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第2話「風流人、なごむ」





 唯一有望な仲裁者であった朱雀公凰斉の謎の失踪により、戦争は避け難いものになっていた。
 両陣営は、事件を相手の仕業だと思い、疑心暗鬼になっていた。全て仕組まれているかのごとく、戦争は迫っていた。

 到って順調に。

 朝の透き通った光の中を、ゆるゆるとした風が吹き抜けた。聖なる首都光建の最深部、王の間。焔斬と勇気が作った巨大な風穴は、そのままになっていた。久遠の平穏を守る最強の要塞の防壁には、大きな穴が開いたままなのである。
 とある風流人が、そうさせたのだ。
 最後の戦いの後、影はその姿を消していた。最後に現れた最大級の影が、世界に漂う全ての悪意を吸収してしまった結果とされている。最大にして最後の影の消滅と共に、悪意は消え去ってしまった。人々の悪意が消えたわけではないので、いずれ再発生するだろうとは言われているが、それとて、数百年を要する。
 そんな訳で、聖地の結界は、必要性を失ったのだ。




「美味い」




 その風流人が言った。外へとつづく大きな風の通り道を、ぼんやりと見つめている。雲が、ゆるりと流れていた。
 石造りの床に敷いたござに正座で座り、実に美味そうに茶を飲んでいる。
 第567代竜帝、星雨真羅(せいう・しんら)であった。紺のちゃんちゃんこが何ともジジくさい。
 王座も、崩れたままになっていた。よって、彼は王座に座ったことが無い。これは、趣味ではなく多分に政治的な意味があった。




「美味い」




 甘い香り立つカステイラをかじりながら、また幸せそうに言う。
 星雨真羅、通称シンには、『力』が無い。その代わりに、滅法政治に強かった。莫大な影の発生によって破壊された久遠を立ち直すのに、彼以外の適任者はいなかった。
(そうは思わない人間もいたが)
 謁見と結界のために広く作られた王の間には、彼の蔵書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。呪術的な効果など、シンには関係がないのである。




「ああ、なんと幸せなんだろうか?」




 ござの上にはシンの他に、急須と茶菓子と、うずたかく積まれた書類があった。経済、流通、社会福祉、警察、軍備、あらゆる分野の計画書、予算案。全て処理済であった。
 着位から、徹夜で全てを片付けた。十数人のスタッフと始めた作業も、最後までもったのはシンだけだった。今日の午後にでも、書類を元に全てが動き出す。完全に元通りになるには、まだかかるだろうが、少なくとも、活気は戻るだろう。




「これで、あいつさえいなければ……」




 もし叶うなら、最上の幸せを得ることができると、シンは本気で信じていた。が、望むべくもないことであった。『あいつ』とシンの腐れ縁は、幼い頃から切れたことがなかった。




「おおい、シン! 聞いてくれ! ついに……」








 その直後、爆弾テロ騒ぎが起こったのは言うまでも無い。
















「どうする?」
 セイこと新谷清明が、思いっきり真面目に聞いた。
「とりあえず、可能な限り引き伸ばします」
 包帯でぐるぐるのシンが、到って真面目に答えた。
「準備の時間稼ぎか?」
 セイが、眼鏡を光らせながら聞いた。
「それだけではありません。傷はまだ癒えていない。ここで戦になれば、久遠は立ち直れません」
 ギブスで固定された首のシンが、険しい表情で言った。
「どの道、総力戦になる。無駄な努力なんじゃないのか?」
 眼鏡の位置を直しながら、セイが言った。
「戦の結果がどうであれ、最悪でも久遠が持ちこたえられるようにプログラムを組みました。そのプログラムが走り出すまでの時間です」
 苦しそうにため息をつきながら、シンが言った。
「俺達が負けたら、それどころじゃないだろうに」
 天井を見つめながら、セイが言った。
「例の老人の話をセイは信じると? 私は未だに信じられない」
 苦笑しながら、シンは言った。
「お前は『力』が無いからな。もっとも、老師によれば『封印』されてるって事になるが。あの時の光竜の圧迫感を感じてないから、そんなことが言えるんだ」
 シンの方に向き直りながら、セイは言った。
「私は『力』が無いことに感謝していますよ。おかげで見えてくるものがある。光だの闇だのには興味はありません」
 笑いながら、シンが言った。
「それでこそ、わが友だ。あっちのことは俺に任せとけ。お前はお前の好きにすればいい」
 セイも、大声で笑った。








「ところで、セイ」
「なんだ?」




「約束のくず餅」




「……ああ」
















 戦は確実に迫っていた。白虎公領と天領の境界に白虎の誇る飛虎衆が配備され、後は、宣戦布告を待つばかりであった。
 対する竜帝側は、蒼竜公の直属部隊である蒼月衆を光建周辺に配置し、張り詰めた表情の戦士達が、待ち構えていた。








 そんな中、玄武と朱雀は静観を決め込んでいた。




 武の神とまで言われる玄武公。その直轄である武神衆は、歴代の竜帝を守る近衛兵としての役目を負っている。
 しかし、第567代竜帝、星雨真羅に対して武神衆の動員は未だされていなかった。失踪した朱雀公北条凰斉の働きかけによるものだ。








「朱雀殿、そのような前例はござらんぞ!」
 白虎公ミトラ欠席のまま行われた即位の祭儀の後、極秘裏に四神公の会談が持たれた。その中、アインス=ウォルフ老人は鼻息を荒くしていた。
「前例がないというならば、私の即位そのものが前例の無いことです」
 ミトラを除く四神公が、誰もいないだだっ広い食堂で話し合っていた。
「朱雀殿が言われたように、それについては明確な理があるわけではござらん。しかし、武神衆が近衛の任につくのは、政の中枢たる光建と竜帝閣下を守る為!」
 玄武公アインスは、明かにうろたえていた。朱雀公凰斉の提案は、武神衆の、ひいては玄武の誇りに関わることであったのだ。
「そこじゃ、玄武殿。近衛は何から竜帝閣下をお守りするのか?」
「それは、この久遠に発する有象無象の影から……、」
 そこまで言って、アインスにもやっと分かった。
「影は、もうしばらくの間は、発生しないのでござったな」
 老武人の顔は、それでも、納得がいった風では無かった。
「私からもお願いします。近衛の件も含めて、全て先生にお任せ願いませんか?」
 今や、久遠の頂点に立ったシンは、相変わらずやわらかな物腰であった。
「白虎との戦は何としても避けねばならぬ。白虎の小僧を潰すことは容易いが、それでは久遠が立ち行かなくなる。四神公同士の戦は、破滅的じゃ。民を安心させる為には、竜帝が不在ではいかん。しかし、白虎の小僧を含めた貴族連中をも、ある程度納得させねばならん。お主には、表面上星雨を認めていないという態度でいて欲しいのじゃ」
 筋の通った理屈であった。しかし、アインスは得心がいかなかった。
「一時しのぎにしかならないのではござらんか?」
 その言葉は、本心からではない。
「無論、時間稼ぎにしかならないじゃろう。その間にわしが直接ミトラと話をつける」
 智の朱雀に、抜かりがあるはずはないのだ。
「すみません。私からもお願いします」
「……竜帝閣下の願いとあれば、致し方ありませぬ」
 深深と礼をするアインスは、どっと老け込んだかのようであった。
「それともう一つ、これは私からのお願いなのですが……」
















「ただ今、竜帝閣下からの使者が参りました」
 城塞の窓から、遥か西方を眺めていたアインスの元に、兵が駆けてきた。
「ふむ。若造めが、何を言ってきたのだ」




―――私を、竜帝とは呼ばないで下さい。




 己の主君を蔑むような言説をしなくてはならない。それはアインスにとって、屈辱的ですらあった。




―――承知しました。




 ただ、それだけ答えた。
 以後、アインスはシンを『若造』と呼んでいる。




 書面には、ただ一言。
「今のままで、お願いします」
 朱雀公凰斉が失踪し、戦は避けられぬものとなったのに、武神衆の動員は頑なに拒否されたことになる。
 窓の外、秋の太陽は大気を温めず、秋の風は冷たい。
 アインスは、血が滲むほどに拳を握り締めた。
















 相変わらず学生服の竜崎勇気と、相変わらず竹刀の形をしたリュート=ブレイブハートである。
 玄武の渓谷で、なぜか戦闘中であった。
「ほんとに知り合い?」
「おう! でも、俺が一方的にそう思ってたって事も有り得る」
「おいおい」
 影である。どう見ても、影である。まかり間違っても、黒い式神か。
 三体の影(らしきもの)が、先刻から勇気達を取り囲み、襲いかかってきているのだ。渓谷の狭い足場はいかにも不利であり、空中戦を余儀なくされている。
 ご存知の通り、基本的に勇気は空中戦が苦手である。方向転換できるとは分かっていても、壁を蹴ると一直線に飛んでしまう。一種のバカである。
「強いなぁ。ただの雑魚じゃない」
「だったら、強い雑魚だ!」
 ……馬鹿でかいのが一体、素早いのが一体、エネルギー弾を撃ってくるのが一体。一対一ならば問題はない程度なのだが、三体のコンビネーションが、絶妙なのである。
 でかいのと素早いのが、主に接近戦を展開し、隙を見て遠距離攻撃が飛んでしてくる。
「ふごっ!」
 射撃に気を取られて、でかい腕に叩き落された。
「油断大敵だっ!」
 立ち直る。一応、久遠最強の男である。岩壁を蹴って、でかいのの懐にもぐり込む。遠距離攻撃の射程から視覚に隠れ、素早い攻撃も追いつかない。
「人間じゃなきゃ、遠慮はいらねぇだろ!」
 勇気の振り上げる動作に合わせて、リュートが両刃の剣に変化する。刃に蒼い雷光が宿った。
「うりゃあっ!」
 真っ二つである。でかい影(らしきもの)は霧消した。
「さて、これで二対二だ!」
 勇気が、渓谷に響くように宣言した。
 その時である。




パン




 乾いた拍手の音が響いた。
「珍しい客人じゃな」
 残った二つの影(らしきもの)が、拍手の主の元へと集う。影(らしきもの)は、その人物の影に、吸い込まれるように消えた。
 勇気は、手に持った剣から覇気が消えるのを感じた。
「手厚い歓迎ありがとよ」
 皮肉っぽいリュートの言葉を受けたのは、不自然な程に姿勢を正した、やせた老人であった。顔が青白く、呼吸の度にヒューヒューと音が鳴る。肺を病んでいるようであった。
「お久しぶりですじゃ。リュート様」
 勇気は、老人の目の前に降り立った。人を寄せ付けぬ切り立った岩壁に空いた洞窟の前に、老人は立っていた。
「随分ジジイになったもんだな、臥禅(がぜん)」
「あれから、二百華巡経ち申した。変わらぬ貴方の方がおかしいのですわい」
 老人は、微かに笑ったようだった。ヒューと、空気がもれるような音がした。
「口調までジジくさいぞ」
 二人の会話をよそに、勇気は息が上がっていた。苦戦というほど大変でなかったが、疲れるものは疲れる。
「何の用で参られたのですか?」
 呼吸を整えて、老人に目をやった勇気は驚いた。そこにいたのは、闇の者の一人であった、あの時の老人だったのだ。
「他人行儀なのは無しだ」
 しかも、リュートと旧知の仲らしい。








「復活するはずの無い俺が復活しちまった。一体どうなってんのか、俺に分かるように説明しろ」








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