仕事上、いつ殺されても不思議のない日々だったから、自然と眠りは浅くなった。
駆け出しの頃は、天井を走る鼠や、自分の寝返りできしむベッドにさえ、過剰反応した。
だが、『あれ』以来、更に眠れなくなった。正体不明の殺気を感じるのだ。人の気配がないのに、総毛立つような殺気が、俺を襲う。
それに、無理に眠ったとしても、いつも同じ夢を見て、すぐに醒めてしまう。
―――夢の中で、微笑むエリスが笑っている。
温かな感覚が、俺を包みこんでいく。
俺は、手を伸ばす。
もう少しで、手が届こうとするとき。
突然、エリスの顔が凍りつく。
頭をかかえて苦しみ、白銀の髪が漆黒に染まっていく。
変化していく髪を左右に振り乱して、涙を流している。
手を伸ばしたまま、俺の身体は動けない。
苦しむエリスを見ても、何の感情もない自分に気づく。
そう、こんな場面を幾度も見てきたのだ。
伸ばした俺の手に、いつの間に槍が、俺の槍があった。
槍の先は、エリスの胸を貫いていた。
俺はようやく理解する。
殺したのだ。
俺が。
叫んだ。
今までの状態が嘘のように、身体が動いた。
槍を抜き捨てて、駆け寄り、エリスの華奢な身体を、抱きしめた。
声の限りに泣く。
その俺の耳に、何かが聞こえた。
・・・せ・・・・の・・・
死んだはずのエリスの口から、微かな囁きがもれていた。
俺は、驚いてエリスの両肩をつかみ、エリスの亡骸に向き直る。
エリスの両目が、漆黒を宿したその瞳が、俺を見つめていた。
それは、もはやエリスではなかった。
す・・・
すみません・・・
すみません。貴方の・・・
すみません。貴方の妹は・・・
「すみません。貴方の妹は死にました」
エリスだったものの口から、あの女の声が聞こえ、
そして目が醒める。
今朝も同じ夢を見た。
決まって、全身に信じられない程の汗をかいている。
今日は、新しい依頼人と会う約束になっていた。着替えの必要はない。壁にかけたマントを剥ぎ取るようにして、朝闇の中に出かけた。
待ち合わせの公園のベンチには、朝闇に沈むように男が座っていた。
俺が軽く合図をすると、男は立ち上がりながら軽く会釈をし、唐突に俺に何かを差し出した。
「この男に見覚えはないですか?」
それは、似顔絵だった。そして、見たことがある顔だった。
『ロバート卿』
思い出したくも無い、そして、『思い出すべき記憶』すら無い不可思議な仕事で、知り合った男だ。
「知らん」
面倒事は、避けたかった。
「この絵を見た直後、貴方の目は左上に動いた。知っているのですね?」
読心術。
唐突な動作で、虚をつかれた。
寝不足のせいだ。
そんな初歩の読心術に引っかかるとは、我ながら情けない。
「この仕事は断る」
俺は慎重に、顔の表情も、身体の表情も消し、全ての感情とその出口を封じた。もっとも、言葉は、嘘偽りない俺の本意だったが。
そして、男の次の言葉に備えた。何があろうと、決して動じないように。
「エリスという名に聞き覚えは?」
があんと、頭を殴られた思いがした。
……気がつくと、俺の手は男の胸倉を掴んでいた。
「貴様、何を知っている!?」
男は、青い顔をしながら、息絶え絶えに言った。
「恐らくは、貴方の知りたいことの、全てです」
「白虎と、同盟を組みます」
彼らの顔から、生気が抜けていく様子が、手に取るように分かった。
「それでは、筋が通りません。なにより、犠牲が多過ぎます」
予想通りの反応に安心し、同時に少し落胆した。
落胆?
何を期待していたというのだ? 祖父が定めた法則の通りに動く歯車どもに。
「構いません」
彼らの口から騒音吐き出された。一層慌てふためき、意味をなさない単語の羅列を発しつつ、それでも、私を説得しようとしているらしかった。
非常に耳障りだ。
「朱雀の最高決定権は、朱雀公代理である私にあります。何人も逆らうことは許しません」
途端に彼らは黙った。
そうだ。歯車は、ただ盲目的に従っていれば良い。
全ては私が判断し、私が決める。
もう、誰かに振りまわされるのは沢山だ。
おう、俺だ、リュートだ。
俺とボケナスは今、上空から戦場を眺めている。
いつの間にか、こう言う高度な技術は、俺の担当になっている。キャリアが違うから、当然と言えば当然だ。時間さえあれば、このボケナスに、一から叩き込んでやるんだが。今は、その時間がない。
俺が亜空間に入ってから二百華巡、緑豊かな台地であったはずの天領は、見る影もなく荒れ果てた荒野になっていた。仕方ないこととはいえ、辛いもんがある。
「大人しく、帰ってくれるみたいだ」
相変わらず、こいつの口調は子どもだか大人だか分からん。
眼下には、鉄の傀儡(くぐつ)が蟻の行列みたいに見える。行列は、西に向かって後退して行く。かなり引きつけてからの一発だったから、先頭の方の鉄人形は、そのまま放置するしかないわけだ。
「冷静だね。多分、ミトラさんが指揮してるわけじゃないんだよ」
相変わらず、こいつの指摘は的を得ている、ように聞こえる。
俺たちは、暴発する白虎の兵を、殺さず撤退させるため、ここにいた。未知の兵器に行き当たって、混乱したり、面子にこだわって、暴走したりするバカがいると、話が余計にややこしくなる。―――今でも十分ややこしいが。
殿(しんがり)を務めている数人が、恐らく指揮官クラスだ。その中でも、際立った『力』を発している男がいた。
「あれが指揮官だ」
わーっとるわい。お前が見てるもんは、俺も見えるんだ。
装束のかぶり物からのぞく、短く切りそろえられた髪に、白いものが混じっている。その髪と、顔に刻まれた年輪が、いかにも初老の紳士といった風だが、実際は、中年をわずかに過ぎた頃だろう。何か、大きな物を背負っているように見える。だが、その表情は到って穏やかだ。
男の『力』は、何故か俺にある女性を思い出させた。楽天家のムードメーカーだったあいつだ。臥禅の話を信じるなら、あいつも転生していることになるが、ボケナスは、該当するような人間を覚えていなかった。「僕は、人の顔とか名前とか、あんまり覚えられない方」なんだそうだ。
「あんな人がいるんなら、白虎はまだ大丈夫だ」
こいつの話は、どこまでが本気で、どこまでが適当なのか・・・
まあ、同感だ。あの男がいるなら、白虎の暴走は当分ないだろう。
「あっ、あっち」
あっちって、どっちだよ・・・、ああ、あっちか。
緊急事態だ。つまり、俺たちの出番。
急降下する。
これも俺の担当。ボケナスに任せとくと、地面にもろ衝突しかねない。
でだ、急降下する俺たちの目標は、今まさに飛び出した青い鉄人形。
「機兵って言うんだよ」
はいはい。
「はい、は一回」
はい・・・ってお前、んなこたぁどうだっていいじゃないか!
「あっ、前」
だいたい、俺に面倒な術を任せといて、横からごちゃごちゃ口出すなっての。気が散って危ないじゃないか。
「危ない」
そうだ、危ないんだ。分かれば宜しい。
「いや、だから今、危ないって」
今? げっ、ぶつかるっ!
ドガ〜ン
自他ともに認める風流人、否、風変わりな変人。第567代竜帝、星雨真羅(通称シン)。
彼は、天竜殿のバルコニーにいた。
説明せねばなるまい。
天領の遺跡、天竜殿。位置的には、首都・光建と、白虎の都・弥陀の中間点。太古からそこにある、作成者不明の巨大な建造物。円柱状の言うなれば高層ビルである。高層ビルといっても、珠離などにあるものとは規模が違う。最上階は地上から見えない、雲の上なのだ。
ただ、祭壇などの様式から、『創世の竜』を崇める神殿であったことは、確からしい。
(『創世の竜』については、またの機会に説明することにしよう。)
その常識はずれの頑健さから、要塞としての機能も指摘されている。
でだ。
シンは、今回の迎撃作戦の本陣に、この古いが頑丈な建物を選んだわけである。
例によって、お茶と和菓子を用意して、座布団に正座している。
バルコニーに。
「イチゴ大福。ああ、このミスマッチな出会い!」
・・・でだ。
その天龍殿を囲むように、蒼月衆(蒼竜公直属の機兵団)が配されていたのだが、
「おいっシン! 第十五部隊が勝手な単独行動を!」
幼馴染の『まっど科学者』、セイが飛び込んできた。
バルコニーに。
「おおっ! 落ちるぞ! バルコニーの手すりを越えて、かなりの高さからっ!」
説明的な台詞を言いながら、セイはなんとかその場に踏ん張った。
「騒がしいですね?」
「ああっ、そうだ! あいつら暴走しやがったぞ!」
『あいつら』とは、正義感の塊のような若者達のことである。
第十五部隊、異端児の集まりである。
愛と正義と友情を重んじ、気合と根性でどんな困難にも挑んでいく。
愛すべきバカどもである。
そのバカどもが、暴走した。
「何故止めなかったのです?」
最近のシンの指は、気がつくとセイの首を締めるようになっている。
「地上での最高速を誇る、我が最高傑作、摩劫羅(まごら)には、さすがに私でも追いつけないっ!」
セイも、最近では絞められ慣れている。首を絞められている人間が出せるはずのない、朗々たる声である。
「なにげに、自慢しないで下さい。だるまさんが転んだ君を使えばいいでしょうが」
「ああっ! 我が最高傑作の摩劫羅には、対『だるころ』用の装備がしてある。そんな小細工は無駄だ!」
「だから、なにげに威張るなと言っているでしょうが!」
「こんなこともあろうかと!」
「早くしないと、貴方死にますよ」
「遠隔自爆装置が、ついているのだ!」
「・・・」
「ん、どうした? あまりの準備の良さに声もないか?」
「いっぺん死になさいぃぃぃ!」
「ぎゃあぁぁぁあっ!!」
すべては、その出会いが教えてくれた。
その人物は、天の啓示のように現れた。
「学生時代、あなたのお爺様に師事していました。エリナ=イスラークと申します」
物腰のやわらかな、女性だった。今は、西方のガイロニアと言う国で官吏を務めているという。エリナと名乗るその女性は、私の祖父との思い出を、表情豊かに、それでいて非常に簡潔に語った。
完璧だった。
今まで、これほど私を満足させたものはいない(もちろん、祖父を除いてだが)。
常に穏やかな表情、嫌味にならない程度の適度な上品さを持つ服装、相手の反応を待つ絶妙の間、知的センスに富んだ会話術。
すべてが、理想的だった。
奥二重の物静かな両目が、控えめに、しかし真剣に私を見つめて、言った。
「私は、先生の失踪の真実が知りたいのです」
彼女は、天がつかわした使者だ。
そう思った。
一点の曇りのない、涼やかな目だった。彼女と話していくうちに、彼女の目を見ていくうちに、思いは確信へと変わっていた。私は祖父以外で初めて、信頼できる人間を得たのだ。
彼女を導き手とすれば、もう誰にも振りまわされることなどない。
「先生の孫娘である、貴方のご協力がいただけないでしょうか?」
答えは決まっていた。