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第13話「幻、消ゆる」





「昔のことだ」
 暗闇の中。
 枯れ枝の如き老人である。不自然なまでに姿勢を正し、時折ヒューヒューと空気の漏れるような呼吸をする。肺を病んでいるようである。
「昔といっても、私の長き運命からすれば極最近のこと。弟子のようなものを取ったことがある」
「へぇ。孤高の老師ガリュウに弟子がいたなんて、初耳ですね」
 ブロンドの青年である。腕まくりしたワイシャツと裾を折り返した布のズボンという質素極まりない格好だが。なぜか気品が感じられる。天性のものなのだろう。
「きまぐれだったかもしれん。さだめだったのかもしれん。その者は『轟來(ごうらい)』と名乗った。ずいぶんと徳を積んだ修行僧のようでな。私のような人間には、教えることなど何もないように思った」
「老師に教わりたかったのは、力の使い方でも人生訓でもなく『あれ』でしょう?」
「相変わらず、嫌になるほど察しがよいな、お前は。あらゆる知識を習得してきた轟來は、最高の知識の一つ『生と死に関わる知識』を求めていた」
「そのうち僕にも『時と空に関わる知識』を求める弟子が現れたりして」
「茶化すな」
「それで、教えたんですか?」
「前々から言おうと思っていたが、分かっていて問うのは、悪趣味だぞ」
「ご意見、謹んで参考にします」
「教えるはずもない。私のような者は、後にも先にも私だけで沢山だ。じゃが、轟來はしつこかった。来る日も来る日も訪ねて来ては、弟子にしろと言う」
「女の子にモテないタイプですね。来る日も来る日も、『つきあってくれ』」
「そんなことは、知らん」
「つれないなぁ」
「だから、初歩だけ教えてやった」
「あらま! そんなあっさりタブーをやぶっていいんですか?」
「人の話を聞け。初歩だけだと言っている」
「聞いてますよ。冗談ですって」
「知っている。お前のまねをした」
「なんと!」
「有能な能力者であった。初歩を我流に工夫して、傀儡(くぐつ)を意のままに操る術を編み出した」
「僕のナイスリアクションをあっさり流すんだもんなぁ。で、操り人形、つまりは人形師ですね」
「編み出しただけで、不安定なものだったからな。術を完成させるのだといって、私のもとを去った。その後どういった経緯かは知らぬが、光と闇の争いを知ったらしく、十年ほど前、突然現れてな」
「まさか、話した?」
「話した」
「はは、ひっかかりませんよ」
「本当だ」
「なんと!」
「一部だけだ」
「あらら」
「何か出来ることはないかというので、西を見て来てもらうことにした」
「なるほど。闇でも死者でもない人間ならば、可能か」
「お前が行けば、話は早かったのだが」
「僕は、一瞬たりとも久遠を離れるわけには行きませんからね」
「そして、消息を断った」
「僕が?」
「……先ほど、朱雀に轟來が現れた」
「つれないなぁ」
















「どうだ、動けるか?」
「……ああ」
 黒衣の老人は、つらそうな息の下からやっと返事をした。
 口が大きく開かないため、顔の半分以上をおおった髭がまったく動いていないように見える。
「ま、舞姫は……」
「安心しな。さすがに無傷とはいかなかったが、無事だよ」
「感謝する」
「しかし、あんたもエライ目にあったな」
「ふ、美しき女に操られるのも、悪くは無いぞ」
「遠慮しとく。過去にトラウマがあってな」
「尊公は、老師ガリュウの、闇の側の者だな」
「まあ、それで間違いないだろう」
「西に沈みし光を、拙僧は見てきた」
「凱羅(ガイラ)、じゃなかった、ガイリュウ公に仕えた者たちの末裔だな」
「左様。末裔達は、長老会を中心に結束し、時を待っていた」
「長老会?」
「六人の最高権力者によって構成された組織。それぞれ、老(マスター)智(ソフィア)誠(ロイヤル)幻(ファンタム)眼(ハーミット)武(フォルテ)の称号を持っている。およそ二百華巡(一万二千年)、世代交代を繰り返しながら、光の力を保ってきた」
「要素(エレメント)が六で、永続、固定、守護を表す。レリーグの置き土産か。あいつ、いつもながら余計なことを」
「現在は、マスター=ラミールがその頂点にいる」
「そいつが、黒幕か」
「不覚にも拙僧はラミールに見つかり、捕えられた。そして、粛清により死んだ先代『ファンタム』の空席を埋めることになった。ラミールの操り人形として」
「洗脳ってか。光の末裔がやることかよ。まぁ、さすがはレリーグの後継者ってことか。やることえげつないなぁ」
「洗脳よりも恐ろしい。なにしろ、拙僧を生きながらに人形とし、拙僧から奪った意識の断片で、舞姫を人間にしてしまったのだから」
「『舞姫』てのは、あんたが作ったのか?」
「我が傀儡術(かいらいじゅつ)の集大成。拙僧の最高傑作だ。古文書にある太古の巫女を造形の手本としたのだが、恥ずかしながらその美しさに心奪われてしまっていたのだな。拙僧の執心が舞姫を人間にしてしまったようなものだ」
「あの娘の怒りは本物だ。大したものだぜ、あんたの『想い』」
「ああ、舞姫」
 気がつくと、轟來を挟んでリュートの反対側に、舞姫がいた。
 太古の巫女装束(日本の巫女を考えてもらえばいいだろう)をまとったままだが、結い上げていた髪を下ろしている。ブロンドの長い髪は腰のあたりで、さらさらとそよいでいた。
 今までのエリナより、今の舞姫の方がよほど人間らしいと、リュートは感じた。
 膝をついて、心配そうに轟來の顔をのぞき込んでいる。すすけた頬を涙が伝わっているようにも見える。
「案ずるな、舞姫。拙僧は、しばし眠る」
 僧侶は、穏やかな顔で再び意識を闇に沈めた。
 そっと舞姫が膝枕をする。いとおしむように老人の顔をなぜる。
 生命の息吹が途絶えたわけではないことを確認すると、リュートは立ち上がって天井の片隅を見上げた。
 いつも通りのぼさぼさ髪なのに、威厳さえ感じられるのは、伝説の勇者の魂が放つオーラのせいだろうか。
「上から見張られるのは、あんまり気持ちのいいもんじゃない。出てきな」
「お言葉ですが、私は見張っていたのではなく『見つめて』いたんです」
 余計、タチが悪い。
 紫の風が吹いて、一人の少女が目の前に現れた。
 濃い紫のシノビ装束を着て、目もとだけをのぞかせている。表情を表す場所が目だけであるのに、ぱっと花が咲いたように笑って見えるのは、彼女の感情が豊かである証拠であろうか。
 仕える王に対するが如く、うやうやしくひざまづいている。
 リュートは、『かつてのトラウマ』から剣に引っ込んだ。
「麗子は、大丈夫なの?」
 伝説の勇者が引っ込むと、そこには天然青年がいた。
 威厳もプレッシャーも、あったものではない。
 いつも通りのぼさぼさ髪が、いつもどおりボケボケに見える。やはり、天然オーラのなせる技か。
「ええ。記憶の流れに混濁があるようで、目が覚めてみないと分かりませんが」
 忍は、それでもうやうやしく答えた。
 伏せた顔が紅潮し、目がハートになっているのは、まあ見逃しておこう。
 口調が無理をしたものに戻っている。

 そんなことより、勇気の二重人格に対するツッコミは無いのか?




 !!…………ふ、この殺気にも慣れたな。




「そっか。そいじゃ、後は任せるね」
 なんの裏表も無く、心底安心したように笑う。
 天然は、時として無意識に災厄を遠ざける。
 呆然とする恋する乙女と残像を残して、勇気は消えた。




「勇気様ぁ!」




 残響は、薄暗がりの館の複雑な構造に吸収されて消えた。
















 再度、暗闇の中。
「今一度、愛するものを守るために、闘ってはくれまいか」
 洞窟の中である。遺跡のようである。
 古代の秘術によるものか、壁の紋様が青白く輝き、あたりを照らす。
「選択は、お前自身がする。拒否しても構わない」
 一条の光が、天井の細い隙間からさし込み、さながらスポットライトのように、一点を照らす。
 光の中に、男が立っていた。
 男の身体には、青白い炎がまとわりついていた。
 あまりに強力で邪悪な思念は、生と死の狭間にすら影響を与えているのだ。
 男の名は、北条鴻介。
 史上最強の情報系能力者と呼ばれた、北条凰斉の一人息子。
 老人の言葉に、鴻介は一瞬哀しげな顔をしたが、それをごまかすように微笑んだ。
 もしここに、遺跡大好き女の「彼女」がいれば、それが鴻介が一時の迷いを振りきるときの癖のようなものだと分かっただろう。
 だが、ここに彼女はいない。ここは、その鴻介のためだけの空間である。
 鴻介は、困ったように頭を掻きながら、しかしはっきりと答える。
「かわいい娘に、もう一度会えるなら、喜んで生ける屍となりましょう」
 「契約」は、成立した。
 洞窟は消え去り、鴻介の姿は闇に融けた。
 鴻介と話していた老人は、うつむいて黙していた。
「罪深き所業よの」
 そして、老人も消え、闇の中の洞窟も消え、後には何も無いただの暗闇が残るばかりであった。
















 光の中である。
 人影の数が減っている。
「幻(ファンタム)が、消えた」
 眼(ハーミット)が、甲高い声で告げた。
「老(マスター)ラミールの御手によるものとはいえ、所詮は人形」
 智(ソフィア)が、厳かな声で言う。
「新しき光の御世に、新しき生命をとのご意志であったが」
 誠(ロイヤル)は、嘆息するように言う。
「人形使いが人形に、人形が人形使いになるなどとは、秩序になじまん」
 ハーミットが、笑うように言った。
「武(フォルテ)も消えた。げに恐ろしきは死者をも操る闇の力」
 ロイヤルが、苦々しげに言う。
「なれど、光は我らにあり。間もなく世は光に満たされる」
 ソフィアが、宣言するように言うと、皆が声をそろえた。
「我ら光の下、永遠の秩序を望む者。いざ行かん約束の地へ」
















 麗子は、温もりを感じていた。
 暖かい光に包まれているような感じ。
「お爺ちゃん?」
 小さい頃に、凰斉に背負われていた時の感覚に似ている。
 心から安心する感じ。
 なんの心配もいらない。
 私は守られている。




お父さん……




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