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第20話「災禍を招きて、珠玉を食むもの」




「なんなのよ! まったく!」




赤い髪のうら若き女性である。
彼女は、第572代朱雀公北条凰斉の孫娘にして、弱冠十八歳にして朱雀公領の宰相を務める才女、北条麗子。
彼女の話をしよう。
生まれてすぐに両親を無くした彼女にとって、肉親と呼べるのは、凰斉翁だけとなっている。
彼女の両親は、政務に就かない民間の学者だった。
当然、為政者たる凰斉は、一人息子鴻介に朱雀を次いで欲しかったのだが、親譲りの頑固者であった鴻介は、頑として聞き入れなかった。
麗子の母である理恵子(当時は、まだ独身)が、民間の考古学者であったため、鴻介は同じ職場に固執したと言うのが、まことしやかに噂されたその理由である。
実に、その通りなのが、なんとも言えないが……
そう言うわけで、麗子の両親は民間の考古学者であった。
その後、鴻介の大攻勢の前に、理恵子が落ち、麗子が生まれた。




そして、麗子が物心ついた頃、両親は謎の失踪を遂げる。

朱雀の都『珠離』の南に位置する大森林地帯の、古代遺跡を調査中の出来事であった。
以後、麗子は、凰斉の手によって育てられることになる。
凰斉は、麗子を親を持たぬが故の苦しみから救おうと、細心の注意を払った。
しかし、幼い頃から聡明であった麗子には、祖父の優しさが痛いほど分かっていたのだ。
「おじいちゃんにしんぱいかけちゃいけない。れいこはつよくないといけない」
麗子には、どうすれば祖父に心配をかけずに済むか、良く分かっていた。
いつも明るく、いつも笑って、いつも優秀で、いつも賢明で、いつもトップで。
だから、凰斉の心遣いは、却って彼女を追い詰めた。

まだ、おじいちゃんは私の心配してる。
悩んでるのが顔に出たのかな?
暗い顔してたかな?
テストの結果がまだ悪かったかな?
質問の答えがまずかったかな?
かけっこ一番になれなかったからかな?
まだまだ、足りない。
もっともっと、もっともっと強くならないと。
もっともっと……

そして、彼女はエリートコースをひた走り、祖父の次に偉い地位に就いた。

朱雀の箱入り娘とか、親なし子とかはやし立てる連中に、
「そういう言葉は、実力で私に勝ってからにしなさい!」
と、言うため。
「大丈夫か?」
と、祖父に言わせないため。
ただ、それだけの為に、彼女は困難な道を走り続けたのだ。




「もういやーっ!」




赤い髪のうら若き女性である。
彼女は、第572代朱雀公北条凰斉の孫娘にして、弱冠十八歳にして朱雀公領の宰相を務める才女、北条麗子。
彼女の現在の状況を説明しよう。

彼女は今、無数の、それこそ数え切れないくらいの『影』に囲まれていたりする。
いや別に数のことだけなら、彼女ほどの実力者である、大した事ではないのだ。
問題は、『影』の種類である。

全部『蟲』なのだ。
これがまた。

『蟲』
説明の必要も無いが、堅い外骨格に身を包んだ、節足動物である。
虫型の『影』は、主にいなごの害にあった農民達の恐怖が元になっている。
他に、毒蜘蛛や、毒蛾などに対する恐怖。あとは、虫一般に対する生理的恐怖。
そのような感情の塊である。
よって、畑を食い荒らすいなごの如くに、大量に発生するのである。

―――ヒトを食い荒らすために。




「どうして、こうなるのよー!」




どうして、こうなったのか?
理由はいたってシンプルである。
外交に行く途中の草原で、『蟲』の大発生に出くわしてしまったから。
ただ、それだけ。
ともの者たちは、却って足手まといになるからと、退却させた。
そのような判断を下せたのも、最初は相手がただの『影』だと思ったからだ。
いや、ただの『影』には違いないのだが……
異様な『影』の高まりを感じ、単身それを処理しようと勇んで駆けつけてみると、『蟲』だった次第である。
麗子は、虫が大嫌いなのだ。




「来ないでよーーー!」




虫相手に懇願してもしょうがない。
後から後から、まるで湯水の如くに『蟲』が湧いて出てくる。
サイズが小さいからこそできる業である。
麗子の炎が、『蟲』をなぎ払う。
すぐにそこが埋まる。
いたちごっこもいいところである。




「もういやーー!!!」




ついに麗子がキレる。
奥義発動である。
赤い髪がさらさらと宙に舞いあがり、全身から発せられる炎が麗子の身体を取り巻くように渦巻き、その上部に巨大な固まりとなる。
炎の塊は火の鳥となり、その翼を大きく広げて飛び立ち、敵を燃やし尽くすのだ。
さながら、優雅な空の散歩を楽しむ空の王だが、その剣呑な本性は隠しようも無い。
全ての『蟲』をなめるように焼き尽くす。
ばちばちと、嫌な匂いを立てながら、炭化していく『蟲』たち。
ついでに、草原も焼け野原である。
火の鳥は、その役目を終えると、空の彼方へ飛び去る。




「もう、いや……」




もともと、苦手な虫の真っ只中にいる状態の時から参っていた麗子は、奥義の負荷に耐えきれず、精神の限界を超えてぺたりと座り込む。
無理もない。無我夢中で放った奥義は、制限をかけていないほとんど全力のものだったのだから。
しかし、これで終わらせてくれるほど、『蟲』君たちは性格が良くなかったらしい。




「嘘……」




『蟲』の燃え殻たちが、瘴気の煙を放っていた。その煙が、ある一点に吸い寄せられるように集まっているのだ。
その中心にあるものは、小さな小さな一匹の『いなご』(の姿の『影』)。
前述のとおり、虫型『影』の中心は「いなごへの恐怖」である。
だから『影の長』が『いなご』であるのは至極当然の理。
で、その『影の長』は何をしようとしているのか?


お約束の『巨大化』である




「勘弁してよ、もう……」




数秒も経ずして、巨大いなご(の姿の『影』)の完成である。
合掌。
巨大な羽を開き、ぶうんぶうんと言う業務用クーラーの室外機のような音を立てながら、巨大いなごは、麗子に飛びかかった。
よけることも出来ず、なすすべもなくその接近を見つめる麗子。
巨大な口が、横に開くと、唾液か胃液か分からないようなドロドロの液体がこぼれ、じゅっ、と地面を溶かす。
麗子は、必死で身体中の力をかき集めた。
しかし、もう一度、奥義を放つための量には至らなかった。
目の前の、目を閉じて必死の形相をしている人間が不思議なのか、巨大いなごは首を軽くかしげ、一つ一つが確認できるほど大きな複眼で、じっと見つめる。
そうしてから、おもむろに前進しようとした、

その時だ。




ズオオオオオオオオオオ




聞いたことの無い、強いて言えば掃除機の吸い込みの音を馬鹿でかくしたような音がして、麗子は目を開けた。
「何が起こってるの?」
彼女に死を覚悟させた、巨大いなごの姿が、急速に薄れていくのだ。まるで霧が晴れていくように。




―――くうーーーくうーーーくうーーーくうーーー




―――くうーーーくうーーーくうーーー




―――くうーーーくうーーー




次第にはっきりと、その調子はずれの声が聞こえてきた。
まるで、鼻歌のように歌っている。しかし、けっして上手ではない。どちらかと言うと、聞いている人間の神経を逆なでするような歌い方。
あまりにスローテンポな調子に、麗子は自らが置かれた状況も忘れて苦笑した。




声がもうすぐ近くになる頃には、巨大いなごはもはや完全に消滅していた。



そして、入れ替わりに現れたのは、

白馬に乗った王子様

ではなく、




粘土細工の人形のようなモノであった。




目に当たる部分が、空洞になっており、まるで骸骨のような顔だ。

麗子は愛用の杖を、文字通り杖にして何とか立ち上がった。
命の恩人に礼を言うためではない。
新たな敵と対峙するためである。

粘土細工は、今まで見てきたどの『影』よりも強大で、禍禍しい気配を持っていた。

ズオオオオオオオオオオ

粘土細工の右腕は、巨大な筒状になっており、そこからものすごい勢いで空気を吸い込んでいた。
空気だけではない、その辺り一帯の生きとし生けるものの生命力、『影』の邪念の力までを取り込んでいるのだ。

「その筒で、あのお化けいなごを吸い取ったのね? 『影』も共食いするんだ」

精一杯の虚勢で、麗子は高圧的に詰問した。




―――おーれーたーだーのーかーげーちーがーうー

―――おーれー、りーくーえーいーしゅーうー

―――まーがーつーたーまーいーうー




「『りくえいしゅうまがつたまいう』? 何言ってんの? それより、どうして『影』のくせにしゃべれるワケ?」




―――おーれーあーたーまーいーかーらー、しゃーべーれーるー

―――おーまーえー、おーれーよーりーあーたーまーいーんーだーなー

―――そーんーでーもーってー、つーおーいーんーだーなー

―――おーれーつーおーいーやーつーすーきーだー




「それは、光栄だわね」

苦笑を禁じえない。普段の力が残っていればすぐにでもふっ飛ばしてやるところだが、いかんせん立っているのもやっとの状態だ。黙って拝聴するより無い。




―――おーれーはー、あーたーまーいー

―――でーもー、もーとーいーくーなーるー

―――おーれーはー、つーおーいー

―――でーもー、もーとーつーおーくーなーるー

―――だーかーらー……




「……だから?」

聞きたくは無かった。答えは大体見当がついていたから。




―――あーたーまーいーやーつーくうーーー。

―――つーおーいーやーつーくうーーー。

―――おーれーのー、こーうーぶーつー。

―――おーまーえーくうーーー。




―――くうーーーくうーーーくうーーーくうーーー




―――くうーーーくうーーーくうーーー




―――くうーーーくうーーー




粘土細工は、うわごとのように歌うように繰り返しながら、筒状の右腕をおもむろに麗子に向けてきた。




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