小説ホームへ

第23話「神の武威、解放さる」





「何!」
全ては一瞬。咒鬼がガイを放り投げていなかったなら、ガイは今ごろ無残に潰されていたことだろう。その咒鬼のように。
狭い谷の底を歩いていたときだった。
巨大な岩が突然に降ってきた、いや、ガイ目掛けて投げつけられたのだ。
明かに故意の攻撃だった。
身を翻し、大地に降りたつ。咒鬼はもはやただの土くれに戻っていた。
「何者だ!よくも咒鬼を!」
声は、ただ、静かな夕暮れの渓谷に響くばかり。
焦ってはいけない。気を鎮め、息を整えて、再び咒鬼を大地から召喚する。
「?」
大地に動きは無い。それどころか、ガイの『力』に反発してさえいる。
「大地が、俺を試しているのか?」
ぐらり、と大地がゆれる。思わず飛びのいたガイの前に現れたのは、
「兄者!?」
一瞬、見間違えたほど、そっくりな石像だった。それが、大地から生えてきたのだ。
石像がゆっくりと笑った。醜い笑顔だった。笑った顔のまま、石像は崩れ去った。
「一体何が起こっている!」
確かなことが二つ。この付近の大地はガイ以外の術師の支配下にある。それも、かなり強い。そして、兄を殺したのはそいつだ。
再び、大地が歪む。
吐き気が襲った。手をつきかがむようにして耐える。
今度現れたのは、咒鬼の数倍はあろうかと言う、岩の巨人だった。
手に、その身体には見合わない、小さな杖を持っている。杖から発せられる邪気が、大地を狂わせる。




―――笑ってやがる




一族最強とはいえ、咒鬼がいなくては何もできない。
そんな無抵抗に近い小さな生き物を前に、恍惚の表情を浮かべる。




歯軋りの音に、自分では気がつかない。
















「この我が、恐怖を感じていると言うのか!」
絶叫と共に、陥水は斬りかかった。真っ二つにするのではない、粉々に破壊するのだ。破壊し尽くすのだ。目の前から消し去るのだ。身体を構成する粒子までもが、一様に震え、ざわめいていた。
槍と同化した手に、手応えは無い。
「どこを見ている?」
声の方に目を転じる。白銀の氷原に、白銀の髪の青年が立っていた。美しい碧の瞳は、心なしか笑ってさえいる。
闇雲に三叉の槍を振るう。青年が目に映るだけで、自分の何かが吠え叫んだ。青年の周りの氷が一気に蒸発し、爆発する。
「やったか?」
爆炎の中から、青年は無傷で現れた。青年の持つ牙を象った槍が、神々しい白い光を放ち青年の髪を白銀から、更に透明な白へと変質させているように見えた。
その瞳は、やはり微かに笑っていた。
「貴様、俺が弱いと言ったな」
落ち着いた声だ。陥水は、醜い身体を硬直させてただ立ち尽くしていた。三叉の槍が、青年の右脇を指して、揺れている。
青年が動く。
動いたのかどうか、実際には分からない。
佇む青年の姿の次に見たのは、暗闇だったからだ。




「その通りだ」




そう聞こえたかもしれない。
















「お仕事終了。さて、帰りますか」
シミ一つ無い、真っ白な壁に囲まれたドーム状の広間。白虎の秘宝が祭られた部屋だ。その宝の姿は既に無い。
――― 侵入者 ――― 侵入者 ――― 侵入者 ―――
「そうも行かないかな?」
童子の姿をしたモノが数十体。恐らく警備用の式神だ。彼らは、恐ろしく機敏で、精密で、厄介なことには心を持たない。
「目くらましは効かないし、やっぱ『跳ぶ』しかないか」
心が無ければ、心の隙間も無い。
「今日、これで五回目なんだけどなぁ」
間合いは徐々に詰まっていく。
「一応、不法侵入してる訳だし、非はこっちにありますからねぇ」
飄々とした侵入者の言葉に激昂したわけではあるまいが、無表情な童子の顔が、一瞬にして憤怒の形相になる。手に持った槍や剣が妖しい光を放つ。
「仕方ない。『跳び』ましょう」
一斉に飛びかかる。何かが潰され砕けるような鈍い音がした。侵入者の姿は無かった。数体の式神が破裂する。同士討ちになったのだ。
式神たちは無表情に戻り、整った足並みで担当の場所に帰って行った。何事も無かったかのように。
引き裂かれた数枚の呪符の、床に落ちる音が響いた。
















―――こんなことで、死んでなるものか。どこかに突破口は必ずあるハズだ。








ガイは知らない。オウガが死の間際に同じことを思ったなどと。
突破口を探し、走らせた眼の端に、崩れ去った咒鬼の残骸が映った。
この付近の大地から生まれたわけではない咒鬼の身体は、まだ敵に支配されていない。
「来い! 咒鬼!」
全身全霊を込めて、呪力を放った。目がかすんで、敵の巨体の輪郭がぼやける。それでもなお、腕を振り上げ、叩き潰そうとしているのが明かだ。
崩れた土くれが、激しく反応する。無機物である土が、命をもった生き物のように蠢く。ごつごしした質感を保ちながらも、どこかアメーバを思わせる動きで、形を作っていく。
後は、敵が拳を振り下ろすのが先か、咒鬼が復活するのが先かだ。
谷間を吹き渡る風の音さえも、どこか遠くで響いているように聞こえる。代わりに甲高い耳鳴りが絶え間無く、神経をさいなんだ。気が遠くなるとは、このような状態を指すのだなと、妙に感心する。意識が薄れるのを唇を噛んでこらえた。
風の音が変化するのが、ようやっと分かった。轟音と呼ぶに相応しい唸り。敵が巨大な腕を振り下ろしたのだと思った。




―――俺は、負けたのか?




おぼろげな光しか見えなくなった目を、かっと見開く。真っ暗だ。何も見えない。死んでしまったのだろうか。
急に暗闇が消え、目に光が戻った。
今まで、目の前を塞いでいたものが、どかされたのだ。
「咒鬼!」
いつもより、一回り小さい姿の巨大な友が、己の数倍はある相手を押し戻している。
敵の拳を両手で受け止め、押し返す。巨大な目が、ちらりとガイを見た。呼んでいるのだ。
「待ってろ」
ガイは、己がいるべき場所、咒鬼の肩の上を目指して駆け出した。湿った砂利が、小気味良いリズムを刻む。渓谷に立ち込めていた霧が晴れ、月と星々が辺りを照らす。谷を支配していた呪縛は、消えつつあった。光を受けて、影の巨人は真っ黒に浮かび上がる。
ガイが、咒鬼の肩に辿りつく。咒鬼がほのかな光を放っていた。それは、黒色の光。闇ではない、月の光にも負けないほどの強さを持った、しかし黒色の光。
手前で一段と加速し、踏み切った。迷いは無い。そこが自分の居場所なのだ。静かに着地する。咒鬼の大きな耳たぶを右手で掴み、左手は呪印を組む。
咒鬼の岩石の腕に、血管のような亀裂が走った。気を抜いたらそのまま砕けてしまう。
「汝の頭上を見よ。父なる天は、汝とともにある」
タキトの伝説にある一節。普段の呪文の代わりに、自然と口をついて出た。巨大な敵が、徐々に押し戻されていく。
「汝の足元を見よ。母なる大地は、汝とともにある」
大地を踏みしめ、一歩一歩、着実に足を進める咒鬼。敵の顔に、嘲りの色は無い。渾身の力をこめ、踏みとどまろうとしているのが分かる。
けれども、咒鬼は止まらない。しっかりとした足取りで、押し返す。敵が絶壁に背をぶつけても、なおも咒鬼は、咒鬼とガイは止まらない。ゆっくり、しかし、全力をこめて、敵を壁にぶつける。
鉱物が砕ける音がした。敵の拳が、力の均衡に耐えられなくなったのだ。亀裂が全身に走り、砕ける。断末魔の唸りが、大地をふるわせた。
気がつくと、ガイは全身にびっしょり汗をかいていた。精神力のほとんどを搾り出したのだ。身体にも影響が出ている。足ががくがく震え、身体の芯が熱い。汗は止めどなく流れたが、不思議と爽やかだった。咒鬼の耳を強く掴んでいた右手も、呪印を組み続けた左手も、その形のままで固まっていて、当分直りそうも無い。関節がいかれてしまっているのが分かった。不自然な形で固まった両手を、しばらく凝視していた。無性に叫んでやりたくなった。
「なんだ?」
なんの事は無い。背中の服があたっていない部分を、一筋の汗が流れた。それが思いのほか冷たいのだ。同時に、吐き気の感覚が甦る。主人の感覚に同調するように、咒鬼が再び戦闘態勢に入った。




グオオオオオオオオン




「まだ、生きていた!」
先ほどの巨人の、ミニチュアが宙に浮かんでいた。ガイよりも頭二つ分大きいぐらいの人間サイズ。巨人の持っていたものと同じ杖を持っている。周りには、ガイが暴走したときのように、岩や小石、砂の類が浮遊している。
「行けるか?」
咒鬼に尋ねる。無口な友はなにも言わずに、敵をじっと見据えた。
「愚問だな」
口の片一方を吊り上げるようにして、笑った。こんな笑い方は生まれて初めてのものだ。兄とあの男が、笑い合ったときもこんな笑い方だったかもしれない。額の汗をぬぐう。
「行くぞ!」
敵は、杖でガイを指し示した。岩が、砂が、ガイめがけて飛びかかる。かまわず、突っ込んでいった。咒鬼と同じくらいの岩を、拳ひとつで砕き、刃物のように鋭く尖った小石たちが、身体を切り裂くのを無視した。砂の目潰しをくらっても、ガイはひるまなかった。見えない視界をすて、目をきつく閉じ、気配のみで相手を探る。
ガイと咒鬼に、余力は残っていない。敵の本体を一気に叩くしか、勝機は無い。
不思議と、負ける気がしなかった。満ち溢れる根拠の無い自信に、ガイ自身も戸惑っていた。身体中の肉や骨が軋んでいるのに、心はなんと力強く輝くのだろう。
敵の操る岩の中でも、最大級のものが数個、咒鬼を囲むようにして迫った。全てを破壊するのも、かわしきるのも不可能。勝利を確信した笑みが、岩石の顔に不自然に浮かぶ。
迫る岩を目の前にしても、ガイは勝利を信じた。




堅い物質が破砕する音。
再度、谷間に轟音が響き渡る。
粉々に砕かれ、目では確認できないほどの塵に還っていく。
舞いあがる土煙は、月明かりに輝く。
きらきら、きらきら、きらきら、きらきら。
岩は全て消滅していた。
「汝の傍らを見よ。友は、汝とともにある」
傷だらけで、服を鮮血で染め、なおも目を閉じたままの少年がいた。
彼の傍らには、左肩から先を無くした巨大な友の姿もある。
圧倒的な霊気を放つ鉄槌が、その手にあった。
血の涙を流しているような目を、きっと見開いた。




―――玄武の至宝、『地鉄(つちくろがね)』―――




その名に思い至る前に、岩石人間は、不自然な笑いのまま一瞬で砕け散った。








小説ホームへ
ご意見ご感想はこちらまで→作者宛のメールフォームを開く