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第18話「大地震わせ、奇岩に宿るもの」





―――シャリン




 金属の擦れあう、不吉な音が、山深き渓谷に木霊する。




ぎゃああああ!




 険しい山々に囲まれ、朝もやのたちめる、深い谷の底。
 男とも女ともつかぬ断末魔の叫びを背に、
 浅い沢の水を蹴って、一人の若者が走っていく。
 バシャバシャという水音が、誰もいない谷に反響する。




ハァハァハァハァハァハァハァ




 山で生まれ、山で育った彼であっても、険しい道は容赦なくその体力を奪っていく。
 膝が笑う。自分の足がこれほど重いものだと思ったことは無かった。




ハァハァハァハァハァハァハァ




 追っ手の気配は、すぐそこにあった。
 とてもではないが、振りきることは出来ない。
 走っても走っても気配は常にあった。
 敵は、山そのものなのだ。




ハァハァハァハァハァハァハァ




 死にもの狂いで走った。
 もやで、自分がどれだけ走ったか分からなくなっていた。
 しかし、立ち止まれば、すなわち死。
 心肺が、悲鳴にも似た唸りを上げるのが分かる。




―――せめて、一族の者に伝えねば。




 彼は、自分の死を悟っていた。
 しかし、彼の心の奥底に宿る使命感が、諦めを許さない。




―――せめて、この敵が……




 彼には夢があった。
 大きな夢だった。
 その夢を実現させるため、彼はその人生を捧げたのだ。




―――せめて、この敵が、玄武の者でないことを、皆に伝えねば、




 そうしなければ、血気盛んな弟をはじめとする一族の若者達が、玄武公相手に戦争を始めてしまうだろう。
 それは、一族の破滅を意味した。




―――もう少しで……




 もう少しで、夢が叶うというのに。
 あと少しで、皆の幸せが約束されるというのに。




―――出口だ!




 眼前のもやの中に、うっすらと光が見える。谷の出口だ




―――まだ、俺の夢は……




 微かな希望を見出した彼の前で、
 岩肌からせり出した、奇妙な形の岩が、
 ぐにゃりと、
 歪んで、
 巨大な顔に変化し、
 次に巨大な両手が現れ、
 ゆっくりとその上半身を岩肌から引きずり出す。




―――笑ってやがる。




 冷たい光を放つ、目の部分の鉱石が心なしか歪む。
 それは明かな、嘲笑の表情だった。




―――くそぉっ!




 走る速度を緩めずに、出口に立ちふさがる巨大な『影』に向かって、剣を抜く。
 一段と足を速め、強行突破をしかけた。
 『影』の顔は、ただ笑い。
 巨大な手で、




 まるで、ヒトが羽虫を潰すように、―――

















「偉大なる同族の戦士が、また一人、母なる大地に還った」
 タキトのシャーマンは、静かに告げた。
「それは、誰だ?」
 自分の歳を六倍したよりも、多くの年月を過ごした老人に向かって、ガイはあくまで命令口調で聞いた。
「分からぬ。しかし、我ら一族の未来に多大な影響をもっていた人物だ」
「やっぱり、酋長(ヤムン)は……」
「だまれっ!」
 それは、誰もが予想していたことだった。不注意な発言を高圧的に叱りつけたガイも、その例外ではない。
「兄者は死にはしない! 兄者に勝てる戦士など、この世にいるはずがないのだ!」
 駄々をこねる幼子のように、ガイは頑なに否定した。
 タキト族の集会所用のテントに集まった人々は、その様を、黙って見つめるより無かった。
 シャーマンが感じたと言う禍禍しい『力』の正体を確かめるべく、精鋭を引き連れ自ら赴いた『蒼き月のヤムン』オウガが消息を絶ってから、四十時間が過ぎようとしていた。
 その次に派遣した捜索隊は、オウガ達の痕跡を何一つ見つけることができなかった。
「ガイ。大地の精霊は、大地の子に決して偽りを教えないわ」
 先代酋長の妻、ガイとオウガの母が、諭すように語りかける。
「オウガは、恐らくもう生きていない」
 それは、誰もが思い、そして誰もが口に出せなかった現実だった。
「嘘だっ!」
 なおも拒絶を示すガイ。
「聞きなさい! この愚か者!」
 母の喝は、錯乱するガイの心を打ち、その身体を金縛りにした。
「オウガは死んだのです! 我ら一族の新たな長はお前なのですよ! そのお前がそんな体たらくでどうするのです!」
 瞳を大きく開き、雷に撃たれたかのような思いにとらわれるガイ。
「お、俺には、兄者の代わりなぞできない」
 やっと、それだけを言う。
「でも、われら一族はどうなるの? 頭を持たぬ馬は生きて行けないのよ?」
「しかし……」
 なおもためらうガイに、母は優しく言った。
「オウガの真似をする必要は無いわ。お前はお前よ。やるべきことを成しなさい。私達ははお前に従うわ」
「そうか……」
 何かを思案するように、長くうつむくガイを、テントに集った一同は不安げに見守る。
 長い長い沈黙の後、ガイが突如顔を上げる。
「俺が、今やらねばならないことが、分かった!」
 おお、と言うざわめきがテントに起こる。テントのそばに繋いでいた馬たちが、何事かと一斉にその顔を上げた。
「ゲンブに、兄者の敵討ちに行く」
 新たな酋長は、力強く宣言した。

















 玄武公の下にその知らせを届けたのは、見るからにみすぼらしい姿の老人だった。
 老人は、厳重な警備をどうやってかいくぐったのか、執務室のアインスの前に忽然とその姿を現した。
 その姿を見とめたアインスは、その出現にではなく、その出現の意味するところに驚きにも似た感情を持った。十年前のあの時以来、一度も姿を現さなかった老人が、今現れたことの意味は、アインスにとって計り知れなかった。
 青白い顔で、老人は親しげに話しかけた。
「久しいの、玄武公」
 背筋を不自然なほどしゃんと伸ばし、大きな樫の杖を持ったやせぎすの老人。息をするたびに、ヒューヒューと音が鳴るところを見ると、肺を病んでいるのだろうか? 
 西日を受けて明るいはずの室内で、老人が立っている区画だけが妙に暗い。
 まるで、闇を纏っているかのように。   
 「ご無沙汰しております。老師」
 最大級の敬意をもって、玄武公は老人―――老師に答えた。筋骨隆々とした大丈夫である彼も、その存在感において目の前の小柄な老人には及ばない。
「今日はいかなるご用で?」
「突然で済まぬが、お主に、頼まれごとをしてもらいたいのじゃ」
 それこそ、突然に老人は、アインスに用件を切り出した。
「老師の頼みを断れますでしょうか?」
 そう言えば、十年前も突然だった。そんな事を思い出しながら、アインスは答えた。
「すまぬな」
「いえ、してその頼まれごととは?」
 一呼吸置いてから、老師はおもむろに告げた。
「地鉄(つちくろがね)の封印を解いてもらいたい」
「!」
「今にして、なぜ? と申すのじゃろう」
「そうです、今この混沌のさなかに玄武の神具を解き放つなど……」
 慌てるアインスの言葉は、しかし、すぐに老師に遮られた。
「狂気の沙汰じゃ。分かっておる」
「ならば……」
「タキトの若き酋長が死んだ」
「! 今なんと?」
「タキトのオウガという若者が、わしの山で死んだ」
 アインスがその言葉に、しっかりとした意味を見出すのには、少しの時間が必要だった。
「何者が? まさか、玄武の兵士が先走ったのですか!?」
 意味を確認しても、己の思考はまだ混乱していた。アインスの命無くして、玄武の兵が動くことなど有り得ない。
「『影』じゃよ」
「ご冗談を。彼ほどの戦士が、『影』如きに……」
 またも、老師はアインスの言葉を遮る。
「いかな優れた戦士とて、『六影衆』と渡り合えるものは、そうはいまい?」
 ヒューという呼吸音に、かすれ気味に聞こえたその単語。
 ―――『六影衆』
 その名を聞いたとき、アインスは目の前が真っ暗なった。
 真っ暗な闇に。

















「行くぞ咒鬼」
 土の式神、巨大なゴーレムをただ一人の共にして、その肩に乗り、少年は出立した。
 年端も行かぬ少年である。普通なら、友達とかけっこして遊んでいる年頃なのだ。しかし、現実に少年は命がけの闘いに赴かねばならない。長老達は誰とも無く、ため息をついた。代わってやれぬ老いた身がもどかしい。
 そんな中にあっても、ガイの母は気丈だった。息子に荷物を手渡すときも、見送りの挨拶をするときも、静かな笑みを絶やさなかった。それは戦士の妻としての強さだったのかもしれない。
 ともに行こうとする戦士たちを、ガイは断固として拒否した。
「これは、俺が酋長として相応しいかを試す大地の試練だ」
 それが、ガイの出した結論だった。
 夕暮れに染まる山々に向かって、草原を進んでいく。人々は、夜になってから山を越すのでは危険過ぎると、思い止めようとしたが、ガイは聞かなかった。
「待つわけにはいかない」
 ある種の悲壮感に満ちた力強い言葉だった。誰も、彼を止めることは出来なかった。
 徐々に小さくなるその小さな背中を、それが見えなくなると、咒鬼の大きな背中を、一族の者たちは、いつまでも見送った。
「汝、『大地を駆ける竜』に、大地の加護を」
 シャーマンの祈りの言葉だけが、皆の沈黙の中で響いた。
「必ず」
 ガイの母は、誰にも聞こえぬほどの声で、呟いた。
「生きて帰るのよ」
 彼らは気づかなかった。
 彼女が、泣いていることを。

















 山々に、夜が訪れる。
 だが、夜に生きるもの達の騒がしい声、命の賛歌は聞こえては来ない。
 死の静寂のみが、そこにはあった。
 その静寂の底、切り立った崖に挟まれた渓谷の底で、




 ぐにゃり




 と、岩が蠢いた。
 まるで、これからやってくる獲物を、待ちきれないと言うように。








ちょっと短め。ちょっとまんねり。反省です。

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