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「爺さんっ、あいつはもう手遅れなのかっ?」




 大声で問われたとき、朱雀公、北条凰斉は頭を思いきり殴りつけられたような衝撃を覚えた。咄嗟に返事が出来なかった。勇気の問が意味するもの。それを知るのは、ごく一部の人間だけだ。何故、勇気がそれを知っているのか? 
 否、そんなことは問題ではない。自分が動揺していることが意外だったのだ。十年も昔に覚悟を決めていたはずだった。切り捨てたはずの感情が、未だに己の中にあったことに、苦笑を禁じえない。
 混乱は、一秒にも満たない。凰斉は、大きく肯いた。




―――そう、もう手遅れなのだ。




 いつしか日は大きく傾き、この決戦に四度目の夕暮れをもたらそうとしていた。




第30話「真実、明かさる」





 炎の魔人、焔斬は満足していた。
 自分が何者かの計画の下にあることも、そしてその計画の内容も明白だったが、どうでも良いことだった。六影衆の他の者は皆、倒されてしまったが、それとて、大した問題ではない。

「破れた者たちは皆、我が力となった」

 腕を少し動かしただけで、身体中に、巨大な力の疼きを感じる。私は完全な力を手に入れた。私には、もはや不可能など有り得ない。今ならば、世界を滅することも出来よう。ただ、この手を軽く振るだけで。
 しかし、それはしない。愚かな人間が苦しみ、悶え、絶望していく姿こそ、焔斬の使命なのだから。
 視点を転ずる。雷の竜を宿すとはいえ、所詮人間。なんと小さな存在なのか。一時は己の宿命の敵と見なしたこともあった。己の愚かさが信じられない。六影衆の同類が倒され、自分の力になる度に、その思いは強くなった。
 小さい小さ過ぎる。もしや、神の心境とはこのようなものなのか?
 竜崎勇気といったか。両手をだらりと垂らし、見るからに息が上がっている。限界に近いのだろう。もとより五割の力で戦っていた。攻撃も急所を外し、じわじわと体力を奪っていった。スピードがあるだけであまりにも稚拙な太刀筋は、かわすにも値しない。
 飽きてきたところだ。幸い六影の他のものは全て倒された。

「そろそろ、終わりにしよう」

 そう言うのと相前後して、焔斬の廻りの青白い炎が、更に薄く透明なものへの変化していった。


 その中心が透けて見えるほどに。
















 階段状の座席をもつ講堂のような構造である。古代中華風の電子計算機、いわいるコンピューターが整然と並んでいる。数十の画面端末には、それぞれオペレーターとおぼしき人間が一人づつついて、何事か作業を黙々とこなしていた。
 明かりの無い薄暗い室内。それぞれの画面が放つ規則的な明滅が、かえって混沌とした光のダンスになる。
「主任っ!」
 六竜子と六影衆の決戦が始まってから、何度目そう呼ばれたのだろうか?
 ここは朱雀公公邸、『朱雀科学技術研究所』管制センター。この施設において、凰斉に次ぐ位置にいる男、『主任研究員』ジョージ=ハーバーは、声をかけられたオペレーターに駆け寄る。どこから呼ばれたのか、迷うようなことは無かった。今さっき、震岩と禍魂の消滅を確認したところだ。

 残るは、焔斬、ただ一体。

「どうした? そちらも終わったのか?」
 オペレーターの椅子の背もたれに手をかけ、頭越しに画面の水晶をのぞきこむ。
「それが……」
「なっ?」
 目がくぎ付けになった。画像は目に入っていない。焔斬に関する全ての数値が、赤々と点滅していた。
「明かに精神限界を超えています。一個体でこの数値は有り得ません。それで、システムUによる再算定をお願いしたいのですが?」
 オペレーターは極めて事務的な口調で、言った。この緊急時にシステムUを起動する権限は、一介のオペレーターには無い。一見して堅実な判断だが、その実、現実から早く逃げ出したいのだろう。目が虚ろだ。
「必要無い」
 ジョージもまた、極めて事務的に応じた。
「は?」
「必要無い。私がオペレーターを引き継ごう。私ならば、この端末でも対応できる。ご苦労だった。他のサポートに廻ってくれ。他の者も記録が済んだら、すぐに解析に廻ってくれ」
 最後は、部屋にいる全員に向けて、極めて平静を装って告げた。
「形はどうあれ、第二の鍵が外れた。いよいよですね、凰斉様」
 命令を受け、明かにほっとした様子でオペレーターが立ち去ると、ジョージは誰にも聞き取れない呟きをもらした。ふと、気がついて画面に触れる。久遠始まって以来、最大級の魔物を相手にしているのである。勇気が、果たしてどれだけ持つのか? ほどなくして、画面に現れた勇気の身体データは、予想通りぼろぼろだった。
「凰斉様は、勇気様を捨て駒になさるおつもりなのか?」
 すぐさま、戦闘シミュレーションを行う。この端末では、大まかな結果しか得られないが、システムUを使うと、他の者に記録を読まれる可能性がある。
 結果は、『算定不能』。
「予測できない? ここまで彼我の差があっても、勝敗が分からないと?」
 続いて詳細なレポートが現れた。またも、目がくぎ付けになった。
 勇気の精神集中の度合いを示すグラフが、妙な動きをしているのだ。一瞬で最高に高まったかと思うと、何か躊躇するように、徐々に下がっていく。それを何度も繰り返している。雑念に囚われているにしては、高まり方があまりにも見事な垂直の直線であり、それがすぐにふらふらと墜落していく。勇気の行動と照らし合わせると、直線は、焔斬の攻撃を避ける瞬間に現れている。
「躊躇するように、ではなく、明かに何かを躊躇している。一体、何を?」




 そこに響く、勇気の台詞。




「爺さんっ、あいつはもう手遅れなのかっ?」




 思わず身を乗り出した。なぜ、なぜ知っているのだ? いや、有り得ない。勇気が知っているはずがない。
 だが、他に解釈のしようがないのも事実だった。ジョージは、低いうめきとともに、腰を下ろした。

















「やっぱ、本気で行くしかないか」




 紺の学生服は、既にあちこちが焼け焦げ、擦り切れ、ボロ巾同然になっていた。剣を杖代わりに、肩膝の体勢。そのままで大きく深呼吸した。自分の髪の毛が焼ける嫌なにおいがして、後悔する。気分転換にもならない。
 すぅと、立ちあがる。地面が揺れた。恐らく、ガイが勝利したのだろう。大きな邪気が一つ消えた。そして……目の前の炎が、一段と大きくなる。
 今までも、邪気が一つ減るごとに、炎の勢いが強くなっていった。理屈はわからないが、仲間の力を吸っているのだろう。また、一つ、爆発音と共に邪気が消える。炎の色が、赤から青白いものに変わる。理科で習った。赤い炎と青い炎では、青いほうが温度が高い。夜空の星も赤い星より、青白い星の方が高エネルギーを放っている。先ほどから、吹きつける熱風の熱さが異常に上昇している。大地が熱に耐えきれずに煙を上げているのが見える。勇気も、気を抜けば『力』の均衡を失い、蒸発してしまうだろう。呼吸が苦しい。吸い込む空気が、果たして空気と呼べる気体なのか、分からなくなっている。
 剣を持ち直す。青白い炎に包まれた人型の影、焔斬。倒すべき相手である。しかし、勇気は躊躇していた。先の闘いで、彼の剣先は焔斬の本体、炎の中心にあるものに届いた。その感触が未だに手に残っている。未知の感触だった。しかし、勇気は確信していた。
 いったん、距離を取るように離れる。視界の端に凰斉が映った。




「爺さんっ、あいつはもう手遅れなのかっ?」




 相手から目を離さず、大声で問うた。
 これも根拠は無い。普通に考えれば、凰斉が答えを知っているはずが無い。
 視界に、ひと呼吸置いてから大きく肯く凰斉の姿。

「禁を破らなきゃいけない」

 肩の力がすぅと抜けていった。予感はあった。この世界に呼ばれて、状況説明を受けたときから。これは戦争なのだ。きれい事だけで済むはずもない。
 生きぬくためには、自分であるためには、避けては通れぬ道なのだ。
 天に向かって吠える焔斬。ただ、叫んでいるだけのはずなのに、立っていられないほどの圧迫感がある。
 目を閉じ、呼吸を整え、精神を統一し、剣を真っ直ぐ正面に構える。

「これで、僕もいっぱしの人斬りだ」

 開いた目に、迷いは無い。
















 光の老人達の目が、虚空に浮かぶ焔斬の映像にくぎ付けになった。

「焔斬、六影衆筆頭の実力、知力を持つ魔物。しかし、彼の本当の恐ろしさは、その正体にある」

 いつも威厳に満ち、落ち着いた声の老人も、興奮を抑えきれない。





 赤から青に、そして白に変化した炎が、更に透明なものに変わっていく。





「左様、紅蓮の炎に包まれた、その身体」

「何人も、知り得べからざる、その実体」






 手足の先から、徐々に、その身体が現れていく。





「我々とて、太古に先達が記した書物による知識しか持たぬ」

「書に曰く。『その者、紅蓮の炎の鎧を纏いし戦士。鎧の下、青白き衣の中を見てはならぬ。』」






 まるで、鎧のように残った青白い炎も、やがて消えていく。





「『そは魂の檻。永久(とわ)に逃れられぬ、鋼鉄の檻。』」

「『見てはならぬ。そこにあるは、嘆き。死者の嘆き。』」






 現れたのは、人の形をしたモノ。





「『見てはならぬ。賢き者は、たちどころに去れ。』」

「『見れば、汝も囚われる。』」






 否、それは、正真正銘の人間。





「『永遠の檻。百影(ひゃくえ)の檻。』」

































「お父さん!」








 ふらふらと立ちあがった、麗子の絶叫だった。




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