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第17話「火炎を纏いて、斬り裂く者」

一旦消し飛ばされた火焔の蛇は、森の命を奪い尽くすことで、すぐさま勢いを取り戻した。
朱い舌をちろちろとゆらめかせ、再び襲いかかる機会をうかがう。




めらめらと燃える炎が、天を焦がさんばかりに立ち上った。
妖しげな邪気を伴った炎。光を歪め、空間すら歪める。




ゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆら




まるで、意志をもった生き物の如くに、紅蓮の炎がうねり狂っていた。
否、それはもはや間違いなく、一個の邪悪な生命体であった。
轟々と、吠え声を上げ、大地を揺るがす。




その妖しの生命のゆらめきの中から、
他の生命を否定する狂気の中から、
奴は、ゆっくりと現れた。

















「久しいな、雷竜子よ」




その声には言葉の意味の通りに、懐かしい旧友に再会したかのような響きがあった。




「お前、キライだ」




勇気は、感じたままを言葉にした。
手足の震えが止まらない。心音が胸を突き破ってしまいそうだった。
それは、決して恐怖ではなかった。
純粋な嫌悪。
奴の姿を目にしたときから、怒りすら忘れ、それだけが全てだった。

「相変わらず、連れないな。お前と私の仲ではないか」

炎が立っていた。
一見、火だるまの人間のようにも見えるが、そうではない。
炎が人の形を為しているのだ。

「てめえが、こんな酷ぇことをしやがったのか!」
榊が激昂して叫ぶ。
「おや? 私の炎の中で耐えられる人間が、六竜の他に居るとは」
「質問に答えろ!」
なおも、叫ぶ榊に、炎は悠然と構える。
「答えるまでも無いと思うが?」
「てめえ!」
叫ぶのと、迦楼羅のライフルが火を吹くのが同時だった。
「馬鹿が」
あやまたず、炎に命中する巨大な弾丸、巻き上がる爆炎。
その爆風に髪をなびかせながらも、勇気の目は瞬きすることなく、一点を見つめ続けていた。
「ははは! 鉄くずに用は無い」
爆炎は、高らかな笑い声と共に吸い込まれるように消え去った。
「邪魔だ」
長い剣を持った炎が居た。
柄の上下にそれぞれ刃がついている。
二つの剣を柄の所でつなぎ合わせたような形の、奇妙な剣だ。
その剣が、フワリと振るわれた。
新たな炎の蛇が、放たれた瞬間だった。
森の生命の全てを一瞬で奪うほどの、狂暴なバケモノが。








「おっさん! 逃げろ!」








凄まじい轟音が耳を麻痺させ、それは無音の世界での出来事のように感じられた。
指向性の火焔の渦が、迦楼羅を飲み込む。
炎の中で、迦楼羅の装甲が融け出す様は、まるで風化していく巨石のようにも感じられた。
砂の城が、波に崩れ去るように、あっけなく脆く、消えて行く。








「うおおおおおおおおおお!」








最後の力を振り絞った叫びも、ごうごうと言う炎の咆哮にかき消されてしまった。
後には、何も残らなかった。微小な欠片すら狂気の炎に蒸発してしまったのだ。
榊 匡也の最期だった。




―――死んだ。
―――人が死んだ。
―――あまりにあっけなく死んだ。
―――僕の目の前で。
―――『コロサレタ』




何も出来なかった。何も。
身体が言うことを聞かなかった。
否、もし動けたとしても、間に合いはしなかっただろう。
怒りよりも無力感が、胸をぐちゃぐちゃにかき乱した。
もう少しで、何も分からなくなりそうだった。




「邪魔者は居なくなった。さあ、また二百華巡前のように楽しもうではないか。雷竜子よ」




炎は、目の部分にある二つの輝きを下品に歪ませ、

















―――笑った。

















「リュート……間に合うか?」
呟きは、死人のような青白い唇から紡がれたもの。
蒼竜公公邸の最奥である中心部に、闇が『存在』していた。
闇は、目の前の古めかしい祭壇に手を伸ばすと、そこに祭ってあったものを取り上げる。
「『蒼竜の瞳』よ、我らの願いを聞き届けよ」
それは、蒼く鈍く光る菱形の宝玉であった。
蒼竜公領の神器、『蒼竜の瞳』。
歴代の蒼竜公でさえ、目にするだけの為に事前の大々的な儀式を必要とする、秘中の秘である。
実際に、その存在を確かめた蒼竜公は居ない、とまで言われていた。
その神秘の宝玉をそっと掲げる。
「今その封印を解かん」
静かで、それでいて心の奥底をかきむしるような声で、闇は呪を放った。
暗闇が、ゆるゆるとその触手を伸ばし、宝玉を包む。闇に包まれたが故の錯覚か、宝玉の光が鮮明になって行く。
「永きを眠り続けた霊(たま)は、」
徐々にその光を増し、今や燦然と輝くに至った宝玉が、フワリと宙に浮かんだ。
「その主の元へと還れ」
蒼い光線の残像を残して、宝玉は飛び去った。

闇は、既に居ない。

















「どうしたの?」
エリスは、自分の身体を両腕で抱きしめるようにして、こみ上げてくる悪寒に耐えていた。
すごく嫌な奴が、笑っているからだ。
何故か、そう思った。
「車に酔った?」
隣に座る女性が、再度優しい口調で尋ねる。
エリスは、護送車の中にいた。
頻度を増すばかりの、『有り得ない』託宣の研究・調査のため、エリスは朱雀の研究施設に連れて行かれることになったのだ。
白虎公は元より、天竜帝にも内密な事柄ゆえ、その道行きは天領と白虎公領の境界線に沿うような、遠回りのものとなっていた。
今いるのは、蒼竜公領と朱雀公領の境に当たる渓谷である。
「そう言うときはね、とおーくの風景なんか見たりするといいのよ」
そう言って優しく笑う女性―――ノア=ランゲルス。




白虎最後の託宣の前、多くの巫女達は、エリスの優れた能力に、嫉妬し、憎悪し、嫌悪した。
そして、最後の託宣の後、なおも託宣を受け続けたエリスに、巫女たちは口さがなく罵った。




―――ほらね、あんな力、普通じゃないとは思ってたわ。
―――あの娘は魔性の巫女なのよ!
―――邪悪な力を借りで、私達巫女を支配しようとしてたのよ!
―――殺してしまうが良いわ。
―――バケモノ!!!




巫女の能力は、神と同調しその言葉を伝えること。
人一倍その能力に優れていたエリスは、人間に対しても多少の同調能力を持っていた。
だから、そんな巫女達の心のどろどろした悪意を、四六時中感じていなければならなかったのだ。
「死んでしもたほうが、なんぼか楽や」
そう、思ったことも一度や二度ではない。
見かねた大聖母マリアの計らいによって、独房のような部屋に移された。その部屋は、特殊な結界がはってあり、人の心を感じることがなくて済んだ。
しかし、今度は絶対の孤独がエリスを襲った。
生き別れた兄との暮らしを思い出し、泣き暮らした。
ノアが、エリスの世話役になったのは、五度目の自殺未遂のあとだった。
「元気ないわね! しゃんとしなさい、しゃんと!」
最初の言葉は、確かそんなだったと思う。
エリスは、不思議でならなかった。ノアの心にはエリスに対するいかなる邪念も感じられなかったのだ。








車の隣の席で、心配そうにエリスを見つめるその心にも、やはり、微塵の悪意もない。
「何でもない」
震える身体を無理に抑え込んで、やっとそれだけ言った。
「嘘おっしゃい! そんなに震えてるじゃないの!」
「あっ」
抱き寄せられ、包み込まれるように優しく抱きしめられた。
「我慢は身体に毒よ」
―――おかあさんの匂い。
母と言うものを知らぬはずなのに、そう思った。

悲しくないのに涙が出た。

















「どうした雷竜子? お前の力はそんなものではないだろう?」
勇気は、いまだに混乱の中にいた。
―――どうして、助けられなかった?
自問自答を繰り返しても、答えは見つからない。
「この『焔斬(ほむらぎり)』を落胆させるなよ!」
奇剣から、巨大な炎が打ち出される。
紙一重でかわす勇気。
さっきから、その繰り返しだ。
「ぐっ!」
かすっただけなのに、火傷し水ぶくれが出来る。それを何発も食らっていた。
常人なら、とっくに死んでいるだけの酷い状態だった。身体を動かすたびに激痛が走り、感覚が麻痺した。
しかし、痛みは勇気の意識を鋭敏にしはしなかった。
―――おっさんは、もっと痛かった。
まったくにもって、彼らしくない自罰的な思考が、勇気を支配していたのだ。
奇剣の上側の長い刃を大上段に構えて、猛然と迫り来る炎。
意志とは無関係に、身体が動く。かわしながら、剣を振るった。二つの剣を会わせたような奇剣の、下側の刃で受け止められる。
「そうだ! それでいい!」
炎は、さも嬉しそうに笑う。圧倒的な嫌悪の念が甦った。
―――それでいい、か。
何かが吹っ切れた。勇気の目に、輝きが戻る。
「その通りだ! 今はお前を倒す!」
そう、それでいい。過去を振り返るのは、僕の柄じゃない。
―――とにかく、今を一生懸命生きるんだ!
バチバチと、蒼い稲妻が勇気の周囲に起こり、空気が渦を巻いて舞い上がる。
「いくぜぇぇぇぇ!」
蒼い弾丸と化して、突っ込んでいく。
朱い炎と、蒼い雷が、数回切り結ぶ。
「そうこなくては、面白くないわ!」
「ふざけんな!」
「楽しいぞ、実に楽しい! 私はなんと幸運なのだ!」
「だまれっ!」

















「今度こそ、お前を殺せる」

















目の眩む光の洪水。
数十センチ先も見とおすことが出来ない。
その中で、数人の人影が浮かんでは、消えていく。

「時は近い」
厳かに、落ち着いた声が告げる。

「先ほど、六影衆『焔斬』の復活を確認したぞ」
甲高い神経に障る声。

「奴らの思い通りにはさせん!」
太い逞しい声。

「そういきり立ってはなりませぬ。全ては計画に従って行わなくては」
穏やかな声。

「計画が全てだ。感情など無用の長物」
抑揚の無い、無表情な声。

「人形のお主には、真似できんからな」
けけけ、と甲高い声。

「口を慎んで下さい」
諭すような、穏やかな声。

「構わない。気にしていない」
無表情な声。

「朱雀公には、もっと働いてもらわねばなるまい」
厳かな声。

「あの若造に、何処まで出来るか疑問だが?」
けけけ、と甲高い声。

「まだ、我々の出る幕ではない」

「左様」

「待つのだ」

「時を」

「それは間近い」

一呼吸置いて、全ての声が重なる。

「「「「「我ら、光の名の下に、永遠の秩序を望む者。いざ行かん。約束の地へ」」」」」




光が一気に強まり、人影はかき消えた。




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