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第21話「旋風に流れ、盤上に円舞するもの」





「ご協力に感謝しますよ」
爽やかな笑顔を向けられたのは、虚ろな目をした百観の若い巫女だった。
ここは、百観の大聖堂の最奥。なんぴとも立ち入りを許されない聖域である。
ブロンドの髪をなびかせて、青年はその巫女と二人、そこに佇んでいた。
「さてと、貴方はもう自分の部屋に戻って頂いて結構です。ほんと、ありがとうございました」
青年の声に、何の反応も見せぬまま、巫女はふらふらと歩いて立ち去る。その後姿をしばし見送った後、青年はひとりごちた。
「あとは、弥陀の『浄珠(きよつたま)』ですね」
そのとき、ふらふらと部屋の入り口に歩きついていた巫女が、ぐらりとその体を傾けた。
「おや?」
大して驚いた風でもなく、青年がそう言って振り向く。
「ここは男子禁制の聖域。知っての狼藉か?」
見ると、若い巫女を、一人の青年が抱きかかえている。いや、青年ではない。まるで戦士のような、たくましい体つきの巫女なのだ。短い茶髪や、隆々たる筋肉がそのような印象をあたえているだけで、服装はまさに百観の巫女の正装、それもかなりの高位だ。
「左様でございます。いかなるご用件でいらっしゃったのでしょうか?」
ブロンドの青年のすぐ背後に、いきなり気配が降り立つ。こちらは、清楚な感じの声。紫の長髪が腰のあたりまである。艶やかな睫毛に飾られたその両目は閉じてられたままだ。
「うわあ、百観参天女のうちのお二人にお会いできるなんて、光栄ですね」
青年は、さして緊張も警戒もせず、にこやかに言葉を返す。
「野郎! 質問に答えろ!」
短い髪の巫女が、若い巫女を床に横たえるとすぐ、剣を抜いて切っ先を青年に向けた。
「怖いなあ。聖職にある身で、そんな物騒なものを振りまわしてもいいんですか?」
「彼女の剣は、呪術用のものです。人を切るのではなく、人の心の闇を切る刃、『破邪』。そして、わたしは、その闇を見とおす目、『先見』」
長髪の巫女が、ゆっくりとした口調で言う。まるで、洗練された祝詞を詠いあげるかのように、
その声は辺りに響いた。
「で、僕の中に闇は見えますか?」
突きつけられた剣の先から目を離さずに、青年は愉快そうに問う。質問された巫女は、多少困惑気味の表情を浮かべ、苦笑しながら答えた。
「それが、さっきからやっているのですが、見えないのです。貴方の心はどこにあるのですか? 闇どころか、いかなるものも見えない」
青年は、その答えに満足そうにうなずくと、おもむろに振りかえり、長髪の巫女を見つめた。
「見えなくて当たり前ですよ。僕の心は『無』なんですから」
卒倒しそうなほど、美しい笑顔を浮かべて。

















エリスとノアを乗せた車は、切り立った崖の中腹にしつらえられた道を走っていた。谷間を吹き抜ける風が思いのほか強く、一行を乗せた車は、のろのろ運転を余儀なくされていた。
その谷の半ばにさしかかった時だった。




ガクン




衝撃が、車内の人間を襲った。
「どうしたの?」
エリスをかばうように抱きしめたノアは、何事かと運転席に声をかけ、そして絶句した。そこにいたのは、血まみれの運転手の姿だったのだ。
「ノア様……、お逃げ下さい、早く……」
それだけを言うと、運転手はこと切れた。
次の瞬間、瞬時に飛びすさったノアの目の前で、車の前半分が、視界から消えた。
「なに? 何が起こってるん、ノア?」
「ごめん!」
おろおろするエリスを、よりきつく抱きしめて、まだ動いていた車から飛び出す。車はそのまま深い谷底へと転落し、少したってから爆発音がこだました。
「ノア、なにが、なにがおこってるん?」
手を離しエリスを地面に降ろすと、不安なのだろう、目にいっぱいの涙をためて、エリスはなおもノアにしがみついた。
「大丈夫! 私がついてるから!」
今までの真剣な顔つきを緩め、安心させるように微笑みかける。
「なんたって、私は……」
ノアの言葉が終わらぬうちに、辺りに声が響いた。風が強くて何処から聞こえてくるのか判別できない。
「私の獲物が、かような小娘とは。他の連中が羨ましいぞ」
その声は、芝居がかった口調でそう言った。
「くっ!」
ノアは、エリスの手を引き、声とは逆の方向に走り出す。
「どこへ行くつもりだ?」
その真正面からまた、声が響く。
「まさか、私から逃げるつもりなのか? 樂竜子よ」
恐怖のあまり、ぺたんと座り込み、がたがた震えだすエリス。
「ちぃっ!」
ノアは、自分の小指を歯で傷つけると、流れる血で瞬時に呪符を空に描く。並の『影』なら一発で撃退できるほどの威力を持った、『封印の呪符』だ。
「ふん、人の分際で私を『束縛』しようとは、片腹痛いわ」
風は止まず、エリスは先ほどから動けない。
刹那、風を切るようにして、一つの巨大な手裏剣が二人に襲いかかった。
「まだよ!」
ノアの手の動きは止まらなかった。同じ呪符を何枚も重ねるように描く。その二重三重の呪符の壁に手裏剣ははじかれ、現れた時と同様、いずこともなく飛び去る。
「ほう、面白い芸当が出来るものだな?」
封印の力が重複し干渉し合うことで、より強固な力が生まれる高度な呪術だ。
「百観参天女が一人、『守護』のノアを甘く見ないことね!」
血で空中に描かれた呪符は、それ自身が意志を持つかのように飛びまわり、ノアとエリスの周りを、まるで衛星のように回り始める。
「自らを擬似封印する絶対防護結界か。しかし、いつまでもつかな?」
その通りだった。この結界はなまじなことでは破られないかわりに、中にいる人間も外に干渉できない。相手は疲れを知らぬ『影』。ノアの精神力が尽きればそれまでだ。
「くっ!」
ノアは、自分の唇を血がが出るほどに噛み締めた。

















深い深い闇の底に、気配が二つ。
「老師、『地鉄』は?」
「奴の迷いは消えておった。じき、解放させるじゃろ。それより参謀、ロバートの方はどうなっておるのかのう?」
「そのことですが、やはり相手が悪いのでは無いでしょうか? 百観の大聖母とその直属の巫女『参天女』、楽に突破できる相手ではないと思いますが?」
「そのようなことは心配無いじゃろう。ある意味、彼は我々の誰よりも強い。問題は、『間に合うか』じゃ」
「そうですね。仰る通り彼は強い。今、弥陀に『跳んだ』のを確認しました」
「そうか、ひとまず安心じゃな。あとは、朱雀珠離の『虚理(うつろごと)』と、蒼竜流尊の『速風(すみかぜ)』か」
「朱雀公は自ら封印を解くでしょう。流尊には司令が降臨しています」
「わしらは、わしらの仕事に取り掛かろう。人事を尽くさば、あとは天命を待つのみ」
「御意」

















「消えた!」
つい今しがたまで、己が剣を向けていた相手は、忽然と消え去った。なんの予兆も無く、その存在そのものが、始めからそこになかったかのように。
「どこにいる!」
鋭く辺りを見まわす。
「―――私の目でも、見えません。姿を隠したわけではないようです」
なにか、後ろめたそうに紫の長髪の巫女は言った。
(この私が、あの青年の笑顔に魅入られたというの?)
その感情をなんと呼ぶにせよ、その一瞬の隙をついて、青年がなにかをしたのは確かだ。
「くそっ! これでは大聖母様に申し訳がたたぬ」
しきりに悔しがる、茶色い短髪の巫女を見つめる。彼女の心は分かりやすかった。
(自分の不甲斐無さに対する後悔、ただそれだけ。)
こどものような純粋な心を見、多少救われた気持ちになる。自分の力が弱まっていたわけでもないことを確認できた。
(では、なぜ何も見えなかったの?)
答えを知っているはずの人間は、既に居ない。

















「悪しきものより我を守れ、十二神将、招来!」
ノアの叫びにも似た詠唱に誘われて、結界の外側に十二体の式神が現れた。
結界が実体化した守護式神である。神々しい光を放つ修羅の姿をして、中空に浮かぶ。
「式で私と闘うというのか? はははは、笑わせてくれる」
またもいずこからとも無く、巨大な手裏剣が襲来する。各々に武器を持った式神たちが、一斉に身構えた。
ザシュッ
武器ごと切り裂かれていく式神たち。最後に残った十二体のうちもっとも巨大な式神が、素手で手裏剣を取り押さえた。しかし、手裏剣が止まったのは一瞬のことで、再び回転を始め、最後の式神をも切り裂いた。
そのままの勢いで激しく結界にぶつかる。
「この結界でも、持たないの?!」
結界の向こう側が歪んで見える。手裏剣がぶつかっている辺りから、結界全体に波紋が広がっているのだ。
「エリスっ! ここは私が何とかするわ。あなただけでも逃げて!」
後ろにいるはずのエリスに向かって叫びながら、再び空に呪符を書き始めるノア。
「いやっ!」
「わがまま言わないで、お願い!」
「いや、一人にしないで」
今にも泣き出しそうなエリス。ノアは意を決し、深く息を吸い込んだ。
「甘ったれるんじゃないわよ! あなたを守るために、今まで何人の人間が死んだと思ってるの? ここであなたが死んだんじゃ、彼女達がうかばれないわ!」
エリスはこれほどの激しい口調のノアを、初めて見た。でも、不思議と拒絶を感じない、それは優しい怒りだった。
「でも、もう嫌や! 大好きな人と別れるのはもう二度と嫌なんや!」
「大丈夫! 私は死なないわ」
ついに泣き出したエリスに、ノアは、その場の状況に似つかわしくない明るい声で、優しく言い聞かせた。
驚いて顔を上げたエリスは、そこに聖母のような笑顔を見た気がした。
「本当?」
「ええ、約束するわ! だから、この場は私に任せて早く逃げて!」
「うん……」
―――嘘や、ノアはうちをかばって死ぬ気や。
エリスの脳裏に、頭から血を流し、倒れていく兄の姿が浮かんだ。
―――うちのせいで、皆死んでしまうんや。うちがいなかったら、兄さんも死なずに済んだはずなのに。せめて、うちにもう少し力があれば……
そこまで考えて、エリスは、大聖母マリアの言葉を思い出した。








――あなたには、偉大な力が宿っています。――








―――あの女の人なら、ノアを助けてくれるかもしれない。

エリスは、その自分にとって忌むべき存在に、始めて自分から働きかけた。

―――お願い。うちの身体をあげてもいいから、ノアを助けて!

次の瞬間、なんとも言われぬ震えが全身を駆け、少女の視界がかすんでいった。
「美弥さま!」
薄れゆく意識のなかで、エリスはノアがそう言うのを聞いた気がした。

―――今、なんていうたん? うちのこと『美弥さま』って?

その名が妙に頭に響いた。

―――『美弥』? ソレハワタシ?

少女の銀色の髪が、漆黒に染まる。




鬱から脱出なるか?

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