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第32話「青年、迷わず」(後編)

 限界だったのだろう。あまりに簡単に食らってしまった。近距離からの青い炎の蛇。数匹がより合わさるようにして巨大化し、勇気にしっかり噛みついたまま、聖都の結界を破壊していった。
 勇気は成すがままに、次々に結界にぶつけられていく。抵抗するのを止め、結界の見えない壁にぶつかる瞬間に背後に『力』を集める。ダメージを最小限に収めるためだ。
 結界の最深部に到達した時、炎の蛇は消え、彼は放棄していた意識を、急速に目覚めさせた。

「へ?」

 起き上がった時に、そこに空間は無かったのだ。目の前には、大穴の開いた壁があるのみ。真後ろはぶつかった壁。数歩ぶん先に、また壁。広間があったはずなのだが、どう見ても天井の高い廊下である。

「勇気殿」
 気がつくと『廊下』の向こうから凰斉が駆けよって来る。いつの間に着替えたのか、胸に鮮やかな朱雀の刺繍が編み込まれた、朱色の法衣を着ている。

「何も言わずに。傷を治しますでの」

 残り一時間。
















 呆然と立ち尽くす麗子に歩み寄るものがあった。濃紺の和服を着込んだ男、星雨真羅である。涙をどうにかこらえた瞳が、黙って見返す。問われたわけではないが、シンは、とつとつと話し始めた。
 残り五十分。どうしても語らねばならないことがあったのだ。








「あなたのご両親は、珠離の南の森林地帯に発見された古代遺跡を探索中に消息をたった。そう言うことになっています」
 少し間を置く。
「知っての通り、私はあなたのご両親の同級生で元同僚でもある。当時は朱雀大に研究員として在籍していましたし。だから、事件の真相をお話する義務があります」
「真相?」
 見返す瞳には、理性の輝きが戻りつつあった。
「事件のあった森とは、焔斬が出現した森。今ではただの焦土ですけどね。あの森の地下に巨大な祭壇が発見されたのです。理恵子さんをリーダーとする探索チームが組まれ、徹底調査が行われる予定でした」
「探索チームは予定通り、祭壇の発見された場所へ続く地下道に旅立ちました。だが、誰一人として帰っては来なかった」
「公式の記録にはそうなっています。しかし、生存者はいたのです」
「名を『豪來坊(ごうらいぼう)』、玄武領山中で修行した高僧で、古代の『術』に関しての権威でもある方です。相手が祭壇とあって、スペシャリストを呼んだわけですね」
「そして、北条理恵子。そう、あなたの母上です。彼女も生き残った」
「……お母様は、今は?」
 そう言う表情は、どこか悲しげだ。だが、問わずにはいられなかった。
「彼女は、豪來坊に助けられて地下から脱出したものの、傷が酷かった」
 予想通りの答え。
「豪來坊は、彼女を我々に託すと、行方をくらませてしまいました。一人残された彼女は、一体何があったのか、決して話そうとしませんでした」
「本当に酷い状態で、一日持たなかったと思います。彼女は死の直前になって、やっと全てを語ってくれました」








―――祭壇には、奇妙な形の剣が祭ってあった。
 大き目の剣と、小振りの剣を柄の部分で繋げたような、見たことの無い形の剣だったという。
 万が一のため、他のメンバーを下がらせ、『力』が強く専門知識のある者、鴻介と理恵子さんと、豪來坊の三人が近づいていった。剣は全体から血のような真っ赤な光を放っていたと言う。一目で並の存在ではないと分かった。それも、何か酷く邪なもの。
「いかん!」
 豪來坊の制止を振り切って、理恵子はその剣に触れてしまった。魅入られてしまったのだ。古代への想いが純粋過ぎたのだろう。純粋な好奇心だからと言って、常に良い結果をもたらすとは限らない。歴史を見ると、むしろ逆の方が多いとも言える。知らなければ、幸せと言うこともある。
 とにかく、今回の結果は最悪だった。彼女が開けたパンドラの箱には、希望は入っていなかった。




 朱い光が、弾けた。




 光に取り込まれたのは鴻介だった。鴻介が、理恵子さんを突き飛ばしたのだ。彼のことだ、多分、咄嗟に体が動いたのだろう。豪來坊は理恵子さんを連れて逃げ帰ることで精一杯だった。他のものは、あっという間にかき消えてしまった。
 
「炎に包まれて、倒れていく鴻介の姿が目に焼き付いているんだと、涙ながらに訴えていたました。理恵子さんの証言から、すぐ『六影衆』の存在が浮かび上がって、関連の書物が片っ端から調べられました。私も参加しました」
「では、あの体のことも?」
「いくつかの文献を総合して、我々は独自に新たなデータベースを作りました。『焔斬』、三代竜帝の時節、どこからとも無く現れた災厄。意志をもった『影』。属性は『火』、種別は『寄生・憑依』」
「!」
「理恵子さんの属性は『木』、鴻介は『火』の正当な後継者、豪來坊は『水』。『相生』の理恵子さんを狙ったのでしょうね」
「『火』と『火』……それじゃ、お父様は?」
「そう、『相生』なら完全に同化してしまうでしょうが、同属性なら、あるいは意識のカケラが残っているかもしれません」
「じゃあ!」
「言わなければならないのは、そのことです。はっきり申し上げて、我々には、鴻介を救う余裕が無い」
「そんな」
「許してくれと言うつもりはありません。でも、分かって下さい。我々は、鴻介の命と世界の命運を天秤にかけざるを得なかった」
















 四神公(一人は代理)が集まっていた。
 白衣を脱ぎ去り、蒼竜の彫り込まれた鎧をまとう新谷清明。
「もうすぐ、ジエイ閣下が『四神相応図』を解く。『光』と『闇』の対消滅の影響で、勇気以外の六竜子の『力』は一時的に枯渇してる。全ての神具の『属性』を勇気に集める。これで、五分にもってけるだろう」
 漆黒の玄武を象った重装のアインス=ウォルフ。
「我々が、自らを呪符として、もう一度奴を異空間に隔離しまする。奴は人の負の想いを糧とする故、人の居ない空間なら、互角の勝負も出来ましょう。勇気どの。頼みました」
 朱雀をまとう北条凰斉。
「この方法なら、術者が異空間に存在しなくても良い。その代わり場所は地理的『力』の中心であるここだけに限られるがの。勇気殿、鴻介を永遠の檻から救ってやってくれ。頼む」
 そして、銀のローブに白虎の刺繍、ミトラ=ロス。
「おい、くそガキ。エライ高い呪符使うて回復させてやってるんや。その分の仕事はきっちりせいよ」
 勇気の廻りを、数枚の呪符が旋回していた。白虎最高の符『樂神符』である。
「うぃ」
「かぁーっ! 気合入れんかい気合をっ」
 言いながら、せわしなく印を連続で結び続けるミトラ。
 残り三十分。
















『研究所』もまた、にわかに忙しくなっていく。
「システムUのフル稼働プロセスを開始」
「いいか、どんな微小な現象も逃さず記録するんだ。ただし、どこにも気づかれるな!」
 ジョージの檄が飛ぶ。
「霊視能力者、リンク開始します」
「『光建』防衛システムへのクラッキング完了。センサーを直で開けます」
「衛星軌道上『飛鳥』座標位置固定。最大望遠で霊視を開始します」
「天雀衆諜報部隊、『光建』周辺に展開終了。ホットライン開きます」
 この部屋を講堂とみたてた場合の黒板に当たる部分が、巨大なスクリーンとなった。だが、人の顔は映らない。膨大なデータが流れ去るのみだ。薄暗い室内で、その光はジョージの眼鏡に映り込む。
「こちら諜報。配置、装備は今流している通りだ」
「今見終わった。ライン断絶時の予備記録は?」
「俺一人で、久遠の歴史を百二十八回記録してもつりが来る」
「あなたが、消滅した場合は?」
「部下全員が、俺と記憶を共有している」
「全員が消滅した場合は?」
「その時は、記録を分析する必要がなくなる」
「Perfect! 素晴らしい」
「まだまだ、君ら若造には負けんよ」
 返事を待たずに、音声は切れた。
「彼らの精神パターンを記録。死後交信ができるようにしておけ」
残り十分。
















「今一度、問う。勇気殿、鴻介を殺してもらえますな?」
「救う手だては、本当に無い?」
 無言。
「分かった。覚悟はできてるよ」
「……かたじけない」
















残り一分。
















残り零。
















 時空がゆらぐ。ゆら、ゆら、ゆらゆら、ゆらゆら。
 切り取られた空間が、現実世界に復帰しようとしていた。
「来る」
「おやじっ!」
「皆の者、行くぞ」

 ゆらぎを中心とし、南に朱雀、北に玄武、東に蒼竜、西に白虎。四神公が散っていく。しばしの、奇妙な感覚の後、何事もなかったかのように、そこは王の間としての威容を取り戻してた。

「ただの時間稼ぎか。驚かせてくれる」

「本当に、そう思うか?」

 ジエイの、小さなうめきと同期して、四人の漢の声が重なった。

「「「「我ここに唱ふるは『四聖四神相応陣』」」」」

「雑魚が! そうそう何度も同じ手が通用すると思うか?」
 術が発動する前に、焔斬は凰斉に飛びかかった。術者が倒れれば、術は雲散霧消する。そして、大きな術になればなるほど、術者の隙は大きい。
「残念」
 勇気である。凰斉との間に割って入り、振り下ろされようとした奇剣を抑え込む。
「封じの法をもて、」
「封じるところのもの、」
「すなわち、」
「たちどころに封じられよ」
 再び、時空が歪んでいく。
















「エリス、エリスなのか?」
 フレッドは、自分の目を疑った。目の前に横たわる少女は、まぎれも無く彼の最愛の妹、エリス=ルートヴィア。なぜか服装は、先ほどまで黒髪の年長の女 ――確か『美弥』と言ったか―― が着ていたものだった。
「エリス」
 小さな寝息を立てて眠る少女は、目に見えてやつれていたが、幼き日の心優しい妹の顔をしていた。どうしたのか、声が出ない。何を言うべきなのか。沢山話したいことがあったはずなのに、何も出てこない。
 そして、気づいた。自分があまりに汚れてしまったことに。数え切れない人間を斬ってきた。もはや、あの頃の自分ではないのだ。少女があの頃のままであるというのに。
 彼女を守れなかったから、強くなろうとした。実際、比類無い強さを手に入れた。だが、今思えば、それも、ただの逃げだったのかもしれない。
 上着を恐る恐るかけてやる。それで精一杯。フレッドはエリスに背を向け、歩き出した。振りかえることは無い。彼の行く先は一つ、修羅の道である。
 太陽が、砂煙にかすんでいた。
















 なんぴとをも阻む時空の壁を無視し、二人を見つめ、闇がいた。
「これより第三段階に入る」
 老人と青年である。
「四神公たちが、間もなく神具の力を『轟刃』に集める。それは不完全な方法だから、時空を歪め補助する。その際、気づかれないように、決して『竜の力』は使ってはならない。だから、その役目は僕がやる、でしたね?」
 青年は明かに楽しんでいる口調だ。
「『荒神(スサノオ)』と『月読(ツクヨミ)』が、全力でぶつかることが、『絶対条件』なのだ」
「しかし、なんだって、こんなにまわりくどい方法を取るんです?」
「まわりくどい、とは?」
「だって、そうでしょう? 最初からあの勇気という青年を封印すれば、万事丸く収まるじゃないですか?」
「我らが真の目的は、我ら自身にも明かされてはならぬ。無用の詮索じゃ」
「りょーかいです」
「では、始めるぞ」
















 時期あいまって、四神公の呪法も第二段階に入ろうとしていた。
「神具の転送急ぐぞ。内部の時間は外部とは隔離しているからの」
「分かっておる、北条殿」
「ほいじゃ、続いての詠唱、行きますか」
「おやじは大丈夫なのか?」
「ミトラ! ジエイ殿のことは星雨に任せい。今は集中するんじゃ」
「わーってるよ。爺さん」
 言霊を使った高等呪術は、古来白虎(金)のものが中心となって執り行う。
「艮(うしとら)より坤(ひつじさる)、鬼の道、行きて帰らず」
 四聖四神相応図を保つ呪印を結びつつ、呪符を操り九字を切るミトラ。九字は、縦五本、横四本の簡易XY座標のような図形であり、異界との交通、交信手段として用いられる。
「我、貢ぎ奉るは『速風』『虚理』『地鉄』『浄珠』『凍牙』」
 名に対応した、神具が、九字を通って異界へ消え去っていく。
「あとは、あのガキの頑張り次第やな」
















「人間とは、なんと小癪な生き物か」
 焔斬(=鴻介)の表情には余裕すらある。二度目の異空間。ただ、果てしなく平坦な床が続くだけの、虚無の世界。天はどこまでも高く、光源となるべき恒星の姿も見当たらない。黒くも白くも無い。色の無い世界で、二人は唯一、色彩をもった存在だった。
 炎の燃えあがる刹那を切り取り、布に写したが如き、目を焼く朱。鴻介の服ではあるまい。凰斉が着ていた朱雀の法衣を凌駕する気品、そして比べ様も無い瘴気。人、これを直視するならば、血の涙を流すだろう。邪剣の紅い刀身は青白い炎を吐き、鴻介の顔を、陶磁器の人形のように美しく、この世ならぬ色に染める。
 ほこりをかぶり、すすけた紺。勇気の制服に似せて作られた、戦闘服である。もともと激しい運動に適さない、制服という形式を、耐熱耐冷耐衝撃と柔軟性に優れた『特別な』繊維で再構成したものだ。人を拘束する服は、また、人を自由にもする。重力の拘束があればこそ、命があるように。神具『轟刃』は、翡翠のように青く輝く。焔斬とは似て非なる青。そは生命の色。躍動の色。
「神に等しき我を、ここまで振りまわすとはな」
 火は『智』の象(シンボル)。焔斬の名は、まさしく人知を斬り捨てる神の知恵、その象たる刃である。
「分かっているぞ。この空間は、内部の尺度では五分、外部ではせいぜい一週間の時空跳躍が限度。つまり、貴様は五分以内に我を倒さねばならぬ」
「そうなのか?」
 しっかりしろ主人公。クライマックスなのだぞ。
「もっとも、このような空間をしつらえたところで、貴様と我の如何ともし難い力の差が埋まるとは思えぬがな」
 言いながら、奇剣を大上段に構える。青白い炎を宿した刃が、明るいとも暗いともつかない、不可思議な空間を照らす。
「やってみなければ、分からない」
 応じて、正眼に構える。
「やってみるが良い。だが、あるのは絶望のみっ!」
 細身とも言える鴻介の体からは想像も出来ない、圧倒的プレッシャー。




「やらいでかっ!」




 しかし、




 勇気は、




 迷わない。




 理由を聞かれれば、彼は答えるだろう。
















「なんとなく」









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