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第19話「天より陥ちたる、命の水に渡るもの」





ヒュオオオオオオオ




身を切るような冷たい風が、何も無い真っ白な氷原を渡っていく。
本当に何も無い、ただただ真っ白な世界。
余りの大気の清浄さに、遠くの山々が青い空にくっきり浮かんで見える。
その山々もまた、真っ白な雪に覆われているのだ。




「……」




ここが、彼の生まれ故郷だ。
いや、生まれ故郷だった場所だ。
ここには、かつて孤児院が立っていた。
本来は修道院だったらしいが、慈善事業として始めた孤児院のほうが大きくなってしまったのだと言う。
昔から百観周辺の地域には「孤児」が多いのだ。
厳しい気候は、人々を追い詰める。子を養えなくなった親達の行きつく先が、ここにあった「孤児院」。
彼は、そこで「妹」と出会った。
血がつながっている訳ではない、赤の他人。
だが、幼かった「妹」は、自分を本当の兄と思い込んでいた。




「妹」は彼にできた、最初で最後の家族だった。
彼は、乳飲み子の時分にこの孤児院に預けられたのだ。どう見てもこの地域の人間では無い、旅姿の老人だったと言う。
院長にその話を聞かされた時、彼はいつかその老人が自分を迎えに来るのではないか、と幼い夢を抱いたものだった。
しかし、老人は二度と現れなかった。
自分は天涯孤独なのだと思い至り、虚しい気持ちで毎日を送っていたとき、「妹」がやってきた。




「エリス……」




「妹」の名は、エリス=ルートヴィア。奇しくも彼と同じシルバーの髪の少女だった。
無口な、どちらかというと暗い少年と、明るい笑顔が似合う、闊達な少女。
一方通行になりがちな会話を除けば、いたって普通の仲の良い兄妹だった。
時々、「妹」の百観訛りが聞き取れなくて、閉口したりしたものだ。
それも、今となっては遠い日の楽しい思い出だ。

あの男達が来るまでは、彼は満たされていた。

そう、あの男達が来るまでは。




「この娘は、大いなる巫女になるべき人間だ」




黒づくめの男は、そう言って、「妹」を連れ去った。

彼は変わった。
『力』に異様に固執するようになった。
「孤児院」を出て、裏の世界に身を投じた。
十歳の少年が生きていくのには、裏の世界は厳しいものだった。
しかし、彼は己が強くなれる道を選んだのだ。
修羅と化した彼が超一流の暗殺者として名を轟かすのに、たいした時間は必要無かった。




「孤児院がなくなったらしい」




どこから連絡先を知ったのか分からないが、孤児院時代の仲間からの連絡が白虎公宛てにあった。
気がついた彼に、白虎公夫人が手渡してくれた。
「孤児院」など、彼にはもうどうでも良いことだった。
しかし、手紙には続きがあった。




「孤児院の建物ごと、一晩で消えちまったらしいんだ」




今、目の前には何も無い氷原が広がっているだけ。
手紙の通りに、そこには「孤児院」の欠片も残っていない。
ただ、分厚い氷で閉ざされた何も無い氷原が広がっているだけだ。




「!」

悪寒が、背筋を走った。
何かが、近づいてくる。
とてつもなく邪悪な何かが。




「……」

槍を手に持ち、すばやくあたりを見まわす。
何も見当たらない。




ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ




「……下か?!」

轟音。砕ける氷。舞いあがる雪。
そして、
現れた異形の者。




「うぬは氷竜子じゃな。こんなに早く六竜に逢えるとは何たる幸運よ」




半透明のクリスタルで彫られた人の像が、同じくクリスタルでできたナメクジのような獣にまたがり、そこに立っていた。
いや、またがっていると言うのは正確な表現ではない。下半身がナメクジの背中に融け込んでいるのだ。
手には、黒光りする三叉の槍を持っている。
半透明の身体は、しかし、決して光を反射せず透過もしない為に、どす黒い影を映すばかりだ。

「……貴様、ただの『影』ではないな?」
「何を世迷いごとを。六影衆が『陥水(おつるみず)』の名、よもや忘れたわけではあるまい」
「……何を言っている?」
「うぬは、記憶を失うておるのか? まあよい、ようはうぬと勝負が出来れば良いのじゃ」
「……質問がある」
「なんだ?」
フレッドの平静な様子に興味をもったのか、『陥水』と名乗る『影』は、動きを止め次の言葉を待った。
「貴様、この辺りにあった古い修道院を知らないか?」
妙にゆっくりした口調で、そう言いながら、槍を握り締める。
「おお、あの邪魔だったボロ屋か。それなら、ほれ、うぬの足元じゃ」
愉快そうに答えた陥水から目を離さぬようにしながら、フレッドは足元を見た。
「なっ?!」
確かにそこには、懐かしい孤児院の姿があった。

―――厚い氷の層の中に、塗り込められたようになってはいたが。

「貴様っ! 何をした!」
「何を? ただ邪魔だったから、『沈んでもらった』のよ」
「おのれっ!」
フレッドは、激昂する自分が解せなかった。もう、孤児院などどうでも良いはずなのに。だが、エリスを失った忌むべき場所は、同時にエリスとの楽しい思いでの舞台でもあったのだ。
その思い出を、自分勝手な理由で蹂躙した者を、許せるはずも無い。
フレッドの槍は、陥水の槍に軽々と受けられてしまう。
「どうした、氷竜子? 記憶と一緒に力までどこかに忘れてきたのか?」
「ぐっ」
一旦離れ、間合いを取る。
彼は普段の冷静さを欠いていた。
抑えようとすればするほどに、腹の底からの怒りが暴走する。
「おのれぇっ!!!」
彼が戦法として、一番嫌う闘い方だった。
ただ、ただしゃにむに突っ込んでいく。
陥水は、薄ら笑いを浮かべながら、ひらりひらりと簡単にかわしていく。
「はて、我らの宿敵六竜の一人ともあろうものが、このように弱いとは? 人違いか?」
三叉の槍が、横一線にふるわれ、鈍い振動を伴った衝撃波が起こる。
「うっ!!」
フレッドの身体が、自分の意志と関係無く空を舞い、地面に激突する。
とっさに受身をとったものの、全身を強く打つ。口の中にじんわりと血の味が広がる、内臓の一部がいかれてしまったのが感じられた。
意識が遠のき、身体の感覚が麻痺する。指一本動かせる状態ではない。
「それとも、復活させてくれた者が、我が力を増してくれたのか?」
陥水は両手を目の前にかざして、しばらく見つめた後、フレッドに目を移してこう言った。
「まあ良いわ。本物の氷竜子であれ、人違いであれ、うぬは弱い。弱いものと闘っても面白うもなんともないわ」

―――弱い?

フレッドの死にかけた目に、微かな輝きが映る。
「その無謀なまでの、勇気に敬意を表して」

―――弱いだと?

陥水の三叉の槍が、ゆっくりと天を指す。
「我が芸術の中で、永遠に眠るが良い」

―――この俺が、弱いだと!

怒りすら超越した、言いがたい衝動に突き動かされ、フレッドの目に完全に、輝きが戻った瞬間。








陥水の槍が、勢い良く振り下ろされ、フレッドは、厚い氷の層の中に一瞬で沈んだ。








「我が真の力。命の水の、三つの姿を操る力を知らぬとは。やはり、別人であったか?
『陥水』の三叉の槍は、水の三態、すなわち「氷」「水」「汽」の三つの形態を司る。
うぬの倒れ込んでいた地面を、一瞬で液状化し、うぬをその中に取り込んだと同時に、今度は一瞬で氷に戻す。そんなことは造作も無い」
ふっ、っと再び槍を振るう。
爆発音。
それと共に、フレッドが塗りこめられた氷の塊が、柱のようにそそり立つ。
「氷を蒸気に変えて、思うままに水蒸気爆発を起こすのも、我が力。しかし、さほど力が増したわけでは無いようだ」
再び、両手を見つめる。どす黒い影を映す魔性のクリスタルは、いぜんとして光を通さない。
「しかし、氷の戦士の柩には、やはり氷よな」
三度、視線をフレッドに映すと、今度はえもいわれぬ恍惚の表情を浮かる。
自分の芸術作品に、陶酔しているのだ。
「美しいな」
目を細め、氷の表面が複雑に反射する幻想的な光を愛でる。
「しかし、中に封じ込めるべきは、美しき女であろう。血へどを吐いている男では、余りに醜い」
フレッドは氷の中で、目を見開き、片手を天に差し伸ばしていた。
そして、もう片方の手は……
「失敗作は、破棄する」
陥水の下半身、つまり、ナメクジのような形をした部分の、頭に当たる部分が、大きく開く。現れたのは、ぎざぎざの歯がほぼ正確な円を描く、巨大な口だった。

―――ピクリ

「死ね」
陥水の、巨大な口から、どす黒い力の奔流が放たれる。
それは、一直線にフレッドを目指して、氷の壁にぶち当たり、砕く。
中に封じられた者も、もろともに。
陥水は、ずべてを見届けもせずに、ずりずりと嫌な音を立ててその場を去る。

スウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ

気配は、唐突に起こった。
「何!?」
ゆっくりと振りかえった陥水は、恐らく彼が甦ってから始めての表情をした。




それは、『驚愕』。




「ずいぶんと、おしゃべりな奴だ。自分の力のことをぺらぺらと良く喋れる」
銀の光に包まれ、銀の髪を振り乱した、神々しき天使がそこにいた。
手には、牙をあしらった見たことの無い槍があった。
それは、神の槍。
「『凍牙(こおれるきば)』だと?! まさか『神具』の封印が解かれたというのか?」
陥水の半ば自問に近い疑問を無視し、フレッドは続ける。
「俺が弱いと言ったな? その言葉が正しいかどうか、身をもって試してみるが良い」
圧倒的な、プレッシャーと、妖艶なまでの美しさ。
彼を少しでも知るものは、口をそろえてこう言うのだ。
あいつは『死神』じゃない、『死の天使』だ、と。




陥水は、己に困惑していた。それは、彼が甦ってから始めての感情の二つ目。



「この我が、『恐怖』を感じておるのか? このような若造に!?」








「殺す。

おしゃべりな奴は嫌いだ」





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