小説ホームへ

第14話「父、諭す」





 そこには、二人しかいなかった。
「麗子、分かるか?」
 ベッドのかたわらにしゃがみこんだ、中年のようにも、見ようによっては青年のようにも見える男と、
「お父さん?」
 眠そうな、紅い髪の幼い少女である。
「う〜ん。パパと呼んで欲しかったんだが、まあいいか」
 男は、心底嬉しそうに微笑んでいた。
「麗子、私は死んだ人間だ。だが、ちょいとこの世にアルバイトに来てね。その役得としてカワイイ娘にこうして会うことが出来た」
 うつろな目の少女は、夢見心地で男の言葉を聞いていた。




 死んだ人間?
 アルバイト?
 ああ、夢か…




 男は構わず続ける。
「麗子、我が娘よ。よく聞きなさい。お前は選ばれた人間ではない。普通の人間だ。少なくとも私にとっては、普通の娘だ。がんばる必要なんて無い。がんばらなくてもお前は私と理恵子の娘で、北条凰斉の孫だ。私や理恵子、そしてお爺ちゃんのためにがんばるのは止めなさい。私たちはお前が生きているだけで嬉しいんだ。がんばるなら、自分のためにがんばりなさい。あまりに大きなものを背負うのは止めなさい。お前は自分が思うほど強くない。だが、人間は自分が強くないということを知ったときに、強くなれる。私の娘であるお前なら、分かるはずだよ?」
 眠りにつく小さい子どもに、自分の知っている昔々のお話を言い聞かせるように、優しい口調である。
「お父さん……」
 少女は、温かな気持ちに包まれて、安らいだ表情をしている。




 おとうさんのおはなしのおかげで、きょうはとってもいいゆめがみれそう…




 すぅすぅと寝息をたて始めた少女を、愛しむように見つめてから、男は立ちあがった。
「さてと、そろそろ仕事を始めないと。お前と話しながら『彼』の相手するのはさすがのパパでも無理だからな」
















「爺」
 きらびやかな鎧。ふくらみのあるズボン。引きずるようなマント。
 少年である。
 と同時に、王たる者の持つ威圧感も持っている。
 ガイロニア最高権力者、竜王・ゼスト=ティアル=ガイルートである。
「は、なんでしょうか若?」
 答えたのは、白髪が目立つ初老の男。
 儀礼用の軍服。たくわえられ灰色の髭。
 竜王の補佐を務める、ネイカー=エミサルである。
「先の男、空間を支配できるようだった。それも、短時間とは言えスピーカで増幅された音を減殺させることができると言う。実質、『言上げ』は封じられておる」
 『先の男』とは、ご存知ロバートのことである。
 ロバートと切り結んだフレッドもいつの間にか姿を消している。
 王座に座る少年と、老臣が残されていた。
「そう、なりますな」
「我の『言上げ』がならずば、久遠の精神均衡は崩れぬ。『長老会』は、この事態をなんとする? 既に動いておるのだろう?」
「まこと、ご賢察にございます。既に『眼(ハーミット)』が動いております」
 かく言うネイカーも『誠(ロイヤル)』の号をもつ長老の一人である。
「なるほど、物理的に増大された大音声による言上げではなく、今度は久遠の情報網世界を使っての『言上げ』をしようというのだな?」

 説明せねばなるまい。
 久遠は、端的に言ってに精神と物理の優越が逆転している世界である。
 簡単に言えば、魔法世界である。
 だからといって、情報伝達が全てテレパシーであるなどという、想像を絶する世界ではない。
 『力』を持たぬ者、『力』の弱い者もいるし、『力』を持っていても、『情報をやりとりする力』が苦手な者もいる。 
 そんな人間のために、結界を利用した遠距離意思伝達補助機関(つまり無線機器みたいなもの)を使っている。
 その情報網を占拠・支配し、竜王の『言上げ』をしようというのだ。
 『言上げ』さえ成功すれば、世界のバランスは真なる光に傾き、戦はそこで終わる。
 だが、ネイカーには不安があった。




 眼(ハーミット)マトルス=エミサル。
 世界の情報の全てを見通す千里眼を持ち、情報を思うがままに操る老獪な策士。




 理由を説明せよと言われたら、答えに窮するであろうが、ネイカーとしては、どうにも信用のできない輩なのである。
「よもや、光のご意志に逆らうようなことはあるまいが……」
















「どうする?」
 静かに問うたのは、いつも通り白衣姿のセイである。
「立て直します」
 溜息とともに応えたのは、いつも通りちゃんちゃんこ姿のシンである。
 場所は、天竜殿より東、政治の中枢、光建。
 大きな穴の開いた、王の間である。
「現在の戦力でどうにかなると、本気で思ってるのか?」
 セイが、再び問う。
「思いません。だから、立て直すと言っているのです!」
 珍しくいらだたしげに、シンが応える。
「では、アインスの爺さんに……」
「それも考えています。当初の目論見とはまったく違ってしまった。もはや、玄武公殿に我慢して頂く理由はない。ですが……」
「玄武が中立を崩せば、白虎と朱雀、蒼竜と玄武、久遠が二つに割れてしまうと?」
「私の敬愛する『刹那』の軍師の真似事ですが、事実です」
「ガイロニアが、あんな力をもっていた以上、それにこだわるこたないだろ? このままじゃ、三者の均衡どころか、俺たち負けるぜ?」
「分かっています!」
 またも、怒鳴るようにするシン。
「ガイロニアの力を見誤っていたのは認めます。ですが、その認識を改めて考えてみてください。玄武公殿が兵を上げたとしてどうなります?」
「……絶対勝てるとは言わないが、五分五分ぐらいにはなるんじゃないか?」
「そう! 全面戦争、総力戦です!」
「!」
「人が死にます! 一般人も兵も関係無く、大勢が死にます! 相手は『影』ではない。人と人が殺し合うんですよ! そんなバカな話があってたまりますか!」
 部屋を大またで歩きながら、怒りの表情を見せるシン。
 その怒りは、自分に向けてのものだろう。
「……ならば、どうするんだ?」
 セイは、シンの怒りが収まるのを待って、腐れ縁の相棒の望む問いを言った。
「この戦争の勝敗ではなく、結果としての犠牲が一番少ない道を考えています」
「上手く負けるってことか?」
「ありていに言えばそうです」
「お前が目覚めれば、あっという間に決着はつくだろ?」
 セイの言うのは、『闇』から聞いた話のことである。
「私が、『第四代竜帝の転生』であると言うお話は、非常に興味深いですよ。もしそれが事実で、『闇』の方がその力を目覚めさせることができると言うのなら、これ以上願ってもいないことです。私が光の正統であるとなれば、ガイロニアに大義名分は無くなる、だが……」
 無言のセイ。分かっているから、何も言わない。
「私は『力』を持ってはいけない! そう私の魂が叫んでいるのです!」
















 背の小さい老人が、光(1)と闇(0)の交錯する世界にたたずんでいた。
「世界の情報は、すべて把握しておる。竜王の声を久遠全土に届けるなぞ造作も無いことよ」
 癇に障る、甲高い声。
 マトルス=エミサルである。
 ここは、久遠の情報網の内、否、情報網が構築されたことによって生まれた、情報だけで作られた世界である。
 従って、ここにいるマトルスも何かの虚像……と思ったら大間違い。
 マトルスは、この世界に『存在』できるのである。
 それが、マトルスの能力。
「さすがは久遠のネットワーク。ガイロニアのような無骨なもんと違うて、なんと洗練されておることか」
 情報世界を、現実世界と同じように認識して、支配する。
 彼の目に、久遠の情報網は、美しく織り上げられた虹色のレースのように見えた。
 それは平面ではなく、立体として存在していた。
 大きな繭の中を想像すれば、近いだろうか。
「では、始めよう」
 マトルスの十本の指が光ファイバーのように伸び、美しい虹色のレースを侵食していく。
 光ファイバーが伸びるに従い、マトルスの小さい身体が崩れていく。
 マトルスは、情報網と完全に同化するつもりなのだ。
 やがて、マトルスは消え、まばゆい光を放つアメーバ状のモノが、情報網のレースの上に現れた。
 アメーバは虹色のレースを食らい、光り輝く身体を拡大させていく。
 色が消え、光だけになろうとしていた。
「おおっと、そこまでだ。娘の生きる世界を守らにゃならん、それ以上はNOだ」
 鴻介の声である。
 人間の姿のままで、情報網の世界に立っていた。
「何奴じゃ!」
 人を不機嫌にさせる甲高い声で、マトルスは問うた。
「闇の使い魔、で十分でしょ?」
 鴻介は、不敵に笑った。
 情報世界では、不用意な情報のやりとりをするものではない。
 光のアメーバは、もぞもぞと姿を変え、そこから巨大な顔を作り出した。
 ワシのような鼻と、張り出した前頭骨、ひしゃげた唇。
 性別が違えば、魔女の典型的イメージだ。
「情報世界で、このワシに戦いを挑むというのか? 青二才が!」
 自分の身体の数十倍はあろうかという巨大な顔の恫喝を、鴻介はまったく意に介さなかった。
「ああ、なんという醜いイメージ! アンタのイメージする自分とはそのような醜い姿なのか?」
 それどころか、芝居がかった動作で挑発して見せる。
「情報の全てを把握し操作し、思いのままに支配する、一つ一つの触手が我が至高の意志を司る。情報の網目の全ては我が手にあり。ゆえに、私自身が網目となるのだ。キサマこそ、そのように人間の象(イメージ)に囚われているではないか? 人間の情報など無限の情報世界では、誤差の範囲に消えてしまうのだぞ」
 対するマトルスも、鴻介をあざ笑う。
「それでアンタは、その無限の情報世界に対して己を限界まで拡大させたと」
「左様。この世界では、ワシが神じゃ。ワシ以上の情報量は存在しない」
 マトルスの巨大な顔が笑う。優越感に満ちた顔だ。
「ふっ、ははは!」
 鴻介は突然、腹を抱えて笑い出した。
「何を笑う?! 血迷ったか?」
 不審そうなマトルスの巨大な目が、ギョロリと鴻介を睨む。
「いやいや、自らを神と名乗るとは、聞きしに勝る勘違いなヤツラらしい」
「何を!」
「情報はね、たくさん持っているから価値があるわけじゃない。情報をどう使うか、使って何を為すか、それが重要なんだよ。その都度、必要な情報を探しつなぎ合わせる技法こそが、情報世界を支配する方法。知らなかったようだな?」
 子どもに物事を教えるときのように、人差し指を立て言い聞かせるように言う鴻介。
「夜迷いごとを!」
 当然の如く、激怒するマトルス。








「なら、試してみるかい?」




小説ホームへ
ご意見ご感想はこちらまで→作者宛のメールフォームを開く