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第9話「白虎、惑う」





 久遠にも、居間はある。
 畳の部屋だったり、フローリングだったり、『こちら側』と変わらない平凡なものである。呪術的な文様が満載の部屋とか、生物的で有機的なデザインの部屋とか、あまつさえ巨大きのこ型とかを思い浮かべていた方には、陳謝します。
 確かに、魔除けの呪符や飾りの類は多い。が、それだけのことである。
 ご期待にそえそうな建物は、成層圏へ届いていると噂の天竜殿、同心円状に幾重にも城壁を巡らす聖域・首都光建(現在一部崩壊中)、あとは、白虎公領北西に存在する太古の遺跡都市・影建、それに四神公の居城ぐらいだろうか。
 庶民の暮らしは『こちら側』と変わらない。企業にあたるものは、全て四神公の統制下にあるが、サラリーマンもいるし、ホームレスもいる。もっとも、ホームレスを襲うようなバカはいないが。
 久遠の秩序は、天竜帝・四神公を頂点とした強力な統制によって成り立っている。建前としては、天竜帝の独裁である。が、その内実は、竜帝の血統が遥か昔に途絶えており、四神公の一族からの持ちまわりである。竜帝に選ばれる人間は、血筋だけでなく『力』や人徳に優れた者であり、在位中は四神公から独立した存在としての行動が許される。大統領みたいなものだ。幸運なことに、久遠では強き魂に強き『力』が宿る。ゆえに、己を見失うような愚か者はいくら高貴な血筋でも、支配者となり得ない。
 強き心をもった竜帝と四神公の力の均衡が、一万年を超える安定状況を支え、それが民の心の安定をもたらし、善良なる心を醸成する土台となった。
 平和ボケと笑わば笑え。貴方は実際に彼らを見れば、羨ましいと思うはずです。

 ええと、なんの話だったかしらん?

 そう、居間でした。

 典型的な居間です。畳です。コタツです。TVもあります。四角く切り取った水晶がブラウン管代わりです。
 お爺さんとお婆さん、お父さんとお母さん、それに男の子と女の子が、堀りごたつに入ってTVを見ています。
 TVで流されているのは、臨時報道番組。

「お父さん、竜帝様、まだ負けてないよね?」
男の子が、父親に問う。

「竜帝様は、ずっと昔から我々をお守り下さっている。これくらいで負けはせん」
難しい顔をして黙る父親に代わり、お爺さんが力強く言った。

「人がまた沢山死ぬの?」
女の子が、怯えたように言った。影の大発生で死んだ人間は数知れない。女の子の友人にも、犠牲者がいた。

「大丈夫、竜帝様が守ってくださるわ」
母親が、女の子を抱き寄せるようにして言った。

「竜帝様は、きっと敵も味方も救って下さる」
お婆さんは、穏やかに断言した。

「人と人が殺し合うなどという、愚かしいことはあってはならない。新たな竜帝様は、『力』をお持ちにならないが、たぐいまれな智恵をお持ちだと言う。『あの』導真と流尊を治めた方だ」
考え込んでいた父親が、ゆっくりと口を開いた。
「私たちは、私たちにできることをするだけだ。信じよう、私たちの守護者を」
TV画面に映る、崩れる天竜殿の外壁を睨んで、自分に言い聞かせるように言った。
















「ジュリア、四神公であるための資格って知っとるか?」

「民の信頼に命懸けで応えることができる、誇り高き人間であることだと、あなたは前に仰いましたわ」

「親父は偉大な錬金術師であるとおんなじに、偉大な人間やった。ヴィア家出身の自分の前で言うのもなんやけど、次に白虎公になるはずやったヴィアの爺さんは、人徳はあったが政治にかけてはド素人やった。北方戦役のあおりで世の中がおかしくなっていた時代や。親父は、是が非でも白虎公にならなくてはいかんかった。せやから、親父は自分の誇りを殺して、かなりあくどいことをやった。容赦無くな。ワテと自分の政略結婚もそうやった」

「それも、前にお聞きしました」

「結果、親父は傷だらけになりながらも白虎公になり、腐れた伝統を、もはや修復不可能なまでにぶち壊した。信じられないぐらいの呪詛を受けて、寿命を縮めながら。ワテと他の四神公が、親父を竜帝にして、白虎公領から呪的に隔離せなんだら、間違いなく死んどった。親父はえらい怒ってたけどな、『後は俺がやる、親父は黙って見とれ!』て言うて無理矢理言いくるめた」

「ええ」

「ワテは、白虎から久遠を変えて行きたかった。力なんぞあっても、なんにも偉いことあらへん。商売を四神公が支配しとったんじゃ、金が活きん。金は平等や。商売するのに、貴族も庶民も関係あらへん」

「ならばなぜ、あなたは星雨さんと争うのですか? 彼の志もあなたと同じではありませんか?」
ジュリアは、ミトラがして欲しい質問を心得ていた。

「星雨のやり方は、潔癖過ぎる。民の言葉を全て聞いていては政は混乱するだけや。民は己の生活・仕事しか見えん。例外はあるにしても、そもそも政は、民が己の生活・仕事に専念できるためにあるんや。現に蒼竜は、思想の違いに基づいたいろんな民の集団に分かれて争いが絶えん。議論なんぞかりそめで、その実一番頭数が多いとこの意見が通る。力が拮抗すれば、今度はなんもできん。星雨がいるうちはなんとかなるやろが、星雨が死んだ後は、偏った意見がまかりとおるようになる」

「そうなると、なぜ断言できるのです?」

「政には、魔物が住んどるからや。権力ちゅうんは人を狂わせるだけの力がある。『力』を持った人間の中でも、とりわけ強い意志をもった人間が四神公に選ばれるのは、その誘惑に打ち勝つことができるからやと、わしは思うとる。星雨のやり方やと、強い意志を持っている人間が選ばれるとは限らん」

「だから、貴方は金を選んだ」

「せや。金の勘定は、客観的に物事を見る言わば数学や。金の勘定で国を動かせば、貴族も庶民も無くなる。意見の対立も計算方法の違いに帰着するから、容易に解決できる」

「あなたは、そう信じている」

「だが、ワテは計算違いをした。ガイロニアがこれほどのものとは、予想できんかった」

「空飛ぶ舟なんて、誰も予想できませんわ」

「そうかも知れん。せやけど、ワテは間違えてはあかんのや。ワテが間違えたら、久遠全体が間違えてまう。あの女を見たときに気づくべきやった」

 眉間にしわを寄せ、頭をかきむしるミトラ。夫婦の間に、沈黙が訪れた。

「あなたらしくないですよ。まだ、破産したわけじゃないでしょう?」

 そう言って、ジュリアは夫に笑いかけた。
 ミトラは驚いたように妻の顔を見た。

「借りたら返すのでしょう?」

「せや! この借りは利子つけてきっちり返したる。このまま好きにはさせん。もう一度計算し直しや」

「じゃ、そろばん持って来ましょうか?」

















 宣言を終えた少年王ゼストは玉座に座ると、そばに仕える老臣に言った。
「爺、なにか来るぞ」
「はい」
 世が世なら、違う世界なら、小学校で遊んでいる歳の少年である。利発そうな大きくな目、凛とした瞳で、正面を見据えている。そのまっすぐな視線に耐えられる大人は少ないであろう。
 祖父と孫ほども離れた二人は、正面の空間が歪むのを見た。


 パチパチパチパチ


 乾いた拍手が響く。二人の前に、一人の青年が立っていた。
「素晴らしいスピーチでしたよ。でも、観衆が少なかったですね」
 歳の頃は、二十代後半だろうか。十代と言っても通じるだろう。爽やかに微笑んでおり、なぜか、燕尾服で正装している。


「私一人だけじゃあね」


 青年に言わせれば、王様へ敬意を表しているつもりなのだろうが、どう見ても慇懃無礼である。
 青年の言葉に、ピクリとゼスト王の薄い眉が動く。
「その方、何をした」
 幼いながらに威厳を持った声が、微かに怒りの色を帯びる。
「音は、空気を伝わるのですから、空間が断裂していれば届かない。これだけ広域をカバーするのは、正直しんどかったですけどね」
「我が王の言の葉を、そちが消し去ったと申すか!」
 老いた忠臣は、君主を侮辱するような言動に対し、恫喝で返す。若き王をあなどる輩を、震えあがらせてきた轟雷のような恫喝である。
「微妙に違うんですが、まあ似たようなもんです。それにしても、随分一方的なご意見ですね、王様?」
 動じない。さわやかに笑っている。
「始祖より、一言一句まごうことなく伝えられた真実だ。だからこそ、その方は我が言の葉を恐れ、消したのであろう?」
 ゼスト王もまた、動じない。視線も逸らさない。
「痛いところを突いてきますね」
 青年は、心底楽しそうに苦笑する。まったく器用である。
 対する少年王は、笑わない。張り詰めたものをゆるめようとしない。王たる者が、戦場でいかにあるべきか、彼は心得ているのだ。
「お前が来るだろう事は、長老たちから聞いていた」
 青年の笑顔が、不敵な笑みに変わる。青年もまた、予想していた事態なのだろう。
「つまり、備えていたと。で、お相手していただけるのは、どなたですか? できれば、王様と手合わせしたいのですが、そうも行きますまい」
 青年は、半身に構え、老臣に視線を向けた。どこから来ても、対応できるようにである。身体の真正面からの攻撃さえ封じれば、大抵の攻撃はさばけるものである。まあ、能力者同士の戦いには、あまり有効な戦術ではないが、青年は気分を大切にするのである。
「どこを見ている」
 相手もさるものである。どこにいたのか、どこからどうやってきたのか分からない内に、その人物は、青年の半身になった横側、つまり、身体の真正面に立っていた。
「また会ったな」

「よよっ? 死の白天使の異名をとり、久遠の暗殺者の頂点に立つ、この間の戦いで最後の影を打ち倒し、久遠に平和をもたらした、生き別れの妹さんを探していて、氷を操り、槍を主なエモノとする、事実上久遠最強の男。フレッド=ホワイト君ではありませんか?!」
 青年は、殺気の正体にいたってフレンドリーに話しかけた。

「長い!」

「連れないなあ。折角たくさん喋ったのに、ツッコミ短すぎですよ。それにしても奇遇ですね? こんなところに何の用でいらっしゃったんですか?」
 喉もとにナイフ突きつけられて、何の用もあったものではない。

「聞きたいことがある」

「あなたは、いつも質問が唐突すぎますよ」

「お前は、闇か?」

「さぁ? どちらかといえば、闇の方々に友達が多いですけど?」

「真面目に答えろ! 殺すぞ!」

「もし、YESと答えたら?」

「殺す」

「じゃ、NO」

「殺す!」

「そんな殺生な」
 さわやかに笑いながら、微妙なダジャレを言う。余裕なのか、天然なのか不明だ。

「結構辛いんですよ」




「これ以上『跳ぶ』のって」








 その原因を作ったのは、自分だろうに。




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