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第8話「竜王、東征す」





榊匡也の駆る、漆黒の迦楼羅が巨大な銃をその両手に抱えるのと、蒼月衆第十五部隊の摩劫羅があまりの重量にオーバーヒートして、白煙を上げながら機能停止するのは、ほとんど同じことであった。




榊の迦楼羅は、投げ上げられた巨大な銃を、下方から斜め上方に向けてかっさらうように掴んだ。
投げ上げられた力に、少しずつ修正をかけることで、機体への負担を軽減するためだ。逆に言えば、少しでも減速したり、無理な角度で旋回したら、腕が欠損するか、墜落するということだ。
蒼月の愛すべきバカたちから見れば、閃光のように空を横切った黒き鳥は、そのまま竜角の巨人に接近し、その周囲を大きく旋回した。

「天雀の榊匡也、義によって相手になる」

巨人の中の屈強なる老人は、目を細めて新たな敵をうかがった。
素早さは、先程の鉄の蛇(蒼月衆の摩劫羅のこと)よりも劣るが、空を自在に飛ぶその技術、自由で猛き魂。
容易ならざる敵であることは、明かである。

「アラエク=エミサル、光の正義に逆らう者は、何者であれ、この拳に懸けて打ち砕くのみ!」

黄金の巨人は、重心を落とし、両手を前にかざし、半身になった。今、初めて武道の構えをなしたのである。
勝負は一撃であると、武人アラエクは見抜いていた。

旋回する漆黒の鳥が、黄金の巨人に向けて進路を取った時、
自由なる空の人と、誇り高き武人の時が、




止まった。




考えれば分かることである。
自分の体長より長い銃砲を引きずりながら撃つには、しかも、できるだけ接近して撃つには、相手のすぐ近くを通りぬけ、振り向きざまに撃つ必要がある。

「なめられたものよ。このアラエク=エミサルの拳から逃れられると思うてか?」




時が、ゆっくりと流れ始める。




黒き鳥の速度は落ちるどころか、さらに増す。
巨人の腰がさらに落ち、握り締められた拳が、光をまとった。

「己の無謀を思い知れ!」

巨人の神々しい光の拳は、黒き鳥を、




砕いた。




閃光が、轟炎が、爆煙が、あたりを包んだ。

「我は、正義!」
















「頼んでもいない正義は、お断りだ!」

榊匡也の声であった。

炎と煙の中をつっきり、巨大な砲身が、巨人の頭部の横を通り過ぎた。
その上に、榊は立っていた。

「空は自由だ。好き勝手に消させるわけにはいかない!」

榊の力は、機械との『同化』。
始めは、飛行機だけであったが、簡単な作りの器械なら動かせるようになっていた。
簡単な作りの器械。

引き金を引くことで、撃鉄を打ち出し、火薬に引火させ、その爆発力で弾丸を撃ち出す銃という名の、簡単な器械。

あまりに巨大な、その砲身が、竜角の巨人の頭部を捕らえていた。




そして、また、時が止まった。




黄金の巨人WIL(ウィル)は、様々な点で、機兵とは異なる。
第一に、装甲が鉱物でできていない。
第二に、動力源に搭乗者の力だけを使っている。
第三に、操縦のためのインターフェースが存在しない。
光の力により生み出された、巨大な生物。
搭乗者は、榊と同じく同化する。
いうなれば、WILに『同化』が備わっているとも言える。

ゆえに、WILへのダメージは、搭乗者へのダメージと同義である。

巨人の顔半分が、吹き飛んだ。

「バカな! 我が正義が、破れる!」

アラエクの左目が潰れていた。しかし、老人の屈強な身体と、あまりに大きな精神的打撃は、その痛みを凌駕していた。

「あの男にも正義が、あるというのか? 命を賭して守るだけの正義が?」

巨人の体内からよろよろと出て来たアラエクは、右目だけで榊を探した。
黄金の鎧を着た、屈強な老人であった。
射撃の反動で、巨大な銃は吹き飛ばされ、轟音とともに大地に叩きつけられた。
振り落とされたのであろう、榊はさらに遠くに倒れていた。

「汝、榊と言ったか! 汝の正義とはなんだ!」

巨人は片膝をついて、その動きを停止していた。破壊された左の顔から肩にかけて、血のような赤い液体が流れ落ちた。
それは、老人も同じ事であった。
アラエクは、激痛を無視し、榊に歩み寄った。

「俺は、正義のために戦ったんじゃねぇ」

アラエクの、残った右目が大きく見開かれる。

「正義でなくば、何のために命を賭けられるというのだ!?」

アラエクは、榊の胸倉をつかんで、詰問する。

「空は自由だ。正義なんてもんに興味はねぇ」

叩きつけられた時に折れたのであろう、榊は右腕をかばうようにしている。

「ただ、自由にありたいと思っただけだ」

自分の正義が破れたことに、痛みも忘れていたアラエクに、怒り以外の感情が生まれた。
自由。
光の秩序の下に、正義を追及してきたアラエクには、理解しがたい概念。
しかし、正義のために戦ったアラエクが、自由のために戦ったという榊に破れたのは、厳然たる事実だった。

「ただ、自分の魂に正直に……」

アラエクは、己の手の中の物が消えていくのを感じた。

「……時間切れかよ」

榊の身体が、闇にとけていた。

「お主の正義は、自由を守ることであったのか!? 答えよ!」

相手が死人であることは、自明であった。が、今のアラエクにはどうでも良いことであった。

「言っただろ、正義なんて大層なもんに興味はねぇ」

そう言うと、フッと息を吐き出して、榊は闇に消えた。

「神竜の正義に勝る正義、自由とはなんだ!」

榊を飲み込んだ闇に向かって、なおもアラエクは吠えた。

「空は自由だ」

それが、消え去った闇の向こうから聞こえた答えであった。

「空だと……」

アラエクは、上を見上げた。
何の変哲もない青い空が、あった。

鳥が飛んでいた。

雲が流れていた。

どこまでも、どこまでも広がっていた。

どのくらいの時間が過ぎたであろうか?

アラエクは、それを単純に美しいと感じている自分がいることに、気づいた。

光も正義も関係なく、単純に美しいと感じていた。

「これか! この偉大なものが、あの男を動かしていたのか!」

悟りにも似た心境だった。

「なんと、我の小さき事か!」

アラエクは、鎧を脱いだ。
心に、自由があった。

戦場で、アラエクは大の字になって横たわった。
身体の力が、抜けた。

途端に激痛が襲った。
アラエクは、激痛の中に、自由を理解した。

「空は自由。そして、我もまた自由」

憮然とそう言ったアラエクの顔が、こわばった。

青い空の一部が、紫に変色していた。
空が、歪んでいた。

現れたのは、鉄の大船団。

空を飛んでいた。

「天岩舟(あまのいわふね)が!」

ガイロニアが、というよりとある財団が作り出した最新鋭の兵器『天岩舟』。
光の力により、自己の観測位置を規定する十二の係数を操作することで、結果として、超長距離の空間圧縮移動に似た効果を得る『時空の門』を搭載した空中戦用戦艦型兵器。
とまあ、ごたごた色々解説はできるが、要は、ワープもできる空中戦艦である。
その存在は、『約束の時、約束の地』での最終決戦に向けて秘中の秘とされてきた。そして、武(フォルテ)たるアラエクにさえ、知らされていなかった。
船体に刻まれたガイロニアの紋章が、全てをアラエクに教えていた。

武のエミサル、アラエクの使命は、その拳をもって光の正義を久遠に知らしめ、闇の者の存在を知らぬ久遠の民の目を覚まさせること。そして、偽りの竜帝を降伏させること。
のはずであった。

天岩舟の船団は、その砲門を天龍殿に向けた。




これでは、アラエクの戦いは始めから意味がなかったことになる。
これでは、アラエクの拳は、なんら信じられていなかったことになる。
これでは、アラエクの最も嫌う奇襲であり、彼はその片棒をかついだことになる。



無差別な砲撃が始まり、もともと強固であった天龍殿外壁が削られていく。




これでは、アラエクの信じた正義は、崩壊してしまう。




だが、今の彼にはそれらはどうでもいいことだった。

「これでは! あの男の誇りは、魂はどうなる!」

アラエクに自由という概念を教えた偉大なる空が、榊が愛した空が、悲鳴を上げているように見えた。
自由に似つかわしくない、あまりに巨大で禍禍しいものが、空を埋め尽くしていた。

武人は、潰れた左目から血の涙を流していた。

アラエクは、声にならない声で、吠えた。




その声も、砲声に消えた。
















「久遠の哀れなる民草に告ぐ。我は、第666代竜王ゼスト=ガイルートである。我が王族は、第三代王ウルクの御世に、第三代竜帝の次男である凱竜帝を迎えて以来竜王を名乗り、正統なる光の後継者の血を守ってきた。諸君らの遣える王は、光の王ならず、諸君らの崇める神竜は、光竜ならず。我は、諸君らは、偽りの王、偽りの神竜に支配されてきたのだ。我は、諸君らを、その偽りの世界から解放し、真なる光の栄光へと導くために、この『約束の地へ』やって来た」




少年特有の甲高い、それでいて堂々とした声が響いた。
声の主は、ゼスト=ティアル=ガイルート。
きらびやかな鎧、ふくらみのあるズボン。引きずるようなマント。
若干十歳ながら、ガイロニア最高の称号『ガイルート』を持つ、西方ガイロニアと、その属州数百を治めるれっきとした王である。そして、『ガイルート』は最高の称号であると同時に、最強の称号でもある。ゼスト王は、紛れもなく、ガイロニア最強であった。
脇に控える初老の男性は、ネイカー=エミサル。
儀礼用の軍服。たくわえられ灰色の髭。
先々代から王家に遣えてきた忠臣である。




ガイルート王家は、古代に東方から来たという三代竜帝の次男凱竜を一族に迎えたという伝承をもつ。それが真実ならば、ゼストの言葉通り、ガイルート王家こそが天竜帝の正統ということになる。

千年、二千年などという話ではない。一万二千年も昔の話である。
もはや神話なのだ。
誰も、論理的に真実の証明などできない。
ガイルート王家に伝わる神具『天照(あまてらす)』以外に、物証はない。
そして、自分たちの神話を疑うような人間は、得てして少数派なのだ。

正義の名の下、竜帝の東征は、当然の帰結。
















天龍殿を守備する蒼月衆は数時間で壊滅。
竜帝星雨と新谷ら、生き残った人々は地下通路より脱出、光建まで落ちのびることになる。

竜帝が破れた。

その報は、即座に久遠全土に知れ渡ることになる。




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