ありきたりな農村の風景、一面の水田と畑がきれいな桝目を描いている。遠くに見える一段と大きな藁葺き屋根は、いわゆる豪農のものであろうか。それとも、集会所とか、神社とかそう言うものなのかもしれない。その周りにだけこんもりと林が残っている。
きれいな桝目の罫線の一本が目に付く。灰色でほかに比べて幅が広く、一直線に続く。思うに、舗装道路ではないか。車は走っていないが、そうとしか見えない。
空は、やけに景気よく晴れている。空の青に遠慮するがごとく、雲が控えめに浮かんでいる。2〜3羽のトンビ(だと思う)がくるくると、ほとんど惰性で(としか見えない)旋回している。
道路脇にぽつぽつと民家がある。遠目では小さくよく見えないが、きっと立派な作りなのだろう。雰囲気と言う奴である。庭もかなり広い。池があるところも見うけられる。ここら辺の地主たちであろうか。よく見ると周りに、申し訳程度の家々が散在している。が、そんなに貧しくもないようだ。無論、遠いので雰囲気だけの判断である。
山並みがさらに遠い。さっきまでいたのは、どこいらだったのだろう。皆目見当もつかない。あの森の奥深くで、ひどい眼にあったのだ。なんとなく、記憶にとどめておきたくなって、眼に焼き付けようと思った。もっとも、たぶん全然違う場所を見ているのだろうが。
眼が疲れてきたので、やめにした。無意味もはなはだしい。それより飯だ。
適当なところで、弁当を買う。といっても、我らが『女王様』の顔パスでただである。『女王陛下』は、一番上等なのを頼んで、それでも、やれ少ないだの味が薄いだのと電光石火の勢いで文句を言っている。同時進行で食事も進んでいるのが理解できない。更には『下僕』には同じモノを食わせようとせず、何やら海苔弁当に毛が生えたようなのを下賜して、あなたはそれで十分、などといっている。食い物にはこだわる方ではないから、だまっていただくことにした。海苔が歯の裏側にへばりつくのを我慢すれば、結構うまい。
割と、近代的な建物が多い。夏休みに遊びに行った、おばさんの家がある町もこんな感じだったような気がする。道路を車が走っている。何故か赤系統が多い。眼にしみる。
どう見たってコンクリート作りだろう。何かから身を守るため、とでも言うように、堅牢な住宅が続く。ビルもある。商店街もある。自分の町を思い出した。
アドバルーン。これには驚いた。こんなものまで『ここ』にはあるのか。お約束でその下にはデパートらしきものまである。といっても、でかでかと『公立』と書いてある。お役所が経営しているデパートだとでも言うのか。『相棒』が言うには、あの公は朱雀『公』の『公』なのだそうな。
高層ビル。いわゆる摩天楼である。
ガタン。
約2時間の道のりであった。
カタカタカタカタ。
ようやく、到着である。
朱雀領、首都『珠理(しゅり)』
そこは、久遠の全ての学術、技術、情報が集まる、『智』の都。二度目だが、勇気はやはり見入ってしまう。そう、その街並は、勇気のよく知っている『東京』のそれと、実によく似ているのだ。はっきりした違いと言えば、街の中心部にある朱雀公公邸(むしろ、城か)が、これでもか、と言うほどに古代中国していることだけである。なんでも、もともとは、そちらの方が伝統的な仕様なんだそうだ。
近未来のリニアモーターカーを思わせる、流線型のフォルムが美しい乗り物(無論、色調は赤系である)から下りると、そこには既に迎えの高級車(勇気にはそれ以上の表現がない)が来ていた。そして、その高級車を遠巻きに囲むようにして人々が群がっている。朱雀公の孫娘であり、その卓越した『力』によって弱冠十八歳にして朱雀領のNO.2になった麗子を一目見よう、と言う、無邪気な民衆である。
(もっとも、若い男どもには、その反則なまでの美貌も多分に影響している。)
「麗子さまあぁぁっ!」
「朱雀、ばんざあぁぁぁい!!」
「きゃあぁ、麗子さまあぁぁぁ」
「有難や、有難や」
まさしく、老若男女、老いも若きも皆こぞっての熱烈な出迎えである。ちなみに、彼らは、勇気のことをSPか何かだと思っている。勇気の存在は、何故か極秘扱いなのだ。
「ああ、俺、麗子様と眼が合っちゃったよぅ。もう、眼は洗わないぞ!!」
「おお、こちらに手を振ってくださったぞ!!!」
「もう、思い残すことはないぃぃぃっ!!」
「死んでもいい。いや、むしろ今のまますぐ死にたい」
ここまで来ると、もはや病気である。彼らが、麗子の正体を知ったらどうなるのか。考えるだけで恐ろしい。ぶるぶると、頭を振る勇気。知らぬが仏とは、よくいったものだ、
いつもとは打って変わって、ニコニコと手を振っている麗子。無邪気に歓声を上げる民衆。(ついでに、勘違いをして喜び狂っている男たち。)その光景は、何か違和感を持っていた。もし、勇気にその筋の知識があったとしたら、それが、支配者による情報操作によるものだと看破できたかもしれない。すべてがコントロールされている世界。それは、ある意味での、人間社会の到達点ともいえる。
「あー、疲れたわ」
高級車(?)に乗りこんだ麗子が、窓ガラスの透過度を調節してから、すぐに吐き出した言葉が、これだった。
「なら、止めればいいじゃないか」
「それができれば、こんなに困らないわよ」
ため息交じりで吐いた言葉には、若干のかげりが感じられた。
「あんたは、いいわね」
それだけ言うと、麗子は黙りこくってしまう。耐えがたいような、重苦しい雰囲気に包まれる車内。しかし、勇気は、それを打破するだけの言葉をもっていなかった。二人とも、見えないガラスの向こうを睨みつけているしかなかった。
朱雀公公邸の正門前では、いつかのように凰斉が待っていた。朱雀領の最高権力者である彼に、本来、そのような暇があるはずはないのだが、「仕事よりかわいい孫娘」なのだそうだ。(孫娘をダシにして、仕事をサボっている。とも言う。)
「どうじゃった?観光旅行は?」
凰斉は、今回の旅を『観光旅行』と、称している。勇気に本物の久遠と『影』を見せ、肌で感じてもらう為の旅行だから、だそうだ。(しかし、どこの世界に『観光旅行』で死にそうになる奴がいるんだ?)
「おじいちゃん!もう、大変だったんだからね」
麗子の表情が、その年齢にふさわしいものに変化する。唯一の肉親と言うこともあり、麗子はおじいちゃん子のようだ。甘えるような、すねるようなその声に、凰斉は思わず相好を崩すと、右手で、ぽんぽん、と麗子の頭を軽くたたく。
「どれどれ、聞かせてもらおうかの。麗子の活躍を」
そのころ、やっと、勇気は自分がかやの外であることに気づいた。
「あの、爺さん?」
恐る恐る、話し掛ける。
「おお、すっかり忘れておった。勇気殿。お主の竹刀のことじゃったな。麗子、今は客人である勇気殿の用事が先じゃ。麗子の話は、後でゆっくり聞いてやるでの。今は、部屋に戻って休んでいなさい」
「はぁ〜い」
幾分ふくれるようにして返事をすると、麗子は踊るような足取りで屋敷の中へと駆けて行った。
「ところで、勇気殿」
「はぁ?」
「どこまで行ったんじゃ?」
「へ!?」
「とぼけなさるな。あんな美少女と二人っきりでの旅行じゃぞ。チャンスは山のようにあったはずじゃが?まさか、本当に手をださなんだか!!?」
さすがの勇気でも、老人の言わんとしていることが理解できた。途端に顔が真っ赤っかになってしまう。飄々とした口調は、本気か冗談か判断しかねるが、この手の話に免疫の無い勇気にはどっちでも同じことである。
「う〜む。『むこう』の男の子は、そう言うのには積極的なはずじゃが…、勇気殿は例外か?それとも、データ不足かのぉ?」
ちなみに、データ源は某有名少年漫画雑誌である、あしからず。
「じ、爺さん!それより僕の竹刀は!!?」
「おお、そうじゃった」
しどろもどろながら、勇気はなんとか話題の転換に成功したようだ。
「どれ、貸してみなされ…。ほお、これは。しかしのぉ」
竹刀だったものの柄の部分を受け取った凰斉は、途端に険しい顔になる。先ほどと比べるに、あれは冗談だったのだろう。
(まさか、『むこう』の物質の精神限界を超えてしまうとはの。早過ぎる。)
凰斉は、自分が招いた事態の深刻さに、更に険しい顔になる。
(気づいたはず。報告、せねばならんかのぅ)
眼を細め、虚空を睨みつける。
(爺様、わしは、間違っていないのじゃろうか?)
竹刀の破片は、『研究所』と呼ばれる部屋に移されて、検査が続けられていた。古代中華風のコンピューターがところ狭しと並ぶあの部屋である。
「主任!」
女性研究員に呼びかけられて、『朱雀科学技術研究所』主任研究員ジョージ=ハーバーは、彼女の操作している器具の操作コンソールとディスプレイを覗き込んだ。
「破砕部分の形状と、戦闘時の物理的衝撃のデータ、一致しません」
「残留思念から、推測される破砕時の精神濃度の最高値は?」
別の今度は若い男の研究員が、作業しながら答える。
「今、算定中です。ええと、出ました。…そんな、信じられません!」
「データは本物だ。君がミスをしたので無い限り、数式は真実を語る」
「は、破砕の時刻に誤りがある可能性があります。それも含めて『システムU』で再算定します」
それでも信じられないのか、その研究員はあたふたと再び作業を開始する。部屋の中にいた全ての人間がその結果を固唾を飲んで見守る。
「算定結果、出ました」
「…ああぁぁ」
ジョージを除く全ての人間の間にどよめきが起こった。『システムU』は、朱雀が誇る世界最高の人工知能型スーパーコンピューターである。その判断は、科学者の間であっても盲目的にに信用されている。いわば、科学の神の託宣であった。
「凰斉様のおっしゃっていた通りか」
自分にしか聞こえないくらいの声で、ジョージはつぶやいた。
(何かが、始まるのですね。『影』もその前奏曲ですか?凰斉様。)
前奏曲としては、あまりに耳障りな不協和音である。