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第15話「虚実、交錯す」





「なら、試してみるかい?」




 そう言った鴻介の両手の指先から、細い細い光の糸が現れていた。
「膨大な情報の塊であるアンタにとって、この糸は誤差の範囲内なのだろうが……」
 手首をひらひらとさせる鴻介。
 それと連動するように、糸はふわふわと宙を舞う。
「この糸が紡ぐ情報の象(かたち)は、アンタにとって致命的だ」
 挑発ともとれる言葉を、機械的に告げる。
「そのようなか細い情報の糸など、なんの力があろうか?」
 マトルスの顔をした光のアメーバは、余裕の笑みを崩さない。
「なんの力もないが、私に重要なことを教えてくれる」
「ふん? 何を教えるというのだ?」
「アンタがどのようにこの世界に根を下ろしているのか、どのようにこの世界での身体を構築しているのか」
 目を閉じ、糸が告げる情報世界の有り様を『見る』。
「ほう? それでワシの弱点でもわかったかね?」
「困ったことにアンタにはコアが無い。一つ一つの情報の塊がそれぞれ自立した意志を持ち、例え一部が破壊されてもすぐに修復できる。弱点と呼べるようなものが存在しない」
 閉じた目を薄く開けて、敗北宣言とも取れる言葉を、機械的に告げる。
「それがわかっただけでも、大した能力だ。だが、情報世界におけるワシを破壊することはできないこと、理解しただろう? どうするつもりだね?」




「こうするんだ!」




 はっと目を見開き、左手を突き出す。
 弓矢の形になる光の糸。
 右手でキリキリと引き絞り、狙いをマトルスに向ける。
「そのような脆弱な象(イメージ)で、ワシを滅ぼせると思うておるのか?」
「滅ぼす? 滅ぼすとか滅ぼされるとか、そういうワンパターンな思考しかできないのか? 膨大な情報の海の中にいながら、そんな発想しか浮かばないのか?」
 狙うとも無く、ただただ矢の無い弓を引き絞る。
「つくづく情けない!」
 吐き捨てる。
 闇の記憶が告げる事実によれば、二百華巡(一万二千年)断絶しているうちに、久遠の片割れは、歪んでしまったようだ。
 
「気づいていなかったようだから、教えてやろう。ワシがお前に会ったとき、既に竜王の『言上げ』は情報網に流れた後だった。世界はあるべき姿へと戻るのだ」

 歪みの突出した発現、光のアメーバに浮かぶ顔が告げた言葉は、絶望に値した。
 『言上げ』が成立してしまっては、全ては水泡に帰す。
 久遠の全体としての精神バランスは崩れ、全てが光に飲み込まれてしまう。

 ヒィッヒッヒッヒッ

 ひきつけのような笑いをするマトルス。
「もはや、貴様がここでどんな小細工をしようが、何の意味も無い」
 勝利者の余裕で、目の前のゴミ粒ほどの人間を見下す。

 フフン!

 それに対して、鴻介は絶望などをせず、それどころか鼻で笑い飛ばした。

「気づいていなかったようだから、教えてやろう。私がアンタに会った時、既にアンタは私の作り出した世界に囚われていた」

 先のマトルスの口調をマネる。
 甲高い声のマネをしたせいで、一部が裏声になり滑稽なことこの上ない。
 最上の侮辱である。
「この弓矢は『カギ』だ。張り詰めていた『糸』を一気に解き放ち、虚構の世界を私の手に収斂させる」
「何を言うておる? 情報世界をお前ごときが支配できるというのか? バカを言うな。既にこの世界は我が支配の下にある!」
 鴻介の台詞は、マトルスには狂気の沙汰に聞こえた。
「人の話を聞けジジイ! 私はこの世界を支配できるのではなく、この世界は元々私の支配下にあったと言っている!」
 マトルスは、自らの身体である巨大な情報ネットワークを駆使して、鴻介の言葉の意味を考えた。
「……まさか! そんな、そんなことが可能なのか!」
 誰かの言葉ではないが、数式とデータは真実しか告げない。
「そのまさか、さ!」




解(かい)!




 その言葉とともに、鴻介の手から放たれる見えざる矢。
 そして、収束する世界。
「X軸、Y軸、Z軸。面白いもので、世界は三方向の直線に時間軸を加えれば、情報として処理できてしまう。こんな風に」
 フレームだけの正六面体、面のないサイコロ。
 一つの光点が、八つの頂点の間を明滅しながら動く。
 それは、鴻介の掌の上にあった。
「象(イメージ)を介して情報を処理する場合、情報世界は限りなく現実世界に近づく。だが、それが単なる情報である以上、偽造は簡単なのさ。アンタが見ていた世界は、アンタが支配したと思っていた世界は、全てこの『誤差』の糸で作られた虚像だったわけだ。元々が情報世界は虚構だから、虚構の虚構ということになるかな?」
 鴻介は掌の小さなサイコロに向かって語りかけていた。
「気分はどうだい? 小さな世界の支配者様?」
 サイコロの中に、小さく光るアメーバがいた。
 マトルスであった。
「そんな、そんなバカな……」
 今時の三文小説の中の、瞬殺される悪役でも言わないような陳腐な台詞である。
「哀れな爺さんに、もっと驚いてもらうことがある」
 鴻介が、今までとは違う緊張した面持ちで言う。
「アンタの仕えていたお方は、アンタごと私を消去するつもりらしい」
「な!」
 鴻介は、虚構の世界で、虚構の世界を作った。
 と言うことは、鴻介の本体もまた虚構の世界にある。
 鴻介のいる部分を物理的に封鎖し、全てを削除しようというのだろう。
 象(イメージ)として視覚化すると、果ての見えない巨大な壁が次々と空から降ってくるように見える。
「アンタ幹部だったんだろ? 酷い上司をもったもんだなぁ」
 宙を飛び、壁をくぐり抜けていく鴻介は、同情するように言った。
「バカなバカなバカなバカナバカナバカナ!」
 マトルスは、小さなキューブの中で狂い始めていた。
「ワレハ支配者! ワレハ全テヲ見、全テヲ知ル、全知全能ノ神ダ!」
「現実逃避ってか、まあ、わかるけどさ」
 キューブの中の哀れな支配者は、正気を失ってしまったようだ。




 最後に降りて来た壁を突破し、鴻介は『現実』に戻ってきた。
 その手には、相変わらずキューブがある。




 そこは闇の中である。




「ご苦労であった、北条鴻介殿」
 不自然な程にしゃんと背筋を伸ばした、痩せこけた老人が目の前にいた。
「アルバイトは、コレで終了かい?」
 鴻介は、つまりこれで自分は死者に戻れるのかと聞いた。
「まだ、しばし」
 老人の言葉の間に、ヒューと空気の漏れるような呼吸音が混じる。
 肺を病んでいるのであろうか。
「まあ、娘のためにまだできることがあるなら、喜んで協力しよう。でも、貴方のようになるのは、ごめんだからね」
 『契約』の依頼主である老人に、臆することなく笑う鴻介。
 『契約』に上下関係はない。
 『契約』に応じた死者は、『真実』を知らされ、行動するか否かを問われる。
 だから、老人は鴻介を束縛しているのではない。
 鴻介が現世に存在するための手助けをしているだけである。
 鴻介は自分の意思で戦う。
 それは、アラエク=エミサルと戦い、闇に消えた榊匡也(さかききょうや)にしても同じことであった。
「その皮肉、前にも言われた」
 ヒューと聞こえたその呼吸音は、老人の自嘲の笑いであっただろうか。
















 久しぶりであるが、主人公、竜崎勇気の今を描写しよう。
 伝説の剣『轟刃(とどろくやいば)』に宿った伝説の勇者リュートの意識とともに、久遠を守る戦いに身を置く彼は今、リュートに身体の自由を渡し、東を目指して飛んでいた。
 飛ぶのが苦手なだけで、リュートに支配されているという意味ではない。
 むしろ身体の制御を任せっきりにしているのを良いことに、飛びながらに昼寝していたりする。
 雲の上は、太陽を遮るものが無く、暖かい日差しがポカポカとして眠気を誘う。
 だからと言って、風を切りながら眠れるほどの図太い神経は賞賛に値しよう。




 なぜ東なのか。




「なんとなく」
 勇気はそう言った。
 それに対してリュートが言った言葉は
「じゃ、そうするか」
 であった。
 第六感が研ぎ澄まされた二人には、それで十分であった。




 東に、よくないことが起きる。




 当事者すら知らない未来の事象を、勇気は感じていた。
 感じただけで、言葉に変換できないので誤解が多いのだが。
 そして、その『よくないこと』を自分たちが防げないであろうことも感じていた。
 だが、だからと言って何もしないでいるほど、彼らは達観していない。
 抗い難い運命に抗うからこその勇者なのだから。
















 もう一人、久遠の北西の小部屋で、一人の少女もまたそれを感じ取っていた。
 そして迫り来る嫌悪感に耐えきれずに叫んだ。
「ノア!」
 最小限のもの以外何もない部屋で、姉のように慕う女性の名前。
「どうしたの、エリス?」
 呼ばれた女性、ノア=ランゲルスは、優しい瞳でベッドのエリスを見つめていた。
 だが、エリスは既にエリスではなくなっていた。
 銀色の髪も、碧色の瞳も、漆黒に染まっていた。
「美弥様!?」
 守るべき少女が、仕えるべき女性に変わったことに、即座に反応できないノア。
 こんなに急激な変化は今までなかったことだった。
「ノア、兄達に知らせてください! まもなく春宮(とうぐう)が崩壊します!」
 『美弥』となったエリスは、血の気のない顔でまくし立てるように言うと、すぐさまエリスの精神の奥底に消えた。
「ごほっ、ごほごほっ!」
 銀色の髪、碧色の瞳の少女に戻ったエリスは、血を吐いた。
 『美弥』を受け入れる度、エリスの命は削られていく。
 だからこそ『美弥』は急ぐようにして、消えたのだろう。
「エリス!!」
 仕えるべき人の言葉を一瞬忘れて、ノアは強くエリスを抱きしめた。
「ごめん、ごめんなさい!」
 ノアは泣いていた。








 ぼんやりした頭で、エリス=ルートヴィアは、なぜノアが泣いているのか、なぜ自分に謝っているのか考えようとした。
 だが、疲労感とも睡魔ともとれない感覚にとらわれ、意識の闇の中に没したのだった。




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