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第31話「青年、迷わず」(前編)









 おかあさんは、むかしむかしのひとたちの、おはなしをしてくれます。


 おとうさんは、いっしょにあそんでくれます。


 おじいちゃんは、ごほんをよんでくれます。


 わたしは、おとうさんもおかあさんもおじいちゃんもだいすきです。
















 人間の姿に変化した焔斬と、ぼろぼろの勇気。にらみ合いは永遠に続くかと思われた。斬り合いがいつ始まったのか、当人以外に見えていた人間はいなかっただろう。
 剣がかち合うたびに響く堅い音と、目で見た映像が脳内でズレる。
「貴様、この私を相手に、これほどの余力を残していたというのか?」
 焔斬の驚きも無理はない。神にも等しき力を得たはずの自分と、勇気はかれこれ数十分切り結んでいるのだ。
「どこからこんな力が?」
 不可解極まりない。六影衆と六竜子の力は拮抗しているはずだ。そして、今の焔斬は六影衆六体分の力を持っている。否、それ以上だ。対して、勇気は轟刃(とどろくやいば)のみ。圧倒的な力の差は、埋めようがない。  そのはずだ。  だのに、勇気の放つ剣に押されてさえいる。
「太刀が直角に曲がった?」
 すんでの所でかわす。単体の状態だったら、間違い無くもらっていただろう。  勇気の不可解な強さ。理由の一つは見当がついている。支離滅裂とも言える、変化に富んだその太刀筋だ。さっきまで直線的だった太刀が、縦横無尽に空間を斬る。今など、真っ直ぐに振り下ろされたはずの剣が、受けた焔斬の剣にぶつかることなくL字型に曲がり、剣に『平行に』振り抜かれた。のけぞる無理な体勢で避けなければ、肩を深くえぐられていただろう。
「仲間の肉親と言えど、手加減なしか。面白い」
 焔斬が使っている体は、炎竜子の父親。さっきのやり取りで、分かっているはずだ。だが、勇気の剣に迷いは無い。
「己が生きる為には、同族を犠牲することも厭わない。人間とは罪深いな。神に見放されるわけだ。心優しき雷竜子も、例外ではなかったわけか」
 血の気のない北条鴻介の顔が歪むと、遠く離れた位置にいる麗子の口から小さなうめきが漏れた。いまや、焔斬の体は、北条鴻介そのものになっていた。邪気に満ちた炎も、奇剣の上下の刃に宿るのみになっている。
「じゃかあしい」
 焔斬の皮肉を、一喝のもとに斬り捨てる。その目に動揺はない。
「罪深い人間を消し去るのが、我が使命」
 呪言を唱えるように、呟くと焔斬は反撃に転じた。奇剣の上下から、青白い炎の蛇が現れる。
















 遥か上空。
 立ち込めた暗雲の上。
 雲の上に雲はない。
 これ以上ない澄み渡った青空。  風の中。
 浮かぶ四人の人影。

「第二段階も、もうすぐ終了する」
 彼らの廻りだけが、光を拒絶していた。輪郭がはっきりせず、年齢も性別も、背格好すら判別不能だ。
「目標が『降臨』する。タイミングは一瞬だ」
 かろうじてローブ姿と分かる男が、無感動に言う。
「シビアだねぇ」
 打って変わって軽薄な口調。若い男らしい。
「神を捕らえるのだからな」
 憮然と答える。
「ごもっとも」
「ここで失敗することは許されぬ。皆の者、心せよ」
 老人なのだろう。くぐもっているのにはっきり聞こえる、不思議な声。
「分かっております」
「りょ〜かい」
 慇懃な応答と、間の抜けた答え。
「行くぞ」
















「ぐっ」

 久遠の都『光建』、竜帝の間。玉座の老人が喀血する。背まで届く銀髪と、胸まで垂れる銀の口ひげ。病にやせ細ってもなお、その頑健な骨格は彼を大きく見せていた。第566代竜帝、『慈竜』ジエイ=ロス。彼もまた、この四日間を闘っていた。光建を護る結界のほぼ全てを、一人で維持し続けたのだ。ジエイ以外に、六影衆を止める結界は作れなかっただろう。戦闘の激化に伴い、補助に廻っていた術師たちを避難させてからは、まさしく孤独な闘いとなった。邪念を払い、ひたすらに精神を高める。何も口にせず、それどころか指一本動かさず、ジエイは己の全てを結界に注ぎ続けた。
 限界など、とうの昔に超えていたのだろう。それでも、ジエイは己を保ち続けた。自分の敗北が、どんなに恐ろしい事態を招くのか。なんとしても、避けなければならない。

 「あの老人」に教えられた真実。全てが終わった瞬間だった。

 全身全霊をかけた結界は、どうやら破られたらしかった。




どごぉぉぉぉつ!!!




 広大な王の間に爆煙が立ち込めた。ジエイは、煙の中心を見据え微動だにしない。
 煙が引くと、西側の壁に大きな穴が開いており、逆側の壁に一人の青年がめり込んでいる。

「世の希望、ユウキ=リュウザキ」

 ピクリとも動かないが、死んでいるわけではない。体を少しでも休ませようとしているのだ。王の間は、聖都光建の中心に位置する。その一番外殻、結界のところから、数十の複合結界を全てぶち抜いて、ここまでふき飛ばされてきたのだ。
 たった一撃で。

 カタリ、と瓦礫が崩れる音がして、西側の穴から何者かが侵入してきたのがわかった。
















 何も、見えない。

 何も、聞こえない。

 何も、感じられない。

 何も、考えられない。

 何も、無い。

何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も…………、

「……!」

 永遠に続く虚無に、何か、虚無で無いものが侵入してくるのが感じられた。

 とても懐かしい。

 とても愛しい何か。

 そう、声だ。

 懐かしい声が、聞こえたのだ。

 誰だろう。

 誰の声だったろうか

 誰?

 思い出せない。

 そもそも、自分は誰だったのだろうか?

 虚無に、自分の思考が急速に広がっていくのを感じた。

 ビックバンのようだと思った。

 ビックバン?

 それは宇宙の始まり。

 いつ知ったのだろう?

 ああ、もうちょっとで思い出せそうなのに・・・・
















「北条のせがれか」

 呼ばれて、始めて焔斬はジエイに気づいた。彼としては、勇気がもっとも多くの『壁』にぶつかるように吹き飛ばしただけだ。まさか、中心部の中でも、最も中心の王の間に出るとは思っていなかったのだろう。目を丸くして、それから愉快そうに微笑んだ。

「これはこれは、どなたかと思えば、竜帝閣下ではありませんか?」

 慇懃無礼を絵に描いたような言動。

「いかにも、第566代竜帝、ジエイ=ロス。古の戦士よ、いかなる用にて参られたか?」

 うめくように言う。

「おこがましいにも程があるわっ! ふざけるなマガイモノめ」

 豹変する態度にも、ジエイは驚かなかった。

「いかにも、わしはニセモノじゃ。だが、ニセモノにも一人前に誇りと言うものがあってな」

「貴様の如き下っ端が、誇りだと?」

「古の戦士よ。汝が眠っている間にも、我々は成長を続けていたのだよ」

「笑止。貴様らの如き、小さな存在の成長など高が知れている。貴様らには死あるのみ」

「確かに、わしはここで死ぬ。だが、無駄には死なんつもりだ」

 ガラガラと音がして、二人は目を転じた。勇気が立ちあがっていたのだ。ジエイは、勇気を見つめ続けたが、焔斬はすぐに別のものに目を奪われた。

「蒼竜、朱雀、白虎、玄武、我が命をもって命ず。たちどころに縛せよ」

「図ったなっ!」

 今まで、勇気が埋もれていた壁に、一枚の巨大な呪符が塗りこめられていたのだ。
 そこに描かれているのは蒼竜。老人から教えられた古の呪術、「四神相応図」。長い年月をかけて、四神が描かれた巨大な四枚の呪符に『力』を注ぎ、一気に解き放つ。そのため、使役するものに要求される『力』は極わずかである。それでいて、絶大な効果を発揮する。
 目標を空間ごと完全に封印することができるのだ。
 今や、焔斬のまわりは、独立した小宇宙となっていた。何処までも続く床があるだけの、だだっ広い空間。

「まさか、この呪術が伝えられていようとはな。小ざかしい真似を」

 焔斬には、冷静さが戻っていた。確かに『力』はほとんど要らない。しかし、使役者がいなくなれば、術が消えるのは変わらない。この呪術の最大の弱点は、使役者自らも封印空間の中にいなければならないこと。要は、目の前の老人をさっさと片付ければいいのだ。

「そうは行かぬ。忘れたか? この呪術。切り離すのは空間だけではない」

 思考を読まれたかのような言葉に、焔斬ははたと気がついた。

「時空を……」

「玄武、白虎、朱雀、蒼竜、我が命をもって命ず。たちどころに解き放てっ」

 前の祝詞と違って、それは命の絶叫だった。ジエイは己の命を削りながら術を使役しているのだ。
 霧が晴れるような感覚のあと、王の間にかけ込んでくる人影があった。

「親父っ!」

 血相を変えたミトラであった。王の間は、再び現実の空間に復帰したのだ。
 焔斬は素早く思考を走らせた。あの死に損ないに大した時空跳躍はできまい。現在は、『四神相応図』発動から、せいぜい一時間後。依然として、自分の絶対的有利は変わらない。

「ただの時間稼ぎか。驚かせてくれる」

 一時とは言え、人間如きの術にうろたえた自分が、いまいましかった。

「本当に、そう思うか?」

 絞るような声だ。ジエイは、不敵に笑っていた。
















「準備は、一時間で良かったはずだな、老師」

 最後は、呟きとなって、本人以外には聞こえなかった。




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