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第17話「主人公其の弐、キレる」





 父の夢を見た。
 と、思う。
 そして、目覚めると紫のシノビ装束の少女がいた。
 少女、忍(しのぶ)は、私が目覚めるまでそばにいてくれたらしい。
 ベッドの上で上半身を起こし、椅子に座る忍と向き合った。
 いつもしている覆面をはずしている。
 ショートカットの緑の髪、くりくりとした碧の大きな瞳。
「なぜ私のために?」
 そう問うと、忍は迷わず答えた。
「我があるじ、勇気様の命に従ったまでだよ」
 男の子みたいな口調だった。
 私は複雑な気持ちだった。
 忍は、六竜子の一人だったはず。
 あの勇気に、いつの間にこんな従者ができたものか。
 そして、勇気の名を呼ぶ忍の声の抑揚が示す、彼女の感情。
 勇気が私を気遣ったという事実。
 理由は分からないが、とにかく頭に血が上った。
 怒りとは違う感情だが、それが何かは分からなかった。




 いや、それよりも。




「私は悪夢を見ていたのですね。とても心地の良い悪夢を」
 あまりに心地良かったがために、夢とは気がつかなかった。
 気がつきたくなかった。
 あまりに心地良かったがために、寝覚めは最悪だった。
 世界の正邪が、一晩で逆転してしまったのだ。
「麗子さん、気分はどう?」
 無邪気に微笑みながら、忍が言う。
 記憶は混乱しているが、欠落しているわけではない。
 私は先ほどまで、忍と全力で戦っていたはずだ。
 なぜ、そんな顔ができるのか。
 私には理解できない。
「ええ、だいぶ落ちつきました」
「そう、それは良かった」
 そしてまた、忍は微笑んだ。
 気づいたら私まで、微笑んでいた。
「それで、その……」
 そう、大事な事を忘れていた。
 忍が言った、あの言葉を確かめなければならない。
「ああ、北条凰斉様のことね?」
「そうっ! お爺様は本当に生きているの!」
 私の口が、勢い込んでしゃべる。
 あの時、彼女は言った。




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 変わらぬ笑顔で、忍は言った。
「本当だね。まず、間違いないよ」
「どうしてそれが分かるのです?」
「ボクの仕事は間諜だからね。いろいろな情報に接する機会が多いんだ」
「お爺様の居場所を知っているの!?」
「違う。でも、確かに生きているよ」
 ならば、お爺様の生存に関わる情報を知っているのか?
「それで、どういう情報を根拠に?」
 冷静になれ、私。
 また聞きの情報を鵜呑みするなど、智の朱雀のすることではない。
「『研究所』は『隠されて』いる。でも、この世界から完全に断絶したわけではない。つい最近、天龍殿を中心に時空が大きく歪んだことがあったんだけど、その時、ボクの同業者の幾人かが、気配を感じているんだ。かつての『研究所』の気配。そして、朱雀の気配」
「朱雀の気配、つまりそれは……」
「かく言うボクも感じたからね。あの気配は北条凰斉以外に有り得ないよ。もっとも、ボクのほかにその気配を感じられた同業者は、3人しかいないけどね」
 照れくさそうに、自分を自慢する忍。
 言葉遣いこそ男の子言葉だが、なんと可愛らしい少女であることか。
 むっ、この感情は……嫉妬?
 バカな。
 否。
 違う。
 断じて。
 間違い。
 思い過ごし。
 気のせい。
 有り得ない。
 だって、私が何を嫉妬するというのか?
 落ちつけ、私。

 一呼吸置いて、もう一度忍を見る。
 大きな碧の瞳がキラキラと輝いて、なにか小動物を思わせる。
 緑の前髪が、ちょっと眉にかかって、さらさらしている。
 やはり、可愛らしい。
 否定できない。




「あああああっ!」




 叫んだら、思いのほかすっきりした。
「どっ、どうしたのっ!」
 突然叫んだ私に、面食らうようにして忍は飛びすさった。
 その間合いの、素晴らしく適度なこと。
「だいたいのお話は分かりました。あとは私にできる最善をなすのみです」
 叫んだことなど無かったかのような、冷静な言葉と声を出した。
「そ、そっか」
 忍は、まだ恐る恐るという感じで、相槌を打ってくれた。
「じゃ、ボクは勇気様を追いかけなくちゃいけないから、コレで……」
「お待ちなさいっ!」
「はいぃっ!」
 私の鋭い声に、ビクッと反応する忍。
 猛獣に睨まれた小動物のようでもある。
 そうだ、私はこういう人間だった。
 私は、やっと自分を取り戻せたような気がした。
「目的地は同じです。ご一緒しましょう?」
 できるだけ穏やかな声を心掛けた。
 一喝の後の緩みは、心理的効果が高い。
「う、うん」
 だが、忍の一言が、私の精神的余裕をあっという間にへろへろにしてしまった。
「でも、勇気様のことは、ゼッタイ渡さないからねっ!」
 直後、私は貧血にも似た症状をもよおし、軽い目眩で崩れ落ちそうになった。
 病み上がりにこの娘と一緒というのは、判断ミスだったかもしれないわね。
















 遺跡である。
 不毛の砂漠のなかで、唯一の人工物である。
 きめの細かい、陶器のようなレンガで建てられた高度なものである。
 歴史からは抹殺されていたが、それは、天龍殿と同等の歴史を持った遺物であり、天竜殿と同等の規模を持った巨大な建造物であった。
 歴史にも名を残さなかった、古代の街である。
 ただ、太古から砂漠を渡ってきた種族は、それを「光の都」と呼ぶ。
 光の都。
 それはさながら、太古に死滅した巨大竜の石化した亡骸のようにも見えた。

 その地下深くである。
 光が満ち溢れ、影も闇もその存在を許されない空間。
 身の丈の倍はあろうかという、巨大な木の杖を持った老人が、佇んでいた。
 不思議な事に光の氾濫の中で、老人の姿は鮮明に見えた。
 巨大な球形の空洞の底で、老人は上を見上げていた。
 その目線の先、球形の空洞のちょうど中心部分に、光源があった。
 常人ならば、確実に失明する光量を、老人は直視していた。

「ウォルシプス、光の箱舟。レリーグ様、ついに見つけましたぞ!」

 声が震えていた。
 老人は、泣いているように見えた。
 かつての想い出と、これから来る栄光に思いをはせ、感極まっているのだった。
 涙は目からこぼれ落ち、深い皺を伝って頬を流れ、そして光の氾濫にきらめいて消えた。
 肩を振るわせ、身を屈して泣いていた。

 そして、涙は、大声の笑いに変わっていった。




「ははっははははははっははははははっはははっは」




 ひきつるような笑い。
 杖を取り落とし、己の腹を抱え、老人は狂ったように笑い続けた。

 洞窟に氾濫する光が、無色透明なエネルギーの流れが、変わることなく老人の周りを廻っていた。
 老人の狂態に、「それ」は、まるで無感動であった。
















 フレッド=ホワイトは、天竜殿を囲む数十枚の巨大な壁の一枚の上に立っていた。
 ボロのマントが、荒野を吹く砂嵐にばたばたと音を立てる。
 ヴァイオリン弾き、ロバートとの戦闘で力は一時減衰したが、すぐに戻った。
「次は、あの力を使われる前に殺す」
 槍をクルクルと回転させて、足元の壁に突きたてる。
「エリスを理不尽な運命に巻き込んだ全てを、殺す」
 彼は、教えらた。
 エリス=ルートヴィアが、どう言う出自の人間であるか。
「白虎の名門ルートヴィアの一人娘」
 なぜ孤児院にいたのか。
「政争に巻き込まれて、両親を失った」
 エリスをさらったのが、誰の差し金か。
「『研究所』と呼ばれる闇側の組織」
 今、エリスがどういう立場にあるか。
「六竜子が一人、楽竜子にして、闇の巫女の依代(よりしろ)」
 その結果、エリスはどうなるのか。
「たとえ世界が救えたとしても、エリスは死ぬ」
 確認するように、つぶやく。
 衰える事の無い、地獄の業火のような怒りが彼の中にある。
 凍りついた心の奥底からふつふつと湧きあがる。
 槍を向ける相手は、世界の救世主である。
 幼き日のエリスを思い出す。
 思い出の中のエリスは、いつも屈託無く笑っている。
 だが、再びであったエリスは、目に見えて痩せていた。
 その顔には、明かな死の影があった。
 エリスはそんなことを望まない、優しい娘だ。
 本来ならば、何不自由の無い暮しの中にいたはずの、幸せだったはずの娘だ。
 だからこそ、許せない。
 
 世界に宣戦布告するように、槍を引き抜いて掲げる。




「俺は、エリスを死なせるような、ふざけた世界を殺してやる!」
















蒼竜公領、導真。
東の都。

かつて俺が生まれ育った街。
かつて俺が守ったモノ。
文字通り全てを捨てて、守ろうとしたモノ。

たとえ偽りでも、平穏が訪れたはずだ。
悲劇は二度と起こらないはずだ。
そのために、俺は戦ったんだ。
そのために、俺は「死んだ」んだ。

なのに、

なんだこれは。
なんだこの巨大な穴は。
地獄へ続くような、この暗闇は。
街があったはずだろう。
ここに街があって、人が暮していたはずだろう。
生きていたはずだろう。
皆が、生きていたはずだろう。
笑って、泣いて、怒って、愛して、憎んで……そうやって生きていたはずだろう。

なのになんだ、

なんなんだこれは!

怒りがこみ上げてきた。
それは抑えようも無かった。
かつての「やつら」との戦いでも、これほどの怒りは感じなかった。
「やつら」は人間ではない。
だが、目の前の惨劇を起こしたのは、人間だ。
俺には想像もできない。
人間にこんなことができるものなのか。

人間が同じ人間をこうも簡単に殺せるものなのか。

雷は、生命を廻らせる木気。
雷を操る俺には、消し去られた生命の残滓が、見えていた。
淡い、儚い、今にも消えそうな光が残骸の間をさまよっていた。

惨劇をかろうじて免れた、生き残った街角で、呆然と空を見上げる人々と、目が合った。



目が死んでいた。

ここは精神世界だ。
あれでは長く持つまい。




街は、死んだ。




そう確信した俺の、精神のタガが外れた。




「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」



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