老人と青年。
老人の詠唱と、青年の不可思議な仕草が終わるのは、同時だった。
静かに目を開けた老人。
「お主、また遊びおったな?」
いたずらっ子そのままの表情で笑う青年。
「だって、最終決戦にしては、殺風景じゃないですか」
いいのか、それで?(←作者自問自答)
どこまでも続く、
平坦な白い地面と、
どこまでも続く、
無限の黒い空。
そこに、
街があった。
突如として、そこに認識された。と言うのが正しいだろう。
無音無色の世界に、それは、極彩色の彩と光を放ち、華やかなファンファーレ、やかましい音楽、人々の歓声が響き渡っていた。
ただし、どこにも、人影はない。シュールレアリズムの絵画を思わせるような、奇怪な造形に飾られた、無人の巨大カジノである。
ビルのような飛沫を上げる噴水を中央に持つ大広場。そこに二人はいた。
六つの光が、勇気の周りを舞っている。
応じるように、焔斬(=鴻介)の周りにも、六つの影が舞う。
「なんじゃ、こりゃ?」
不思議そうに周りを見る勇気。って言うか、戦闘中ですがな。よそ見は危ないっしょ!?
「いよいよか。貴様ら人のあがきも終局を迎える訳だな」
「は?」
勇気と焔斬。両者の掌から、それぞれの刀が、つう、と離れ、中空に浮かぶ。光と影が、それぞれの刀を中心に回転を始める。
方や呆然と、方や恍惚とその様を見つめる二人。
焔斬はおもむろに口を開くと、楽しそうに語り始めた。
「最初の人の伝説にあるだろう? 創造主は知恵の実を食うことを禁止した。しかし、最初の人はその禁を破り、実を食らってしまう。
あれはただの木の実だ。
最初の人には元々知恵があった。知恵を発動させた人は創造主の地位を脅かす。知恵を発動させる鍵が封印されていたのだ。鍵の名は『好奇心』。創造主は「木の実を食べてはならない」という具体的な『象(かたち)』で封印の呪を行った。そうやって、自制心を強力に植え付けていた。
だが、人は好奇心の誘惑に負け、木の実を食らった。封印は自然に解かれ『好奇心』は知恵を発動させた。人は世界を知ろうとし始めた。
何も知らないことが、人の幸せだったのだ。
人は、世界を知り、孤独を知り、死を知った。
人は楽園から追い出されたわけではない。自分から転落したのだ。原始的幸福では満足できない、否、永遠に満足などできない、無限の知恵の世界へ。
なればこそ、人は楽園に帰ることはできない」
「楽園がどこにもないのは、誰でも知ってるさ。今、この世界を楽園に近づけることが大事なんだ」
「笑止。貴様らの知恵は愚かなものしか生まぬ。人は、罪深い。自然に逆らい、己のほしいままに蹂躙する」
「他人の命を奪わなければ生きていけないのは、生命の宿命でしょが」
「森を拓くことで、幾種の生命が滅ぶと思っている?」
「お前こそ、森を一つ焼き払っただろ」
「天命は、この世界を太極に帰すと定まれり。我らの破壊は、自然の摂理」
「詭弁だなぁ」
「詭弁の塊である人に言われる筋合いではない! 貴様らは生きる権利と言うモノを持っているらしいが、創造主に見放されても生きる権利はあるのか?」
「あるに決まってる」
「何故にそう断言する?」
「理由なんか、あるわけないだろ」
「可笑しなことを言う。根拠のないものに意味はない」
「おかしいのはお前だよ。生きるってことは、本人の問題だ。創造主だろうが、なんだろうが関係ない。生きたいから生きる」
「だが、人は、意味もなく同族を殺すぞ」
「意味がないわけじゃない。意味があるからこそ、間違うんだ」
「貴様は今、ある一人の人間を殺そうとしている。この人間は私の中でまだ生きている」
「知ってるさ」
「ほう、知っていたか。では、知って殺すのだな? それとも私のせいにするのか? 人を殺しても貴様は無罪か?」
「それは、違う」
「そう、人殺しだ。貴様は罪を背負う。不条理だとは思わないのか? 貴様は久遠を救うために、勝手に呼び出された。勝手に使命を与えられ、勝手に戦場に送り込まれた。貴様はこの世界の人間ではない。それなのに、何故闘う必要があるのだ? 何故人殺しになる?」
「んなことは、知らん。ただ、お前は倒さなきゃならない。それは確かだ」
「随分と頼りない論理だな?」
「論理なんか、なんの役にも立たない」
「至言なり。では、何をもって今、この瞬間を生きる?」
「何を、とかそう言うことじゃない。今は今。精一杯生きるのみさ」
見つめる老人の呟きは、となりの青年にも聞こえない。
「神具揃いて、『荒神(スサノオ)』。邪影具の顕現、『月読(ツクヨミ)』」
それは祈りであった。
「最期の二つの鍵が現れる。兄者、わしに力を貸してくれ」
両者は向かい合ったまま、手を空に浮かぶ己の剣に伸ばした。導かれるように、光に包まれたままの聖剣、影に沈んだままの邪剣が、再び、両者の手に戻る。知らないはずなのに、そうするのが、当然であるかのような所作だ。
「さすがはリュート。面白い、実に面白い。ならば、私と貴様で、決着をつけようではないか? どちらが正しいかをっ!」
焔斬が吠えると、今までになく獰猛な数十の炎の蛇が剣から放たれ、勇気を取り囲み、絡み付いた。
「分かんない奴だな。正しいも、正しくないもないんだ!」
気合。弾き飛ばす。どこにそんな力が残っているのか? 砕け散った炎が、広場に面したカジノの一部分を吹き飛ばした。
「そいじゃ、始めようか」
勇気は、ゆるり、と刃を構えた。
喧騒の中、終わりの始まりである。
「リュートが、降臨した。禁門(ゲート)が開く」
星雨真羅である。
「死にゆく人間には、関係のないことだ」
対するは、第566代竜帝、ジエイ=ロス。眼に光はない。
「勘違いするな。わしは自分の意志で、今回のことを決めた。お前たちに賛同したわけではない。たまたま、同じ道を選んだだけのこと」
真羅の周りが、薄暗い。
「分かっている。誇り高き賢者よ」
薄闇の濃度が、徐々に上がっていく。
「それでもなお、感謝の意を表したい」
「ふん」
鼻を荒く鳴らしたつもりだろうが、ヒューという風切音にしかならない。
「書は用意してある。勝手に持っていくが良い」
真羅は、もはや闇になっていた。
「すまぬ」
それは『司令』と呼ばれていた存在。
「すまないと思うなら、この世界、しかと守って見せろ」
そう言うと、ジエイはゆっくり眼を閉じた。
「承知した」
激しい剣劇。
誰もいない巨大都市を舞台に、二つの光がじゃれ合うように、舞い続ける。
先ほどまでの静かな問答とは対照的な、その斬り合い。
「死ね!」
「死ぬか!」
当事者たちは気づかないが、剣の形が変化している。轟刃は、両刃の石剣が日本刀のような優雅な姿に、焔斬は、骨と血で作られた禍禍しいものへ。
空を斬る刃が、華々しいネオンの大看板を切り裂き、打ち合いの衝撃が、スロットマシーンをはじめとする、カジノの設備を、吹き飛ばし、粉々にする。その度、真新しい金貨が宙を舞った。
間合いをとった両者は、手ごろな高さの建物に足場を求める。勇気は傾きかけた時計塔の頂上、焔斬は、さきほど自分で斬り裂いた展望台の、かろうじて残った骨格の上。
焔斬は、勇気の背後にゆらめくオーラを見逃さなかった。そして、その正体も、見間違えなかった。
「リュート=ブレイブハート。ようやく貴様との決着がつく」
焔斬は、オーラが、微かに震え、笑ったように感じた。
そして、勇気もまた、自分に力を与えている存在に気づいていた。
「任しとけ」
リュートと呼ばれたその存在に向かって、何となしに言う。
「力は互角」
「ならば、次の一撃で、」
「「 全てが決まる。 」」
パチン、と亜空間の青年が指を鳴らす。
「きゃっ!」
老人と青年のとなりに突如現れたのは、北条麗子である。
「やりすぎだぞ! 何を考えているロバート!」
珍しく激昂する老人。
「子を親に逢わせる。何が悪いんですか、ガリュウ老師?」
「お父様……」
当の麗子には、今の状況など関係ないことだった。目の前に広がる映像の方が、よほど重大だったから。
目の前に、父が居る。
酷薄な笑みを浮かべた邪悪な存在。だが、それは、まぎれもなく彼女の父。
「お父様!」
思わず、叫んでいた。なぜ叫ぶのか、自分でも理解できない。
「お父様! お父様! お父様!」
写真でしか、見たことはない。祖父凰斉から聴かせてもらった話からしか、うかがい知れなかった、父。
お調子者で、いい加減で、皆から愛されていたという、父。
あまりに遠かったために、かえってその存在が麗子の中に大きく根付いたのだろうか?
それとも、真羅から、見殺しになる、と聞かされたが為の感傷か?
麗子は、叫び続けた。青年がその腕を掴んで抑えなければ、父の姿が映った方向へ駆け出していただろう。
「危ないよ。この空間で僕から離れるのは」
「放して! お父様が!」
理性が消し飛んでいた。青年に掴みかかるようにして訴える。
「連れていってあげる」
「ロバート!」
「老師、僕はあなたと同盟を結んだだけ。方法論の違いには、眼をつぶってもらいますよ」
「待てっ!」
老人が言う前に、青年は消えていた。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、、、、、
勇気は、いつも試合の時するように、自分の呼吸を数えていた。
半眼にした眼と、ゆるりと力を抜いた体が、『道』を探り当てようとしていた。
深く深く沈んでいく意識が、研ぎ澄まされた精神を呼び覚ます。
荒々しい焔斬の気迫、その感情の昂ぶり、向けられる殺気。
勇気と同じく、次の一撃に全てをかけているのが分かる。
そして、痛いほどの孤独、悲しみ。
分かっている。
皆が生きるためには、
助けることはできない、
見捨てなければいけない、
犠牲にしなければいけない、
斬らねばならないのだ。
再度、迷いを消すように、数え直す。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、、、、、、
数えるに従い、
心がからっぽになり、
全てが渾然一体になり、
ただそこに、
道。
「見えたっ!」
「行くぞ!」
「我らが光が、降臨する」
何処ともしれぬ、空の上。
自分の身長より長い、巨大な杖をもった老人が、空を見つめ無感動に呟く。