「うがっ!」
目が覚めると、見知らぬ天井だった。清潔な印象の白い天井。視点を移すと、同様に白い壁。鼻をつく消毒薬の匂い。どこか遠くで、カタカタと台車を押す音がする。
「病院か?」
病院である。拠って、彼は病人である。正確には怪我人である。その証拠に、彼はミイラさながらの包帯ぐるぐる巻きで、ベッドに横たわっているのである。
「動けない……」
動けなくて幸せである。動けば、治りかけの火傷痕がベロッと剥けてしまう。くだけた骨が、筋肉や内臓に突き刺さる。もっとも、それは昨日までの話。あと一日もすれば、完全な健康体に戻れるほどに、回復していた。
「ずいぶん遅いお目覚めね、勇気」
なんとか首だけ動かし、声の主を探す。そこに座っていたのは看護婦さん、ではなく、一目でそれとわかる、シノビ装束の女の子である。が、声の主はその隣で仁王立ちになっている麗子嬢である。勇気は、麗子を無視し、シノビ装束の女の子に話しかけてみた。
「君は……」
「はいっ! その節はどうも有難うございました」
「確か……」
「霧狼忍、十六歳ですっ! 勇気様!」
「様付けは止めて欲しいような……」
「ボクと勇気様って同い年なんですねっ!」
「はぁ。(人の話、聞いてないなぁ)」
「ちょっと、なに無視してんのよ!」」
「いたの、麗子」
「わざとらしいのよっ!」
殴ろうと振り上げた麗子の拳の前に、忍がすかさず立ちはだかる。
「どきなさいよ。じゃないとあんたも殴るわよ!」
「勇気様は、怪我人ですっ!」
凄まじい殺気と殺気がぶつかり合い、飛び散る火花が見えそうである。
「まあまあ、お二人ともお止めなさい」
首の角度をどうにか調節すると、麗子の後ろに和装の良く似合う男、蒼竜公、星雨新羅が立っていた。今日も紺色のちゃんちゃんこが決まっている。
「起きたばかりで混乱しているでしょうから、まずは、現状をお話しましょう」
「助かります」
さり気に、二人の娘の間に入り込む。あまりに自然な動作なので、二人とも何とはなしに殺気を流されてしまった。
「見ての通り、ここは病院です。朱雀大学の付属病院のようなものですが。君は、朱雀の南にある大森林地帯『だった』場所に倒れていました。天雀衆の皆さんが、発見して運んできたのです」
「そうだ、あいつは? あの炎の塊みたいな奴は?」
「発見時に、あたりには何一つ残っていませんでした。君と、君を守るように宙に浮かぶ剣以外は、何も」
何一つ、の部分を強調する。言われて気がついた。剣はどこだ? 首を捻ると、枕元付近に轟刃(とどろくやいば)が立てかけられている。が、何かが違う。
「蒼竜公の秘宝、『蒼竜の瞳』を取り込んでいるのです」
勇気の心の内を読んだかのような言葉。普通ならびっくりするところを、さして気にする様子も無く、剣に目をやる。曲がらない首を最大限に曲げ、上目遣いで必死に目を凝らす様子は、様になっていない。
すっと、視界を遮るものが現れた。同時に、すこし甘い香りが感じられる。視界が開けると剣が無い。
「ボクが持っていた方が、見やすいでしょう?」
視線を転じると。忍が剣を持って見やすい位置に差し出してくれている。自然と顔が接近してきた。その横で、なぜか麗子がふくれている。
「なるほど、柄の部分に宝石が埋まってる」
普通、そこで照れるとか、恥ずかしがるとか無いか、主人公よ? 私は何の為にこんな恥ずかしいシチュエーションを作ったと思うのだ。もちっと、期待通りのリアクションをくれよ。
「この『蒼竜の瞳』は、太古、歴代の蒼竜公が用いた名剣の魂を宿しています。その剣の名を『轟刃(とどろくやいば)』」
「へ?」
「奇しくも、同名の剣に吸い込まれた……訳ではありません。凰斉先生がその名前を指定して注文したんです。名は霊格を規定する大事なものですからね。最高の剣には、最高の名を、と言う訳です。君の属性である雷は蒼竜が司っていますから、最適な名前だった訳です。
蒼竜の瞳は、導真の蒼竜公邸に封印されていましたが、何者かの手によって、その封印が解かれてしまっています。セイご自慢の警備システムを作動させることなく侵入する辺り、只者ではないですね。
ほかにも、流尊の『速風(すみかぜ)』 珠離の『虚理(うつろごと)』 弥陀の『浄珠(きよつたま)』 百観の『凍牙(こおれるきば)』 武魂の『地鉄(つちくろがね)』の封印が解かれてしまいました。
ま、そのお蔭で、君達は助けられたわけですが」
「爺さんから聞いたことがあるなぁ。どれも、それぞれの都市を守護する聖なる武器で、確か『神具』とか」
「はい、その神具です。各都市で『御神体』として祭られていました」
「いや、んなことより先に聞くべきことがあった。あのバケモノは一体何なんだ? 『影』の一種だと思うけど、半端な強さじゃなかったし、第一、しゃべってた」
「君が遭遇したのは『焔斬(ほむらぎり)』と言います。『六影衆(りくえいしゅう)』のリーダー格ですね」
「六影衆って?」
差し出していた轟刃を、そっと壁に立てかけながら、忍が聞く。心なしか頬が上気している。その横で、相変わらず麗子がふくれている。
「太古の昔、私達人類を滅ぼそうとした神がいました」
「知ってるわ。破壊の神『闇竜(あんりゅう)』」
得意万面な麗子に苦笑いしながら続ける。
「……ええ。その闇竜の使い魔として、私達の祖先の前に立ちふさがったのが『六影衆』。その力は凄まじく、一日にして全人類の半分以上が死滅したといいます」
「全人類の半分だって?」
「正式な記録がありますから、間違いありません。ですが、欲しいままに殺戮と破壊を繰り返す彼らを倒すべく、六人の戦士が立ちあがりました。名を『六竜子(ろくりゅうし)』」
「りゅうし?」
「竜の子どもと書きます。私達の守護神である『光竜(こうりゅう)』の御子を名乗った、とされていますが、正しい由来は不明です。
彼らはそれぞれ自分の属性に従って、『雷竜子』『風竜子』『炎竜子』『樂竜子』『氷竜子』『金(こん)竜子』と名乗りました。
彼らの活躍で、六影衆は倒れ封印され、邪悪な神もまた、地中深くに封印されました。その彼らが使った武器が、『神具』なのです」
「だから、僕は『雷竜子』なのか。その封印がなんでまた?」
「分かりません。ですが、彼らの封印を解けるのは、光の一族か、闇の一族しかいません」
「光と闇?」
「光竜を崇める民と、闇竜を崇める民です。光の名の下に施された封印は、同じ光の力で解除するか、対立する闇の力で打ち破るしかないのです。もっとも、後者はかなりの力量が必要ですが」
「でも、もう倒しちゃったんだから、良いじゃない?」
「彼らはまだ、生きていますよ」
「えっ?」
「彼らの本体は『武器』です。身体は、普通の『影』と同じ原理で出来ています。
剣を二本柄の所でくっつけたような形で、炎を操る奇剣『焔斬(ほむらぎり)』
虚無の暗黒を宿し、全てを吸い込む邪悪な宝玉『禍魂(まがつたま)』
生命の源である水の三態を自在に操る三叉の槍『陥水(おつるみず)』
岩石を始めとした無機物をまるで生き物のように操る、魔杖『震岩(ふるういわ)』
稲妻の如くに天空を駆ける飛翔の力を持つ、悪魔の爪『雷裂(いかずちざき)』
風を操り、風に乗り、全てを切り裂く、円盤型の刃『流盤(ながるいた)』
お話を聞く限り、彼らの本体を破壊した方はいらっしゃらない。すなわち、彼らは生きているのです」
「待ってくれ。今の話の流れだと、僕と、それからこの霧狼さん……」
「ボクのことは、しのぶと呼んでくださいっ!」
「……忍さん以外にも、闘った人間がいるみたいだけど」
「ええ、麗子お嬢さんと、百観の巫女の『美弥』さんと、そこに座ってるフレッドと言う青年と、それから、君もあったことがあるでしょう、北方民族のガイという少年。それに君と忍君を含めた六人が、六影衆と対戦しています」
「蒼竜公さんは、ボクのことしのぶって呼んじゃダメだよ」
「つれないですねぇ。まあ、分かってて言ったんですが」
苦笑しながら、ふー、と息をつく。勇気はまたも、首を酷使する羽目になった。なるほど、足の方向にちょっとしたソファがあり、そこに見覚えのある二人の男が座っている。黙っているから気がつかなかったのだ。ガイは、床を見つめてぶつぶつ何かを言っている。フレッドという青年は、槍を肩にかけ、窓の外をぼんやり見ている……様に見える。
「で、皆さん大なり小なり怪我をされてましたし、神具解放について調査もしなければなりませんでしたので、久遠で一番設備の整った珠離に移っていただいた次第です」
「その『美弥』って人はどこに?」
「彼女は、もともと精密検査を受けるために、ここの研究施設を目指していたんです。今は、その検査の真っ最中ですね。なかなかの美人ですのでお楽しみに。
で、本題に入らせていただきますが、申し上げたように、六影衆は健在です。また、私達を滅ぼそうと活動を開始するでしょう」
「そんなことさせるもんですか!」
「ええ、なんとしても彼らを止めなければいけません」
「しかし、面倒なことになったわね。神具が無いんじゃ、各都市の結界が弱まってしまう。普通の『影』の被害も増えそうだし」
「あれ、麗子お嬢さん御存じなかったんですか? 神具は霊域の『力』を吸い取っていたのであって、その神具が解放されれば、結界はより強固になるのですよ」
「え?」
「それに、彼らの次の目的地は分かっています。彼らは六体同時に『光建(こうけん)』を攻める」
「なんでそんなことが分かるのだ?」
今まで無口だったガイが、初めて口を開いた。
「いや、実はもう二日前から始まっているんです」
「なっ!? シンお兄ちゃん、なんでそんな大切なこと言わないのよっ。こうしちゃいられないわ。急いで行かなきゃっ」
「ご心配には及びません。まだ、光建は健在ですし、あと二・三日は持ちますよ」
「なにせ、
久遠最強の男達
が、守ってますからね」
時は遡り、二日前。
久遠の首都、『光建(こうけん)』の結界のすぐ外に六つの影があった。
「忌まわしい。人間どもの小細工カ」
鋭い爪で、結界を殴りつける巨大な鳥。結界はびくともしない。
「ふん。こんなもの、破壊するまでだ」
どす黒いクリスタルの彫像。三叉の槍を振りまわす。
「雷裂も陥水も、そう息巻くな」
二体の後方から、炎に包まれた人型のものが歩み寄る。
「しかし、焔斬よ。この結界はちと厄介だぞ」
小さな竜巻と、その中で廻り続ける手裏剣。声は何処からとも無く響く。
「流盤、お前らしくも無い。結界を切り裂くのが貴様の趣味ではなかったのか?」
「それもそうだ」
「おーれーがーくーうー」
木偶人形が、意外な俊敏さで結界の前に現れた。
「禍魂か。そうだな、貴様が適任だ。震岩、ここは土ばかりだ。お前が大地から『力』を搾り取って、禍魂にまわしてやれ」
杖を持った小型のゴーレムが、無言のままに杖を振るう。大地が割け、湯水の如くに『力』が溢れ出る。
「やれ」
木偶人形の右腕から、どす黒い『力』の奔流がほとばしった。