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第9話「氷の暗殺者、仕事する」

 きれいな星空の下、静かな公園にたたずむ青年。
 何故か、学生服を着て、剣を携帯しているのを除けば、なかなかの男前。
 すぐ近くのちょっとしたベンチに座る少女。
 赤い髪をふさぁっとかきあげて、夜空を見上げるその姿は、
 月明かりに照らされて、まるで女神アルテミスの如く気高く美しい。
 一般的な人間が見れば、どう見たって散歩にきた誰もが羨むカップル、な状況である。
 二人の背後にある、醜悪なモニュメントを除けば、雰囲気もいい感じだ。
 少女が、ふうっ、と悩ましげなため息をつきつつ話し出す。
「あのオヤジのことだから、きっと、何かとてつもなく大変なことがあるのよ」
 ふむふむ、オヤジが二人の仲を許そうとしないで、何か企んでるんだな。
「そんなにヒトのことを疑ってどうするのさ」
 青年は、なかなか誠実なようで何より何より。
「あんたがあんなことを言うから悪いんじゃないの!」
 ほほう、なにかオヤジ殿に失言を吐いたか。
「別に、僕はそういうつもりじゃ、、、」
 尻に敷かれてるぞ!しっかりしろ青年!!
「言質を取られたら、ああいうのは始末が悪いんだから!」
 オヤジ殿を、『ああいうの』呼ばわりするか?普通?
 なんだか、喧嘩が始まりそうなムードになってきたようだ。
「いい!?今回はあんたが全部やんなさいよ。あんたの責任なんだから」
 そうだ、男は責任を持って行動するもんだぞ、青年よ。
「だいたい、あんたは――――
「静かに! 気をつけろ!! お客様の登場のようだ」
 ―――冗談は、この辺で終わりである。
















 あたりに、明かに『力』によるものである冷気が、立ち込め始めた。
 それは、もともと涼しかったあたりの空気を一気に冷やし、ダイヤモンドダストを作り出していた。きらきら光る氷の結晶は、しかし、まったく柔らかさを持ち合わせてはいない。それは、冷酷な死の使いに他ならなかった。
「こんな子どもだまし!!」
 麗子の炎が、あたりの冷気を振り払うように放たれる。しかし、冷気は次々と流れ込み、一向に衰える気配が無い。
「来るぞッ!!!」
 ゆらり、と、ダイヤモンドダストの向こうに人影が現れた。それは、一直線に勇気に向かって突進してくる。渾身の一撃でそれを受ける勇気。しかし、それはあまりにもあっけなく砕け散ってしまった。
「ただの氷の塊!?」
 そう、それは等身大のヒトの形をした氷塊だった。
「勇気っ、本体は?」
 麗子の声に、反応して勇気があたりをうかがおうとした。

 その時。

 いきなり背後から押し殺した声が聞こえてきた。
「悪いが、死んでくれ」
「なっ!」
 勇気の喉元には、鋭利なナイフが付きつけられていた。しかしそれは、勇気が肌の感覚で認識するよりも早く、突き立てられた。
 勇気の常人離れした本能は、体をナイフの動きと同じ方、つまり彼の背後の人物のほうへ上半身を仰け反らせてかわそうとする。いかんせん彼の反応速度は人間の域を越えていたために、結果として、その動きは背後の人物への痛烈なヘッドバットになってしまった。
「ちっ!!」
 暗殺者は、そのヘッドバットの予想外のスピードに、ついナイフを持つ手を緩めてしまった。大げさにも見える動きで、飛びのくように離れる。すると、そのすぐ鼻先を勇気の剣先がかすめる。紙一重。
 ナイフが、喉元からほんの少し離れた瞬間に、勇気はすばやくしゃがみ込んで、そのままの体勢で振り向きざまに剣を振り上げたのだ。
 双方間合いを取りなおし、月下、二人の戦士が相対する形となった。
 暗殺者が月明かりの下にその姿をさらす。灰色のマントを纏った銀色の髪の美青年。碧(みどり)がかった青い目が、月の無機質な光を反射し、冷たく光る。死神の如き輝き。麗子は元より、勇気までも背筋に走る冷たい感覚を認識していた。
「―――――少し長引く、か」
 まるで死刑宣告のように、静かに呟くと暗殺者は再び身を躍らせた。
「はえぇ!」
 勇気のスピードとは別種の速さ。全身の筋肉が、全く無駄なく、流れるように動いて、暗殺者の華奢な体躯を空に舞わせる。
「くっ!!!」
 ナイフが剣とかちあう。その響きが1秒に数回のペースで奏でられる。もはや、常人には何が起こっているのかすら、理解できない。
 暗殺者の繰り出す攻撃は、一撃一撃が全て急所を狙った必殺のものである。感覚の鋭い勇気にとって、その殺気は痛覚と誤認するほどだ。
















「なんなのよっ!!」
 麗子は、二人の若者の闘いを見ていることしかできない自分が、もどかしかった。彼女は、朱雀公領において、NO.2の実力を持っているはずである。なのに、今、目の前で繰り広げられている闘いは、彼女が近距離戦を得意としないことをかんがみても、明かに彼女の及ばない世界のものであった。なまじ、加勢をしようとすれば、却って勇気の邪魔になる。分かっているだけに、悔しかった。また、暗殺者が、もともと自分を、問題外にしている事実は、いたく彼女のプライドを傷つけた。
「どうなってんのよ!!!」
 彼女には、ただ、憤ることしか許されてはいない。

















「にゃろう!!!」
 微かな放電現象とともに横一線に振るわれた勇気の剣は、ひどく小ぶりなナイフに軽くいなされてしまう。体格はほぼ同じだから、リーチは剣のほうが遥かに長いはずなのに、暗殺者の青年が放つ一閃は、勇気の体に少しづつ傷を負わせていく。
 首を狙った突きを、紙一重でかわす。しかし、それは勇気の右頬に赤い線を画くようにしてえぐっていく。流れ出るはしから血は凍りついた。体をひねるようにして、真横を通りすぎる死神に刃を振る。手応えは無い。
 後ろを向くことなく、逆手に持ち替えた剣を背中の方に突き出す。カキンッという音とともに、ひどく重い手応えが両手にかかる。背中から心臓を狙う一突きだった。ナイフと剣のかち合った部分から発せられる冷気が、肌をひりひりと焼く。
 相手に背を向けたまま、前方に転がるように飛び出す。体勢を整える間もなく、振り向きざまに剣をかざす。すんでのところで、頭蓋を狙ったナイフを受ける。白い霜が降りて、勇気の髪の毛は、半分白髪のようになっていた。恐らく、受け損なえば身体ごと凍り付いてしまうのだろう。
 ぐぐっと押し合うようにしたのも刹那、二つの閃光は、いったん間合いを取りなおすように離れた。
―――どうすりゃいい。あいつに全然剣がとどかない。
 正眼に構え、心の迷いを振り払うように、精神を高める勇気。
―――やるっきゃない、ってことか。
 覚悟を決めた勇気に『道』が、ぼんやりと見え始めていた。
 それまで、あたりを優しく照らしていた月も、異常なまでの冷気に呼び寄せられた雲によって隠されてしまっていた。それゆえ、勇気の全身が放電現象を起して、うっすらと蒼く光っているのがよく分かった。
「これは―――キサマ、蒼竜の者か。なるほど面白い。しかし、」
 さほど、面白がるような表情を出さず、代わりに冷たい微笑を浮かべ、死神が動いた。
「―――終わりだ」
 死神の手には、先ほどのナイフではなく、長い槍があった。
















「勇気!!!!」
 麗子の叫びは、死神の槍が勇気の左胸を貫いた、正確に1秒後に響いた。
















「―――呼んだか?」
 麗子は、否、死神ですら、我が目と耳を疑った。目の前の人間は、心臓を貫かれている。喋れるはずがない。いや、生きているはずがないのだ。
 少し遅れて、死神はその声が自分の前方の人物からではなく、少し下の方から聞こえてきているのに気づいた。
「なにっ!!!」
 すっと下に向けた視線の先には、中腰の体勢でニヤリと笑う好青年がいた。
 次の瞬間、勇気の全身をばねにして振り上げた剣が、死神を捕らえた。それは、致命傷には至らなかったものの、死神の左腕に、屈辱的な傷を刻み込む。
 暗殺者の青年は、左腕をかばうようにして二三歩後ずさりながら、考えていた。
―――俺が槍を突き出す瞬間、それも、槍が触れる寸前に残像を残すようなスピードで動いた。しかも、俺の槍に適度な手応えを与えるよう、ご丁寧に剣でいなしながら。
 彼にも不可能な芸当だ。その手応えが、彼のプロの感覚をも欺いたのだ。何より、そのスピードが先ほどとは、全く別物だ。
「やっと、当たった」
 さわやかに勇気は笑っていた。蒼い光が一段と強くなっている。
「さあ、どうする?」
 死神は、相手が悪すぎることに気づいた。この蒼竜の青年は闘いの中で成長するタイプだ。これ以上やっても、徐々に自分が不利になっていくのが目に見えている。
「仕方が無い」
 しかし、死神は一向に焦る様子も無く、こう言い返した。
「仕事の目標(ターゲット)は、キサマじゃないんでな」
「どういう意味かな?」
「こういう意味だ!!」
 そう言うと、銀髪をなびかせて、死神は身を翻す。
「勇気!白虎の変態オヤジが危ない!!」
 こういう時でも、軽蔑はおろそかにしない女、麗子が気づく。白虎公の寝室がすぐ近くになっている。
 戦闘中、彼はじりじりとそこへ勇気を誘導していたのだ。標的(ターゲット)は目と鼻の先、いくら尋常でないスピードの持ち主である勇気とて、間に合わない距離だ。
「やられたっ!!!」
 一瞬遅れて、脱兎の如くに駆け出す勇気。その時もはや死神は部屋の中へ踊り込んでいた。間もなく、甲高い男性の悲鳴が辺りに木霊した。
















 息せき切って麗子が部屋にたどり着いたときには、白虎公ミトラ・ロスは物言わぬ屍と化していた。――バカな――、それが正直な最初の言葉だった。仮にも四神公の一員であるミトラが、何の抵抗も無くこんなにあっさりと殺されてしまうとは。やはり、金儲けのことばかりにかまけて、修練を怠ったのだろうか?それとも、睡眠中の警戒法をど忘れしたのだろうか?
 そんな麗子を、更に困惑させる言葉が、先に駆け込んでいた勇気の口から飛び出した。




「説明してもらわなきゃいけないな。

白虎公さん」





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