おかあさんは、むかしむかしのひとたちの、おはなしをしてくれます。
おとうさんは、いっしょにあそんでくれます。
おじいちゃんは、ごほんをよんでくれます。
わたしは、おとうさんもおかあさんもおじいちゃんもだいすきです。
人間の姿に変化した焔斬と、ぼろぼろの勇気。にらみ合いは永遠に続くかと思われた。斬り合いがいつ始まったのか、当人以外に見えていた人間はいなかっただろう。
剣がかち合うたびに響く堅い音と、目で見た映像が脳内でズレる。
「貴様、この私を相手に、これほどの余力を残していたというのか?」
焔斬の驚きも無理はない。神にも等しき力を得たはずの自分と、勇気はかれこれ数十分切り結んでいるのだ。
「どこからこんな力が?」
不可解極まりない。六影衆と六竜子の力は拮抗しているはずだ。そして、今の焔斬は六影衆六体分の力を持っている。否、それ以上だ。対して、勇気は轟刃(とどろくやいば)のみ。圧倒的な力の差は、埋めようがない。
そのはずだ。
だのに、勇気の放つ剣に押されてさえいる。
「太刀が直角に曲がった?」
すんでの所でかわす。単体の状態だったら、間違い無くもらっていただろう。
勇気の不可解な強さ。理由の一つは見当がついている。支離滅裂とも言える、変化に富んだその太刀筋だ。さっきまで直線的だった太刀が、縦横無尽に空間を斬る。今など、真っ直ぐに振り下ろされたはずの剣が、受けた焔斬の剣にぶつかることなくL字型に曲がり、剣に『平行に』振り抜かれた。のけぞる無理な体勢で避けなければ、肩を深くえぐられていただろう。
「仲間の肉親と言えど、手加減なしか。面白い」
焔斬が使っている体は、炎竜子の父親。さっきのやり取りで、分かっているはずだ。だが、勇気の剣に迷いは無い。
「己が生きる為には、同族を犠牲することも厭わない。人間とは罪深いな。神に見放されるわけだ。心優しき雷竜子も、例外ではなかったわけか」
血の気のない北条鴻介の顔が歪むと、遠く離れた位置にいる麗子の口から小さなうめきが漏れた。いまや、焔斬の体は、北条鴻介そのものになっていた。邪気に満ちた炎も、奇剣の上下の刃に宿るのみになっている。
「じゃかあしい」
焔斬の皮肉を、一喝のもとに斬り捨てる。その目に動揺はない。
「罪深い人間を消し去るのが、我が使命」
呪言を唱えるように、呟くと焔斬は反撃に転じた。奇剣の上下から、青白い炎の蛇が現れる。
遥か上空。
立ち込めた暗雲の上。
雲の上に雲はない。
これ以上ない澄み渡った青空。
風の中。
浮かぶ四人の人影。
「第二段階も、もうすぐ終了する」
彼らの廻りだけが、光を拒絶していた。輪郭がはっきりせず、年齢も性別も、背格好すら判別不能だ。
「目標が『降臨』する。タイミングは一瞬だ」
かろうじてローブ姿と分かる男が、無感動に言う。
「シビアだねぇ」
打って変わって軽薄な口調。若い男らしい。
「神を捕らえるのだからな」
憮然と答える。
「ごもっとも」
「ここで失敗することは許されぬ。皆の者、心せよ」
老人なのだろう。くぐもっているのにはっきり聞こえる、不思議な声。
「分かっております」
「りょ〜かい」
慇懃な応答と、間の抜けた答え。
「行くぞ」
「ぐっ」
久遠の都『光建』、竜帝の間。玉座の老人が喀血する。背まで届く銀髪と、胸まで垂れる銀の口ひげ。病にやせ細ってもなお、その頑健な骨格は彼を大きく見せていた。第566代竜帝、『慈竜』ジエイ=ロス。彼もまた、この四日間を闘っていた。光建を護る結界のほぼ全てを、一人で維持し続けたのだ。ジエイ以外に、六影衆を止める結界は作れなかっただろう。戦闘の激化に伴い、補助に廻っていた術師たちを避難させてからは、まさしく孤独な闘いとなった。邪念を払い、ひたすらに精神を高める。何も口にせず、それどころか指一本動かさず、ジエイは己の全てを結界に注ぎ続けた。
限界など、とうの昔に超えていたのだろう。それでも、ジエイは己を保ち続けた。自分の敗北が、どんなに恐ろしい事態を招くのか。なんとしても、避けなければならない。
「あの老人」に教えられた真実。全てが終わった瞬間だった。
全身全霊をかけた結界は、どうやら破られたらしかった。
どごぉぉぉぉつ!!!
広大な王の間に爆煙が立ち込めた。ジエイは、煙の中心を見据え微動だにしない。
煙が引くと、西側の壁に大きな穴が開いており、逆側の壁に一人の青年がめり込んでいる。
「世の希望、ユウキ=リュウザキ」
ピクリとも動かないが、死んでいるわけではない。体を少しでも休ませようとしているのだ。王の間は、聖都光建の中心に位置する。その一番外殻、結界のところから、数十の複合結界を全てぶち抜いて、ここまでふき飛ばされてきたのだ。
たった一撃で。
カタリ、と瓦礫が崩れる音がして、西側の穴から何者かが侵入してきたのがわかった。
何も、見えない。
何も、聞こえない。
何も、感じられない。
何も、考えられない。
何も、無い。
何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も…………、
「……!」
永遠に続く虚無に、何か、虚無で無いものが侵入してくるのが感じられた。
とても懐かしい。
とても愛しい何か。
そう、声だ。
懐かしい声が、聞こえたのだ。
誰だろう。
誰の声だったろうか
誰?
思い出せない。
そもそも、自分は誰だったのだろうか?
虚無に、自分の思考が急速に広がっていくのを感じた。
ビックバンのようだと思った。
ビックバン?
それは宇宙の始まり。
いつ知ったのだろう?
ああ、もうちょっとで思い出せそうなのに・・・・
「北条のせがれか」
呼ばれて、始めて焔斬はジエイに気づいた。彼としては、勇気がもっとも多くの『壁』にぶつかるように吹き飛ばしただけだ。まさか、中心部の中でも、最も中心の王の間に出るとは思っていなかったのだろう。目を丸くして、それから愉快そうに微笑んだ。
「これはこれは、どなたかと思えば、竜帝閣下ではありませんか?」
慇懃無礼を絵に描いたような言動。
「いかにも、第566代竜帝、ジエイ=ロス。古の戦士よ、いかなる用にて参られたか?」
うめくように言う。
「おこがましいにも程があるわっ! ふざけるなマガイモノめ」
豹変する態度にも、ジエイは驚かなかった。
「いかにも、わしはニセモノじゃ。だが、ニセモノにも一人前に誇りと言うものがあってな」
「貴様の如き下っ端が、誇りだと?」
「古の戦士よ。汝が眠っている間にも、我々は成長を続けていたのだよ」
「笑止。貴様らの如き、小さな存在の成長など高が知れている。貴様らには死あるのみ」
「確かに、わしはここで死ぬ。だが、無駄には死なんつもりだ」
ガラガラと音がして、二人は目を転じた。勇気が立ちあがっていたのだ。ジエイは、勇気を見つめ続けたが、焔斬はすぐに別のものに目を奪われた。
「蒼竜、朱雀、白虎、玄武、我が命をもって命ず。たちどころに縛せよ」
「図ったなっ!」
今まで、勇気が埋もれていた壁に、一枚の巨大な呪符が塗りこめられていたのだ。
そこに描かれているのは蒼竜。老人から教えられた古の呪術、「四神相応図」。長い年月をかけて、四神が描かれた巨大な四枚の呪符に『力』を注ぎ、一気に解き放つ。そのため、使役するものに要求される『力』は極わずかである。それでいて、絶大な効果を発揮する。
目標を空間ごと完全に封印することができるのだ。
今や、焔斬のまわりは、独立した小宇宙となっていた。何処までも続く床があるだけの、だだっ広い空間。
「まさか、この呪術が伝えられていようとはな。小ざかしい真似を」
焔斬には、冷静さが戻っていた。確かに『力』はほとんど要らない。しかし、使役者がいなくなれば、術が消えるのは変わらない。この呪術の最大の弱点は、使役者自らも封印空間の中にいなければならないこと。要は、目の前の老人をさっさと片付ければいいのだ。
「そうは行かぬ。忘れたか? この呪術。切り離すのは空間だけではない」
思考を読まれたかのような言葉に、焔斬ははたと気がついた。
「時空を……」
「玄武、白虎、朱雀、蒼竜、我が命をもって命ず。たちどころに解き放てっ」
前の祝詞と違って、それは命の絶叫だった。ジエイは己の命を削りながら術を使役しているのだ。
霧が晴れるような感覚のあと、王の間にかけ込んでくる人影があった。
「親父っ!」
血相を変えたミトラであった。王の間は、再び現実の空間に復帰したのだ。
焔斬は素早く思考を走らせた。あの死に損ないに大した時空跳躍はできまい。現在は、『四神相応図』発動から、せいぜい一時間後。依然として、自分の絶対的有利は変わらない。
「ただの時間稼ぎか。驚かせてくれる」
一時とは言え、人間如きの術にうろたえた自分が、いまいましかった。
「本当に、そう思うか?」
絞るような声だ。ジエイは、不敵に笑っていた。
「準備は、一時間で良かったはずだな、老師」
最後は、呟きとなって、本人以外には聞こえなかった。