、彼の目は潰れ、心臓の筋が捻じ切られ、悶え死ぬ。




シャリン




音は古びた祠の前で止まった。




それは黒き袈裟を纏い、銀の錫杖を持った僧侶であった。
暗闇の中の黒装束が、微かな光の加減でどす黒い血の色に見える。
ぼさぼさのそれでいて妙にぬらぬらした黒い髪と髭が、顔の半分以上を覆っている。
深く窪んだ眼窩にある輝きを失った目は、まるで地獄に続く底無しの穴。
異様にやせこけた頬と、鋭く尖った鼻が猛禽類を思わせる。
髭に隠れた唇はからからにひび割れ、血が髭に滲んで血紫の染みを作っていた。




シャリン




血の塊でくっついていた上と下の唇が嫌な音を立てて開いていく。




「目覚めよ」




僧は一言、かすれた声で呟いた。

















闇の中。
何も無い、大きさの無い、時間すら無きが如き空間。
気配が二つ、燃え尽きんとする蝋燭の火のように微かにゆらめいている。
「豪來(ごうらい)が、動いた」
声の主は、静かに告げた。
「それでは……」
全ての始まりと終わりに最も近き者のうちの二人が、そこに居た。
「我らは、我らの為すべきことを為すのみ」
あの時より、止めようの無い歯車は動き出してしまったのだ。彼らもその歯車の一つに他ならない。ただ、彼らは、歯車たる己の役目を知ってしまったのだけなのかも知れない。
「仰せの通りに」
期待も落胆も無い、感情の失せた声。
無限に広がる宇宙の如き空間に、声は拡散していく。
いつのまに気配は消えて、後には虚無のみが残った。

















「よう、ボウズ! どうだ、迦楼羅の乗り心地は!」
 解説せねばなるまい。
 ここは、朱雀公領の首都『珠離』から程近い森林地帯の上空である。そう、我らが主人公、勇気は朱雀の技術力を結集させて作られた次世代兵器『迦楼羅』の助手席(?)で、ただいま空の旅を満喫中なのである。
 かの『蒼竜公公邸記憶喪失事件』から、数日が経っている。ちなみに、麗子も酒の後遺症で記憶の一部が抜けていた。その後、当局の綿密な調査にもかかわらず、事件は迷宮入りとなった。麗子と勇気は、シンとセイの笑顔と、忍の泣き顔(+ハンカチひらひら)に見送られて朱雀公領に戻ってきたのである。と言っても、麗子はすぐに次の公務で出かけてしまったのだが。ヒマなことばかりしているようだが、麗子は国の内政をあずかっている要人、ホントは忙しいのだ。
「ボウズは止めてよ。僕、高校生なんだからさあ」
 異世界に半年以上いるのに、まだ、どの言葉が通じてどの言葉が通じないのか理解していない。
「ああ? んなこたぁどうだっていいんだよ! 見てみろよこの気持ちのいい空、遥かな地平線。いい眺めじゃねぇか!」
 勇気の前方、操縦席に座る男の威勢のいい声が狭い室内に響く。男の名は、榊 匡也。覚えていないかもしれないが、凰斉にぼこぼこにされた迦楼羅のパイロット、と言えば分かっていただけると思う。ようやく生産が軌道に乗った『機兵』で構成される、朱雀公直属の特殊部隊『天雀衆』の頭を務めている、熱血三十代男だ。
「うーん。確かにいい眺めだね」
 眼下には、緑の海が波打っているような、美しい森林。目の休まる大自然の光景だ。
 彼らは、ただ空中散歩を楽しんでいるわけではない。『研究所』のセンサーにひっかかった正体不明の『力』の調査に来ている。勇気がいるのは、記憶喪失の後遺症が懸念されてしばらく休養を取っていたところに、気分転換になるから、と凰斉に言われたためだ。麗子だけがただの酔っ払いの記憶喪失なのは、一部関係者の間での公然の秘密である。
「頭、いい加減高度落として真面目に調査しましょうよぅ」
 隊員から通信が入った。今回の調査には、『天雀衆』から迦楼羅が数機出ている。勇気が後方を振り返ると、真中に一機分の空間を作ってきれいなV字の編隊が組まれていた。無論、榊がその真中にいるべきなのだが、榊は独断先行し、さっきから曲芸飛行などのを繰り返していた。ようは、仕事をサボっていたのである。
「うっせーな。空が俺を呼んでるんだ! 邪魔すんな!」
 榊は、元は高速戦闘機のエースパイロットで、迦楼羅のテストパイロット第1号に抜擢された人間だ。空は、彼の世界なのだ。
「もう、しょうがないなぁ。俺ら、勝手に調査しちまいますよ?」
 そう、言い残すと歯抜けのV字が、地上近くにゆっくりと近づいて行った。
「いいのか、おっさん」
「何がどうまずいんだ? 俺は今、ちょっと休憩しているだけだ。しばらくしたら、追いついてやるさ」
「しばらく、ねぇ?」
 勇気の感覚によると、その「しばらく」は十中八九、永遠に来ないものである。
「!」
「どうした、おっさん!」
「やべぇ!」
「何が?」
「しっかり口閉じてろ! 舌噛むぞ!」
 有無を言わせずに、迦楼羅を鳥型に変形させ急降下を始める。ほとんど90度反転する視界。凄まじいGが体にかかり、胃液が逆流しそうになる。目の前が一瞬、真っ暗になった。
 榊が以前乗っていた戦闘機は、『飛行の力』を利用した従来のものとは違い、『同化の力』を元としていた。つまり、機体を自分の身体そのものとして操る能力だ。その上で飛行の力を使えば、複雑な回路を通したものとは比べ物にならないスピードが得られる。榊の「指揮官用」迦楼羅は他の「汎用型」迦楼羅とは異なり、この『同化の力』を使えるように改造されている。その証拠にさきほどから、榊は操縦桿を持っているものの、全く動かしていない。それゆえ、一連の動作は常人には耐えられぬほどの非常識なものだった。
 スピードにかけては恐らくこの世界でトップクラスの勇気すら、目をきつく閉じ、歯を食いしばって耐えている。




ゴオオオオオオオオオオ!!!




 大地を揺るがす轟音。うっすらと目を開けた勇気の視界を紅蓮の業火がなめ尽くしていく。森が、生き物達が声にならない断末魔を上げ、炭化することも叶わずに蒸発していく。
「くそっ、間に合わねぇ!」
 低空を飛んでいた天雀衆の機体が炎に巻き込まれ、急流に飲み込まれた木の葉のように弄ばれる。『炎』の朱雀の機兵は、本来『炎』を己が力とすることが出来る。しかし、その炎は、普通の炎ではなかった。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!!」
 自分の危険も省みず、榊は炎に突進していった。音速を超えるスピードは大気との摩擦からも炎を引き出し、迦楼羅は火の鳥の如くに真っ赤な炎の塊と化す。
 勇気は、無意識に助手席の補助用操縦桿を握っていた。勇気の力が迦楼羅に流れ込み、蒼い放電現象と共に、そのスピードが上がる。
「でぇぇぇぇぇい!!!」
 超音速で突っ込んだ榊の迦楼羅は、妖気を放つ炎の渦の中に衝撃波で円形の結界を作り上げた。天雀衆の他の機体が、装甲の焼け爛れた無残な姿でその空間に転がる。
「大丈夫か。おめえら!」
「…なん…とか」
「お頭…すんません」
「油…断…しまし…た」
 次々入る通信。隊員たち自身も、ひどい火傷を負っている。
「しゃべる元気があんなら、一安心だ。おめぇらさっさとこっから離脱しろ」
「そんな! 自分達はまだ大丈夫です!」
「すまんが、この結界も長くは持たねぇ。おめぇらの面倒を見てる余裕はねぇんだ。足手まといなんだよ」
 ぶっきらぼうに告げる榊。しかし、隊員達はその言葉の裏にある榊の優しさ、そして、敵の恐ろしさを感じ取った。
「凰斉様に、できるだけ早く報告するんだ。それが、おめえらの仕事だ」
「…はい」
 涙をのみ、隊員達は傷ついた翼を広げて飛び立つ。歪んだ装甲がギシギシと音を立て、剥がれ落ちる。
「さっさとしろ!」
 普段の榊からは、想像も出来ないような厳しい声に後押しされて、数体の鋼の鳥が飛び立った。その姿が十分な高度に達したのを見届けて、榊も結界を解き、飛び立つ。
「おっさんって、いいヤツだな」
「バーロー、何言ってやがんだ」
 人型に変形し中空にとどまって、下を見下ろす。今までいたところは既に炎の中だ。見渡す限りの森だったものが、もはや半分以上焼き尽くされていた。
「ひでぇことしやがる」
「おっさん。僕を降ろしてくれ」
「おめぇ、何する気だ?」
その問いには答えず、勇気は真剣な顔で眼下の惨状を見つめていた。
「分かった。無理すんじゃねぇぞ」
 勇気は、その言葉ににこやかに笑った。迦楼羅の胸にある操縦席のハッチが、ゆっくりと開いていく。
「なんだよ?」
「おっさん、やっぱいいヤツだ」
 そう言い残して、勇気は空中に身を躍らせた。
「何言ってやがんだ」
 憮然とそう言い放つと、ハッチを閉じ再び臨戦体勢に入る。

















 落下しながら、勇気は身体の周りに蒼い雷をまとう。両腕を交差させると、
「来れ、轟く刃!」
 白虎公入魂の作、『轟刃』をブレスレットから召喚する。
 くるりと、猫のように身を翻らせ、炎の中心に降り立つ。勇気の感覚が、そこに『いる』と告げていた。
 着地と同時に気合を放ち、周囲の炎を消し飛ばす。
「やるねぇ。さすがだ」
 榊も、ホバリング状態で勇気の背後に降り立つ。手には標準装備のライフルがある。
「出て来い!」
 裂帛の気合で、勇気が叫ぶ。森の生き物を一瞬で消滅させたことに対する怒りと、そしてまだ見ぬ敵への言いようの無い嫌悪が、普段の、のほほん口調をどこかに忘れさせたようだ。
「出て来い!」
 もう一度、腹のそこから響く声で叫ぶ。大気がピンと緊張するのが分かった。








そして、奴は現れた。








「相変わらず、単純な男だな」








「こればかりの命が無くなろうと、世界に大した影響は無いのだぞ」








「久しいな、雷竜子よ」




小説ホームへ
ご意見ご感想はこちらまで→作者宛のメールフォームを開く