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第3話 「炎(ほむら)の乙女、文句を言う」

「ふう」
昼下がり。勇気は竹刀を杖代わりにして一息ついた。何故か服装が学生服のままである。あっ、いけねぇ、と言って、慌てて体勢を改めた。そして少々愉快になる。道場で竹刀を杖代わりにして、よく師範代にどやされたのを思い出したのだ。
―――『ここ』にあの頑固オヤジが居る訳がない。
こんな、異世界に知り合いが居る訳がない。それでも、そうした『自分の』世界の記憶と言うのは、『ここが異世界で、ここでは自分が異世界の人間だ』と言う、よく分からないアイデンティティーを支えているのだった。自分は『向こう』とまだつながったままなのだ。あの道場での自分と今の自分は、まごうことなき同一人物なのだ。ただ、
――――足元に異形のモノが倒れているだけだ。
「こらぁ!!!休んでんじゃない!!!!」
一瞬、勇気は師範代に怒鳴られたのだと思った。しかし、声の質は無骨な四十男のそれではなく、うら若き女性の鈴が鳴るような『怒鳴り声』であった。
「ああ?」
とりあえず、勇気は声の主にむかって訳の分からない返事をした。声の主――北条麗子は、一言言ったら五万倍になって返ってくる、そういう類の人間なのだ。下手に謝っても、逆に突っかかっても、どっちにしろ面倒なことに必ずなる。ここ数週間の間に、勇気は何度となくその被害にあっていた。そして見つけた対策法、それが、『意味がよく分からない返事をする』である。後は、向こうが一通り罵倒し倒すのを待つのだ。これが、一番短く済む。文句の内容も大体同じことしか言えないから、聞く方にも比較的大した精神的ダメージはない。
「―――――――――――――――――――っとにもう!使えないったらないわ!!!
――――――だから、あんたは――――――――――――ちょっと、聞いてる?
―――――――――――ちゃうわよ!まったく――――――――――――――――分かった?」
鈴の鳴るような、よく通る声ではあるが、凄まじい早口である。ベテランアナウンサーでもこうは行くまい。今回は4・5分で終わったが、、悪いときは20分以上かかるのだからたまったものではない。この前など、喋っている途中に『影』に襲われてエライめにあった。勇気はぼんやりと麗子の口が動くのを見ていたが、話が終わると今度はしげしげと麗子の顔を見た。整った、どちらかと言えば小さめの顔、強い意思を示すような朱色の眉、パッチリした眼には艶やかな睫毛が添えられ、その瞳は覗き込むものを吸い込んでしまいそうなほどに澄んでいる。すっと通った鼻筋の先には健康的な色の唇。その顔を縁取る髪の毛もまた燃えるような朱(あか)。ついでに言うと、服装も朱色が基調の服だ。上から下まで赤ずくめなのに、ちっともけばけばしくないのは、あの部屋と同じ。いわゆる、美女の部類に入るのだろう。とてもじゃないが、
――とてもじゃないが、凰斉の孫には見えない。
 あの温厚な(?)老人とは、似ても似つかない。もっとも、老人の亡くなった伴侶は相当な美人だったと聞くから、そちらに似たのだろう。
「いい?ここら辺は大体片付いたから、次の場所に移るわよ!」
勇気は今、この厄介な同行者と共に『影』退治の旅をしている。凰斉はそのために勇気を呼んだのだと言っていた。また、やってもらわなければ帰さないとも暗にほのめかされた。
 そう言われては、従うほかはなかった。最初は信じなかった勇気だが、やはり、実物を見てしまっては疑いようがない。自分に化け物退治の才能がある、と言われてもピンと来なかったが、竹刀は(信じられないことに)いとも容易く化け物共を切り捨てた。体が自然に動いた。
 『影』はあるときは獣に似た姿で現れ、またあるときは石や煙と言った無生物の姿で現れた。さまざまな種類があるように思えたが、凰斉によると、それらは皆もともと同じモノなのだそうだ。詳しい説明はまだ聞いていないが、とにかく『影』は人々の恐怖、畏怖、悲しみ、苦しみ、絶望、嫉妬、強欲などの『負』の精神エネルギーの塊らしいと言うことは聞いている。それらは人々が押し隠し、あるいは投げ捨てられた後、漂い、滞って、固まり、実体を持つに至る。
 実体を持ったそれは、自らを『核』としてよりいっそうの『負』のエネルギーを集め、『影』を生み出すのだと言う。やがて『影』は本能のままに人間を襲うようになる。もともと彼らの元となった感情は、他者に対する攻撃欲動や防御本能であるからだ、と言うのが一般的な見方らしい。
 それらが滞る場所と言うのが、人々から『禁忌(タブー)』とされてきた場所なのだ。それは古からの祠のような神聖な場所だったり、奥深い森のような立ち入ってはならぬ魔境だったりするのだ。そういう場所を巡って『核』を破壊するのが、勇気と麗子が今やっている旅の目的である。
――そう、今しがた勇気と対峙し、現在勇気の足元に倒れているものこそが、影の『核』。それが自ら化け物化した『影の長』なのだ。
「今日はこれで終わりじゃあなかったのか?」
――僕はもうヘトヘトなんだぞ。と、つなげる前に麗子の早口が、それを遮る。
「なに言ってんの!これから、あと2ヶ所まわる予定なんだから!!」
――聞いてないぞ!!
勇気はその言葉を自分の中で絶叫した。口に出して言ったところで何も変わらないのだ。旅の目的地は事前に知らされているが、詳しい内容は現場の勇気『たち』が決めることになっていた。場所によって『影』の強さが違うだろうから、と言う話だったハズなのだが…… 
「なに?何かご不満でも?――予定は全て、わ・た・し が決めるのよ。
文句言えるハズ無いわよねえ?」
麗子が、歌うように言う。紅の炎を宿した瞳が、からかうように笑っていた。
 そうなのだ。この押しの強い少女は、いつでも予定の決定権を自分のモノにしてしまうのだ。一時は反論を試みたこともあったが、口では彼女に勝てはしない。勇気は今や、彼女の忠実な下僕のように扱われていた。
「はぁ…」
麗子に悟られぬようにして、深く深くため息をつくと、勇気はおもむろに麗子に問うた。
「次は… ここから近いんだろうな?」
今のところの、精一杯の反抗の表明である。この世界にも、自動車や飛行機の類は存在するが、今居る場所は山深い森の中であり、来るときも徒歩だったのだ。もし、次なる目的地が遠いとしたら――――
「当分、飛ぶのはごめんだぞ…」
そう、この世界に来て、勇気は空を飛ぶ方法を教わったのだ。師匠は凰斉翁である。実際に凰斉が空を飛ぶのを見たとき、そして、自分が飛ぶことに成功したときの驚きは並大抵のことではなかった。しかし、初心者にとって、飛行法は体に全力疾走の倍以上の負担をかけるため、長距離の移動には適さない。 にもかかわらず、一昨日の移動に『女王様』はいみじくも飛行をお使いになられたのである。勿論、荷物は全て『下僕』たる勇気が持って、である。飛行機の都合がつかないから、と言う理由だったが、おかげで、勇気は船酔いのような状態になってしまい、そのままの状態で影退治をやらされたのだ。いまだに頭の芯がぐらついている感じが抜けないでいる。
「あら、今度の場所は、飛ばなきゃ行けないわ」
麗子は、自分の背後にある山脈を指差し、平然と言った。
「あの山の向こう側ですもの。登山なんかしてたら、日が暮れちゃうわよ」
――いい加減にしろ!!!
と、またも勇気は『心の中』で吠えた。殺す気か!!!!
 今にも斬り殺さんばかりの殺気で麗子を睨みつける。
 凰斉が麗子を紹介したときに言った言葉を思い出す。女の子と二人っきりで旅すると言うのはどうだろうか?と、戸惑う勇気に凰斉は言った。
――お主、その気があるのか?――そう赤くなるな。わしはお主を信頼しておるわい。それに、心配するでない、こう見えて麗子はなかなかの手練じゃ。足手まといには決してならん。むしろ心配なのは、お主が麗子について行けるか、じゃよ――
 そのときは、勇気の実力のことを言ったものと思っていたが、最近ようやくその真意が分かるようになってきた。
 麗子は、勇気の殺気も何のそので、出発の準備を始めるところだ。なんともやるせない怒りを胸に、勇気は荷物を背負おった。麗子の数倍はあろう巨大な荷物を。

 そのときだった。


ぐおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!

 巨大な何かが、森の木々をなぎ倒しながら現れた。
「なに!?」
麗子のよく通る声が、森に木霊する。勇気は背負いかけた荷物を放り投げると、剣を握り締めてその巨大なモノと対峙した。半ば本能的行動である。刹那、勇気は思い切り吹っ飛ばされた。その正体不明の怪物の体当たりを食らったのだ。太い大きな木に背中をしたたかにぶつけるが、遠のく意識を何とか気力で引き戻し、体勢を立て直す。
 それは、巨大な猿のようだった。毛むくじゃらの象のような巨大な胴体に、長すぎる四肢、その先には三本の鋭い爪があり、頭は盛り上がった両肩の間に埋もれるようについている。両の眼は狂気の色に光る。その姿に、勇気は見覚えがあった。
「『影の長』!!!」
それは、先ほど勇気の足元に倒れていた化け物にうりふたつだった。しかし、サイズが二まわりほど違う。
「さっきのは、ダミーだった、ってわけね。ケダモノのくせに、やってくれるじゃない」
麗子は、そう言うと愛用の杖を振りかざす。
「このわたしの裏をかくなんて、三千万年早いわよ。後悔なさい!!」
麗子の叫びと共に、杖の頭に付けられた宝玉から火球が放たれる。その炎が『影の長』に直撃した、かに見えた。しかし、火球は、巨怪の突然の咆哮にかき消されてしまった。
「なんですって!!!!」
咆哮の衝撃波は、火球をかき消しただけにとどまらず、麗子をも空高く弾き飛ばした。

きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 次に自分を襲った衝撃に耐えながら、勇気は麓の村で聞いた伝説を思い出していた。
――森の奥の怪物ですかい?そりゃあ、『山彦坊』のことかな。
――いえね、古い言い伝えですよ。「この森のずっと奥には『山彦坊』って怪物がいて、その叫び声を聞いたモンは、耳がきかなくなって気が狂う」ってはなしでねえ、ガキのころにゃ、たいそう怖かったのを覚えとりますよ。今でも、森の奥には誰も入りませんのでさぁ。――
影は、人々のもっとも恐れるもの――つまり、もっとも強いマイナスイメージ――をその形とする。だから、この森に現れた影は多くが大型の肉食獣の姿をしていた。そして、その『核』である『影の長』は、決まってこの手の伝説の化け物の姿をし、あまつさえ、その性質をも持つのである。もっとも、凰斉翁の言によると、伝説自体は、もともと幼い子供が危険な場所に行かないようにするための作り話などであり、それが伝わるうちに現実感(リアリティー)を持つようになったものなのだそうだが。
 『山彦坊』も、元は木霊を利用した作り話だったのだろう。人々の木霊への畏れが、山彦坊に咆哮の衝撃波と言う力を与えたのだ。
――次に、吠える前に決着をつける!!
一通り衝撃波をやり過ごしたあと、勇気は精神統一をし『力』を足にこめる。足の周りに放電現象のような閃光が走る。
 一気に怪物との間合いを詰めた。まるで稲妻のようなスピードだ。そのまま呆然と立ち尽くす怪物の胸を貫こうとしたとき、
キイィィィィィィィィッ!!
 タッチの差で我に返った怪物は、今度は機械音のような奇声をあげた。とたんに勇気はくらくらとめまいを起こし、剣の勢いはそがれてしまった。
怪物の丸太のような腕が勇気を払い飛ばす。
一昨日からの強行軍の疲れが、わずかなスピードダウンを招いたのだ。
――くそっ!
――その叫び声を聞いたモンは、耳が効かなくなって
――『気が狂う。』
今の超音波もどきこそ、山彦坊に与えられた――もっとも恐れられている『力』――だ。聴神経を通して神経感覚を麻痺させるのだろう。またも、木に叩きつけられ、勇気は心底麗子を恨んだ。眼を空に泳がせる。
 その視界に、空に浮かぶ麗子の姿が映った。麗子は両耳に手を当てている。
――あれは、
勿論、ただ耳を塞いでいるのではない。耳の神経信号を遮断しているのだ。手を当てているのは、ただ、そうした方がやりやすいからと言うだけである。その冷静な様子から見て、先ほどの超音波を食らう前に今の状態になっていたらしい。実戦における麗子の冷静迅速な状況判断には、いつも舌を巻く。勇気も麗子に習う。耳に手を当て、意識を瞬時に集中させる。途端に不快な音は止んで、静寂が訪れる。まるで音の無い映画でも見ているようだ。見ている世界の現実感(リアリティー)が急激に失われてしまう。
――いやな感じだ…
 勇気はこの感覚が、どうしても好きになれない。
それは、ひとえに今の境遇からであろう。なにせ、『ここ』には勇気の存在を裏付けてくれるもの――家族と友人、師範代と兄弟弟子との日常――が『存在しない』のだ。勇気が確かに『竜崎勇気』その人である、と証明できるのは、もはや彼自身の記憶、感情、感覚でしかない。その上、現実に触れている世界までが彼と隔絶してしまったのでは、不安定を通り越して『絶望的』な気分を喚起する。
――ふん!!!
精一杯の虚勢をはって、竹刀を血がにじむほどに握り締める。痛覚で自分の存在を現実に刻み付けるようにすると、――ほんの少しだけだが、ほっとした。
 巨怪な化け物は、狡猾そうな目をぎらつかせて再び吠え声を上げようとしていた。今、自分が相手にしている人間には、もう届くはずの無い、むなしい雄たけびである。
 今まさに、吠えようと大きく息を吸い込んだとき、怪物は真後ろからの攻撃受けて、大げさなほどの動きで前に倒れこんだ。無論、空をひらりと飛んで後ろにまわった麗子の火球が見事に後頭部にヒットしたのだ。
「勇気!!!!!」
麗子が合図するまでも無く、勇気は相手めがけて突進していた。両足のあたりに放電現象が起こっている。それは、勇気の加速とともに大きなものとなり、ついには勇気を巨大な青い光の弾にしてしまった。
「せいやぁぁぁぁぁっ!!!!」
 次の瞬間には、怒りに燃えて起き上がろうとしていた『山彦坊』の後ろで残心(剣道において相手を斬った後に相手に対して改めて剣を構えること)をしていた。半眼で見つめる先には、左半身の肩からわき腹までにかけてすこぶる風通しがよくなった『山彦坊』が立っている。その眼にもはや怒りの色は無く、うつろに天を仰いでいる。
 勇気がおもむろに竹刀を収める。山深き森の伝説の怪物は、雲が掻き消えるように消滅していく。麗子が地上に降り立つ。『影の長』は完全に消滅した。
「今日はもうやめにしましょう」
信じられないことに、麗子が穏やかな口調でそう言った。
「そうだな…」
異論は無い。余力はあまり残っていなかった。しかし、勇気の眼は疑心暗鬼の心情を映していた。先ほどの戦闘で、彼女には実質的な疲労は無いはずだ。確かに、一度吹き飛ばされてはいたが、その他にこれと言ったダメージは無い。奥義を使ったわけでもなく、火球や飛行などは熟練者たる麗子にとって歩くのと何ら変わりない。としたら、麗子は勇気を気遣ってくれていると言うことになる。
――ありえん。
しかし、勇気は思い直した。麗子がこう言ったのである。
「そんなじゃ、戦えっこないじゃないの!」
――この娘も、優しいとこあるんだな。そう思うと、妙にこそばゆい感覚を覚えた。
しかし、勇気は思い直した。麗子がこう言ったのである。
「その竹でできた剣が壊れちゃったんじゃあ、あなた、ただの足手まといだもの」
――へっ?
慌てて手元に収めた竹刀に眼をやると、それは原型をとどめぬほどに

『木っ端微塵』

になっていた。急に麗子の口調が『元に戻る』。
「ったくもう!!あなたときたら―――――――――使えないったらないわ!!!
――――――だから、あなたは――――――――――ちょっと、なんか言いなさいよ!
―――――――――――ちゃうわよ!まったく―――――――――――分かってるの?」
 勇気は、よく動く麗子の唇をぼんやりと眺めながら、十二年間をともに過ごした自分の愛刀とのあまりに唐突な別れを思っていた。

―――この日、麗子の文句の長さは自己最高記録をうち立てたという。

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