レフス=マークス率いる長老シャムド=エミサルの私兵団の舟は、高高度の上空、迫る竜崎勇気の目の前で、その外装甲を排除した。
鈍重な起動音と、金属が擦れ合う不快な高音の中で、蛹から羽化する虫のように、それは姿を現した。
滑落していく外装甲の中から現れた姿は、まるでハリネズミであった。
大小様々な砲塔が、びっしりと壁面を覆っていた。
それら一つ一つが独立して蠢き、一つの生物、巨大な雲丹を思わせた。
「撃ち方、始め」
きっちりした軍服に身を包み、青白い顔でディスプレイを見つめるレフス=マークスは、抑揚のない無個性な声で号令した。
「対能力者戦、開始します」
大小様々な砲塔が、一斉に蠢き出す。
ただの砲弾とは限らず、エネルギー収束砲、自動追尾ミサイルと、その種類も射程も破壊力も軌道も、実に多様性に富んでいる。
「ぬおっ!」
いきなり上空に現れた巨大ウニにびっくりしている所で、苦手な空中戦ということもあり、勇気はきりもみをするような、無理な回避を強いられた。
回避に気を取られ、揚力を維持できずに数十メートルを落下する。
一見無闇に砲撃しているようであるが、わざと逃げ場を作り、おびき寄せ、囲い込み、追い詰める。
計算され尽くした攻撃パターンであることを、勇気は思い知った。
一定の距離以上近づけば、かわしきれずに、集中砲火を受けることになる。
見えない砲火の壁があるのである。
頭に血が上ったリュートに任せなくてよかったと、勇気はくるくると空を飛びながら思った。
そして、落下していく外装甲の先に、人家がないことを確認してとりあえず安心した。
ひとまず距離を取る。距離を取れば、かわすのは簡単である。
「かといって、近づけないんじゃ、どうしようもないな」
勇気は、誰に言うでもなく、また事実の確認ですらない言葉を吐いた。
「道」は見えている。
だが、それすらも罠であるのが、手に取るようにわかる。
「道」の先は袋小路で、十字砲火を受けるのがオチである。
うねうねと蠢く不定形の舟は、その中心にいる人間は、それを待ち構えている。
「目標、有効射程圏外で静止しています」
レフスは、軍帽に手をやり整えたあとに、自分のあごをつかんで目を細めた。
次の手を考える冷静な棋士のようでもあり、獲物を追い詰める冷酷な狩人のようでもある。
「撃ち方止め」
「撃ち方止め!」
「さて、どう出るかね? 久遠の勇者よ」
しかして、勇気は、
「さて、どう出ようかね?」
迷っていた。
「迷うな若人よ!」
「げふぉおおっ」
迷っているところを、思いっきり頬を殴られた。
「け、拳聖様! 拳聖様です!」
それは、天竜殿陥落の時に行方不明になった西方の拳聖、アラエク・エミサルであった。
その拳は岩をも砕く豪拳。勇気は盛大に吹っ飛んで、しばらくして止まった。
「若人よ! お前の正義はどこにある!」
「いきなり殴っておいて問答かよ! んなもんココにあるに決まってるだろ」
そう言って、勇気は自分の胸を指差した。
「小僧、強いな」
「あんたもな」
二人はにやりと笑った。
「んじゃ、やるか!?」
「いや、やらん」
勇気は盛大にずっこけた。
「じゃあ、なにしに出てきたよ爺さん!」
「あの針山を落としたいのだろう?」
「んあ? そりゃそうだけど」
「手伝う」
「ほへ?」
「そう呆けた顔をするな。あの針山を落とすのを手伝うと言っている」
「信用しろと?」
「別に信用してくれなくても良い。ただ」
「ただ?」
「空に借りがあってな」
「なんだそりゃ」
「いや、こっちの話だ」
「拳聖様が、敵?」
浮き足立つオペレーターたち。
「ブリッジコアで離脱します」
レフス・マークスの判断は早かった。
「はっ?」
「攻撃は自動プログラムに任せ、我々は離脱します」
「でもそれでは……」
「私はこの艦の長であり、君はただのオペレータです。死にたいのですか?」
「はっ、申し訳ありませんでした!」
「ブリッジコア離脱準備に入れ」
「ブリッジコア離脱準備に入ります」
勇気は思っていた。
二人なら、とるべき「道」もあろうというものだ。
今は、今だけは信頼して良い男であると、勇気は感じていた。
なぐられた頬がまだジンジンしている。
「多少無茶をするが、ついて来れるな・」
「たぶん、大丈夫だ!」
「ずいぶん自信がないのだな。それだけの力がありながら」
「やったことないからね」
「では参ろうか」
「おうよ」
それは一方的なゲーム展開だった。
拳聖は西方において対物戦闘に特化した武術を確立した人物であったのだ。
その拳は、実弾をはじき、エネルギー収束砲を霧消させ、自動追尾ミサイルを握りつぶした。
対する勇気は、優秀な生徒であった。
アラエクに習い、実弾をはじき、エネルギー収束砲を霧消させ、自動追尾ミサイルを握りつぶし、きれずに振り回されたりした。
「うがー」
気合の入らない声を上げて、つかんだ細いミサイルを、飛来したもう一つのミサイルとぶつけて破壊する。
「見えた!」
「道」である。
「道」は、思ったよりまっすぐに相手の中枢を指し示した。
それは、巨体の老人、アラエクの手による「道」であった。
「喝!」
気合一閃。
「道」をまっすぐに突進する。
イガイガの舟の壁面に取り付く。
当然のことだが、自身に向ける砲台があるはずもなく。
自動追尾ミサイルも安全装置のせいで勇気にたどり着けない。
死角、という奴である。
そして
「ひゅう」
小さく息を吸い込んで。
思い切りグーで殴った。
それだけで、
巨大な方舟が傾いた。
「せい!」
続けて、二度三度と殴る。
亀裂が舟の壁面に走っていく。
やがて、
ゆっくりと、
その巨大な船体を降下させていった。
「うん? 人がいない?」
我らが主人公、そういうことには鋭いのである。
「普通脱出とかするよね? 舟の中に人の気配がないし」
「かっかっか、わしが来たので逃げおったな」
「おう、爺さんありがとうな」
「どういたしまし、」
「て!」
また、殴られた。
「ごぼぁ!」
相当痛い。
「戦いの中で情けをかけるとは余裕だな。いつか死ぬぞ?」
「痛い……」
「それにいきなり会った相手を信用しすぎだ。いつか死ぬぞ?」
「二度言いますか」
「言うとも。そもそもわしは元はお主の敵側の人間」
「敵側ねぇ」
「それに邪魔がいなくなった今は正真正銘お主の敵じゃよ」
「!」
即座に戦闘態勢を取る勇気。
「剣を取れ若人」
「今は、この拳が僕の剣だよ」
そう言って、ボクシングのような踊りのような、奇妙なポーズを取る勇気。
「わし相手に付け焼刃の拳法は効かぬぞ?」
「やってみるさ」
「ふはは、ならばやってみせろ!」
そして壮絶な殴り合いが始まった。
否、
壮絶な殴られようである。
老人の屈強な腕は千本もあるかのような手数で勇気を攻撃する
対する勇気は、腕を交差させ、身を縮めて防戦一方である。
「くのっ」
わずかばかりの隙を狙った拳も、空を切り、いなされ、受け止められ、有効打には程遠い。
「だから剣を取れと言った!」
突如として、アラエク老人は手を止めた。
「はあはあ」
返答するには、勇気には酸素が足りないようであった。
「仕方ない」
やっとのことで一息つくと、勇気は言った。
「来い! リュート・ブレイブハート!」
しーん。
「言ってみただけだ! ちょっと待ってて、取ってくるから!」
しばらく間があって、
「ふん、こいつがお前の言ってた『スゴクツヨイオジイサン』かよ」
「はあはあ」
最大限の礼儀としての全速力である。
酸素が、酸素が足りない。
「それで『スゴクツヨイオジイサン』、俺になんの用だ!」
酸素欠乏により言語発声能力が著しく低下している勇気をいいことに、不機嫌なリュートはさらに不機嫌そうにそう言った。
「ふむ、古の勇者よ。わしは強い奴を見るとな、」
「見ると?」
「戦わずにはいられぬのだ。そういう性質なのでな」
「ふん、俺と戦いたいと、そういうのだな」
「否」
「なに?」
「古の勇者よ、非礼を先に詫びる」
「なんのことだ」
「そこな小僧は、お主より強いぞ?」
「なんだと!」
「それよ」
「どれだよ!」
「その気性の荒さよ。心が定まっておらぬ」
「!?」
「それゆえ、先ほど小僧はお主を持たずに戦い、そして勝った」
「別にそういうつもりじゃなかったんだけど」
酸素補充終了。
「なんていうか、あのままリュートに任せたらいけないと思ってね」
「ジジイ! 俺におとなしく持たれてろって言うのか!」
「あのーもしもーし?」
「応! お主はこれよりの勝負を心静かに見ておれ!」
「僕の意思はどこにー」
「ふん、そこまで言うなら見てやるよ! おい勇気! このふざけた爺さん相手に俺が出るまでもない。勝手にやれ」
「うーん、仕方ない。勝手にやらせてもらうよ」
「しからば、再度!」
「おう!」
「ふん」
アラエク・エミサルの使う光竜闘法は拳にて最強。剣を相手にする術もまた極められている。
刃の側面を叩き、いなし、かわす。
そして、無限とも思える手数で、圧倒する。
勇気に見える「道」が明滅する。
隙がないのではない。隙は常にあって、それでいて常にはあらず。
変幻自在の構えの中に隙が消え入っていく。
対する勇気も自由自在変幻自在の剣。
アラエクが看破したように、人を殺すまいとする優しさ、甘さを持っているが、それを踏まえたうえで、さらに一段階上の強さ。
二人は、ダンスを踊る男女のように、ひらひらと、くるくると、はらはらと、打ち合っては離れ打ち合っては離れ。
その円舞は終わることなく、無限に夢幻に。
だが終わりは唐突に。
拳を突き出したアラエクの心臓に、勇気の剣が突き刺さった。
かに見えた。
皮膚一枚を切り裂いて、剣はピタリと静止した。
「『スゴクツヨイオジイサン』そこまでのようだな。まあ俺ならもっと早く決着がついていただろうがな」
リュートが減らず口を叩いた。
「かっかっか」
老人は、一向に気にせず、呵呵大笑した。
「ふぃー疲れたびー」
勝利した我らが主人公は、どこぞの死語を口にした。